Q16 ダビィ③
久形は思った。
ここに来るまでの間に、俺はMrマリックにでも出会ったのだろうかと。
ハンドパワーで最愛の女性を消されたのではないか。あるいは俺は途中で意識を失ったりはしていないだろうかと。
‥‥否、それらの可能性はないな。
神隠しにでもあったという方がまだ現実味がある風に思えるところが不思議だ。
この場所は嫌な感じがした。
先程まで舞い上がっていたせいか、気づくのが遅れてしまった。いつもならもっと手前で久形は感知していただろう。
真宵あめ姫が消失してしまったことを度外視してもなお、異質で醜悪な空気が流れ込んでいるような気がした。
久形にはとりわけ霊感や超能力などが備わっている人間ではない。
むろん幽霊や宇宙人なんかも一切見たことがなかった。
ただ《場所》という概念に関して言えばある種の不思議な力みたいなものを感じ取ることに長けていた。
中でも嫌な感じのする場所、これ以上踏み入れてはいけないような場所はなぜか瞬時に察知することができた。
その際は口の水分が干からびて、全身冷や汗まみれになってしまうのだ。
そういつも豪語する久形だが、それは根拠がない自信や思いこみでもなく、単なる事実だった。
過去にも嫌な感じがする場所で本当にそのような場所なのか、検証してみたことがあった。
一例を挙げると‥‥仕事で彼は委託先の工場でたまたま嫌な感じがする場所をニヶ所見つけた。
階段の踊り場と奥まったところにある作業場だった。
そのことを冗談交じりに工場の担当者に言うと、穏やかだった表情が一変した。
「久形さん、何でわかったんですか?もしかしてあなたも見ちゃう人でした?いや実はね、そのニつのところなんですけど、夜になると出るんですよね‥‥。踊り場と作業場に胴体から下がないおじさんがね‥‥しかも白くぼんやりと輝いてるんですよ。あ、私、けっこう霊感あったりするんで。んで、その場所でね、従業員が作業をしたりするとちょっとしたトラブルや事故があったりしてね」
そう言われて久形は自分の感覚が勘違いではないことがわかって、安堵するというよりかは余計に怖くなった。
霊感はないし、変なものが見えたためしは今までない。ただそのような類の場所に行くと彼は肌勘で察知してしまう。
また垂水寝しとねほどではないが、危険人物に対する判別能力も同じく兼ね備えていた。
本来なら彼はそういった場所には近づかないようにしているのだが、今回だけは邪な好奇心が彼を駆り立て支配した。それは用心深い彼を無防備にしてしまったのだ。
結果として久形は地面に落ちているハンドバックのような取っ手がある機械が落ちているのを見つけてしまったのだった。
**********************************
「いたたたあぁ。何するのよ、ケガしちゃったらこれからクレアでのむふむふがあるというのに、できなくなっちゃうじゃない!」
しとねは前から勢いよくこけてしまったので、膝をさすっていた。
「大丈夫よぉ。ここではいくら傷ついてもあちらへ戻ればあら不思議、元通りになれるから。ま、戻れたらだけどねえ。そんなことより、いよいよ最初のエリアに入ったわねえ。《サキヤミ地区》に」
「また意味わかんないことをべらべらと‥‥え、サキヤミ地区?崎邪見温泉じゃないの?」
「それは表の名前。サキヤミ地区は裏の名前なの。いいしとねちゃん、この世は常に表裏一体なのよ。表があれば必ず裏があることをお忘れなく」
「えらそうな兎ちゃんだね。そんなことを言われても私はずっと意味ワカメ状態なんだから。というか入っちゃったじゃないの、このやばやば空間に」
しとねはサキヤミ地区の景観や街並みを嫌々見渡してみた。
そしてあれっと思った。
入口が逆さまになっていたのに街並みは通常のままで、自分自身も宙吊りにされるのではないかと危惧していたので少し安堵した。
あとよくよく確認していくと微妙に建物の数や位置、道路などの構図が違ったりしている。駅前にあるコンビニは消えており、あまり美味しくなりカフェは存在していた。
季節も同じように感じられた。蒸し暑く晴れた青空にはもう夏の入道雲が浮かんでいる。ただし、目に映る街の色合いというか空気感というものはどこかいつもとは違っていて、やや暗く不気味な印象を受けた。
最も顕著に違うところは駅の存在だった。
駅はぼんやりと真夏の夜に浮かび上がる蛍火のようにぼんやりと発光していた。
駅名も《サキヤミ地区前》と書かれた文字がネオン街のように怪しく輝いているし、停車している列車も同じく淡い光を放っている。
「駅すごい!どうしてあんなにぼわんぼわんしているのだろうか」
「お、さすがはお目が高いわねえ。この世界では駅はとても特別なものなのよぉ。まあ今はまだしとねちゃんは乗れないけどねぇ。エリアマスターになれないと隣のエリアには列車を使って移動できないの。まあ徒歩とか、違う場所からダビィを起動すれば可能ではあるんだけど。要するにエリアを統治していってどんどん横隣のエリアなんかも統治していくと色々と恩恵があるわけ。陣取りゲームみたいなもんかなあ。そうすれば行ける範囲もどんどん増えるってわけね」
プモは得意げに小さな体でふんぞり返った。
「ふうん、って全然興味湧かない話だわ」
しとねは元気なく肩をすくめた。
「そっけないわねえ、というか無駄話してていいの?ほら、あの目の前にいる兎ちゃん、こちらに気づいたみたいだし‥‥」
しとねははっとした。
そうだ、あの兎ちゃんだ。
兎は真っ直ぐしとねを見つめていた。
しとねが愛くるしいと思う兎ではなかった。妙に両目のサイズの対比率がおかしかった。左目はかなり大きく見えたし、右目はかなり小さい。それと妙に前歯が多いような、まるで顔の輪郭に沿って歯がくっついているような‥‥遠目だから何とも言えないが。
「プモさんよ、あのウサちゃん、なーんか妙じゃね?」
しとねは目を細めて、ぱっつんな前髪と平行になるように手を額に当てた。
妙な感覚。それは大抵の場合、頬を引き攣らせる恐怖に変わっていくものだ。
プモはくすくすと笑った。
「そうねえ、もっと妙な感じになりそうだけどねえ」
プモがそう答えるとほぼ同時だった。
その妙な兎は突然甲高い奇声にも似た叫び声を轟かせたのだった。
平穏だった世界に突如として竜巻が発生したかのような緊張が走る。
兎は静かに前かがみになって、よーいドンの姿勢に移った。
すると額からにょきにょきとタケノコのように角が一本生えてきた。
不揃いな両目はどこか血走っているように見えた。
「ねえ、ちょっとちょっとちょっと、あきませんやん、あれ」
しとねは頭を抱えて地団太を踏みまくった。
プモは意に介さずあっけらかんと言った。
「さ、実戦開始」と。




