ハートの風船
「淳」
教科書を鞄にしまっていた淳は、呼ばれてふり返る。
教室の前には、伸介と京子が並んで立っている。
「これから京子と祭りに行くんだけど、一緒に行かないか? 熊野神社の」
伸介が、嫌そうに言う。
「何で?」
淳は手を止めて首を傾げる。
「三人の方が楽しいでしょ? 私、親の手伝いをしなくちゃなんないから、楽しみたいの」
京子は言う。それは、伸介に向かって言っているようにも見える。
淳は伸介を見る。来るな、と目が訴えている。
「……今日は用があるんだ」
淳が言うと、伸介は満足げにニンマリとする。
「分かった。それじゃあな」
伸介は片手を上げると、京子の肩を抱いて教室から離れる。
「あ、じゃあね。淳君」
京子は慌てながら言って、バイバイと手を振る。
淳は京子の姿を目で追う。が、壁で直ぐさま見えなくなる。帰り支度を再開する。
「似合うよな。あの二人。もうそろそろ付き合い出すんじゃないか」
淳の肩に腕を回して、勝俣が言う。
「……そうかもな」
「きっとそうだよ。女子人気一位の伸介と、男子人気一位の京子ちゃん。羨ましいよな。あ、ちなみに俺は十位」
勝俣は胸を張って自慢する。
「お前は三十五位だぞ」
「何人中だよ」
「七十人中。学年全体の丁度真ん中だぞ。ミスター平均君」
「うるせ」
淳は苛立って勝俣の腕を押しのける。
「伸介と一緒だと、お前は引き立て役でしかないもんな。だから一緒に行きたくないんだろ」
勝俣は大口を開けて、ガハガハと笑う。
「うるせえ!」
不愉快な顔をして、淳は怒鳴る。
「まあまあ落ち着け。それじゃ十位の俺と祭りにいかないか。金魚すくいに行って京子ちゃんのはっぴ姿を拝みに行こうぜ。見るのは誰でも許させるんだから」
「俺は行かないよ」
淳は鞄を背負って教室を出た。
家に着く。
「淳」
家に入る時、背後から声を掛けられた。ふり返ると、塀の外に伸介が立っていた。
「さっきはありがとうな。俺の意図を読んでくれて」
伸介は塀に腕を乗っけて笑いながら言う。
「俺、今日京子に告白するつもりなんだよ」
「……そう」
「それじゃあな。行ってくる」
伸介は、よし、と気合いを入れて去って行った。
淳は、その後ろ姿をただジッと見ていた。
家に入り、自分の部屋に行く。
机の上には、写真立てがあった。京子と淳が並んで移っている。けれど、その写真は切り取られているものだ。
それを、パタンと見えないように倒す。
二年後。淳は高校生になって、初めて熊野神社の祭りに来ていた。祭りには大勢の人が楽しそうにはしゃいでいる。淳は金魚すくいの屋台で、すくいを待っている金魚を見ていた。
「淳じゃねえか」
勝俣は、よッ、と片手を上げて淳に言う。隣には、見覚えのない女性がいる。
「久しぶりだな」
「二年ぶりか」
淳は、勝俣の隣の女性を見る。
その視線に気付き、
「こいつは俺の彼女」
と勝俣が紹介する。彼女は、初めまして、と頭を下げる。大人しそうな子だ。彼女は手に金魚が入ったビニール袋を持っていた。中には二匹の金魚が漂っている。その袋には、青い色の丸い風船がヒモで繋がれていた。
「お前はまだ一人みたいだな。なんてったって三十五位だもんな」
勝俣は額に手を当ててわざとらしく辺りを見渡して言う。
「昔のことだろ」
「お前も京子ちゃんの見に来たのか」
勝俣は淳の耳元で、彼女に聞かれないように言う。
京子の名前を聞いて、淳の胸が高鳴る。
「見ておいた方がいいぞ。一段と綺麗になってる」
「彼女いるのにいいのかよ」
「彼女が金魚欲しいって言うからいったんだよ」
「確かに。それじゃ仕方ないな」
淳は頷く。
「行って見てこいよ」
勝俣は淳の肩を叩くと、彼女と手を繋いで去って行く。
「行ってみるか」
すぐ目の前にある金魚すくいを後にして、京子がいる金魚すくいを捜す。京子の両親は祭りの時金魚すくいをやっていて、京子も親の手伝いをしている。
お目当ての金魚すくいを見つける。淳は店前に行く。
「いらっしゃい、って淳君」
淳に気付いた京子は驚いて目を丸くして言う。
「久しぶり」
淳は京子を見る。勝俣の言うとおり、前よりも綺麗になっていた。店の前を通る男たちも、通り過ぎざまに京子を見る程だ。
「二年ぶりだね。会うのも、話すのも」
京子は髪をかき上げる。はっぴ姿がよく似合っている。はにかむように笑う顔が可愛い。
確かに彼女と話すのは二年ぶりだった。伸介が告白すると言った日以来、京子と話せずにいた。
「やる? 金魚すくい」
彼女はポイを手に持つ。
「一回やるよ」
淳は二百円を京子に渡して、ポイを受け取る。しゃがんで、椀を片手に、ポイをもう片手にして金魚を狙う。
「今どこの高校言ってるの?」
京子は淳と同じようにしゃがんで言う。
「直ぐ近くの熊野高校だよ。そっちは?」
一匹の金魚に狙いを付ける淳。後ろからポイで追う。
「猫野高校よ」
京子も、淳が狙っている金魚を目で追う。
「伸介と同じだよね」
「ええ」
「よしッ!」
金魚が止まった隙を狙い、すくう。持ち上げたまま、ゆっくりと椀の上へと持っていく。落とす。
「おめでとう」
京子は手を叩いて、淳が取ったことを喜ぶ。
「よっしゃ! もう一匹」
次の金魚を狙い、すくう。けれども、ポイは破れ、金魚は落ちてしまう。
「さすがに二匹は無理か。一匹でいいや」
淳は椀を京子に差し出す。
「一匹じゃ可哀想よ。サービスしてあげる」
京子は網で金魚をすくう。二匹の金魚を袋に入れる。
「いいの? ありがとう」
「ちょっと待ってね。今風船のサービスしてるから」
京子は店の奥にいくつもある丸い風船の下から、膨らませていない風船を選ぶ、慣れた手つきで空気を入れる。その風船は、ハートの形をした風船だ。ハート型の風船を選んで金魚を入れた袋に結ぶ。袋の取ってから風船のヒモが付いていて浮かんでいる。
「はい」
京子はそれを淳に渡す。
「ありがとう」
淳は、プカプカと浮かぶ風船を見る。ハートの風船を持って一人で歩くのは少し恥ずかしい、と淳は思った。
「どういたしまして」
二人は黙ってしまった。妙な沈黙が流れる。
「……それじゃね」
先に言ったのは淳。
「……うん。またね」
京子が何故か寂しそうな顔で言う。
淳は後ろ髪を引かれる思いで立ち去る。後ろから、いらっしゃい、と彼女の威勢の良い声が聞こえる。
一度もふり返ることなく、淳は歩く。京子の店が見えなくなった頃、正面から伸介が歩いてきた。
淳と伸介の目が合う。
「久しぶりだな淳。お前も祭りに来てたのか」
伸介が言う。あの日から、伸介と京子には出来るだけ会わないようにしていたし、話しかけもしなかった。けれども、今はそんなことはない。
「その風船、やっぱり京子の所に行ってたのか?」
伸介はニヤニヤとした顔で言う。その隣には、女性がいる。
「そうだけど。彼女は誰?」
淳は、伸介が何故ニヤニヤとしているのか首を傾げる。
「俺の彼女だ」
「ねえ、あたし焼きそば食べたいんだけど」
不満そうな彼女の声。
「先に行って食ってろ。俺はこいつと少し話すから」
「早く来てね」
そう言って彼女はそそくさと雑踏に消えていった。
「……お前、京子と付き合ってたんじゃないの?」
「え?」
伸介は目を見開いて驚いている。
「何言ってるんだよ。お前が京子と付き合ってるんだろ?」
「何変なこと言ってるんだよ。お前告白したんだろ?」
「したけど、振られたよ。思い出させるなよ」
伸介の言葉に、淳は混乱する。てっきり、二人はあの日から付き合っていると思っていた。「そんなこと聞いてないぞ」
「当たり前だ。あれから俺、お前と会わないようにしてたからな」
「? ……なんでだよ」
自分がそうするのは普通だと思うが、何故伸介がそうするのか分からなかった。
「振られた彼女と付き合っているお前と話したくなかったもん。けれど、今はそんなことないぞ。何てったって彼女がいるからな」
「ちょっと待て! 俺は京子と付き合ってないぞ」
片手を広げて突き出して、淳は言う。
「何言ってるんだよ。俺に気を遣わなくてもいいぞ」
淳の言葉が面白かったのか、伸介は吹き出して笑う。
「だって、京子はお前のことが好きだって言ったんだぞ。もう俺行くぞ。彼女待たせてるから。近いうち遊びに行くよ」
伸介は楽しそうにそう言うと、彼女が向かっていった方へと消えていった。
淳の中では、伸介の言葉が乱反射していた。二人は付き合っていなかった? しかも、京子が俺のことを好きだった?
「……」
二匹で仲良く泳いでいる金魚を見る。視線を上に動かすと、ハートの風船がプカプカと浮いている。
そういえば、いくつも丸い風船があったのに、この風船はわざわざ膨らませていた。勝俣の彼女が持っている風船は丸い風船だった。
もしかしたら、これも何かの意味があるのではないか?
そう考えて、淳は京子の店の方を見る。
淳はしばらくその場で立ち止まると、京子の店とは反対の方へと去って行った。
淳は、神社の入り口に立っていた。
「おまたせ」
一人の女性が近づく。
「待った?」
「全然。待っている間に、里沙が欲しがっていた金魚取っておいたよ」
淳は、恋人に二匹の金魚を差し出した。
それには風船は付いていない。
今頃、あのハートは空を漂っているのだろう。
終わり
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