雪
寝ぼけ眼、おぼろげに記憶を見ているように、二階から窓の外見れば、雪が降っていて、真っ暗。けれど見えている。ガラスに吹き付ける雪は、窓に張り付くと形を崩して水になる。それが積み重なれば、それは滴って落ちていく。暖かいところに入るのは、本当に難しいんだなって。部屋の中は、薄暗い部屋、スポットライトくらいの明かりが付いていて。
不器用な雪ばかりですが、少し要領が良いところもあります。窓のサッシの隅から雪は積もっていき、先に飛び込んで積もった雪の上に重なるんです。それは、少しずつ窓を冷やし、その熱は、部屋にひんやりと伝わります。すると、雪はすぐに溶けないようになって、全体に積もるようになっていくんです。つまり、何が言いたいって、たくさんの、そういう、下地があって、雪は積もるのであって、雪ひとつ、結晶の光では、その姿は一瞬しか保てないんです。
高く、宙に浮いて自由に飛ぶ雪は、どこに降り落ちるのか。その雪、結晶ひとつひとつは全く何も知らず、気ままに、風の流れに乗って降り落ち、また、違う雪の下になるのです。眠かったはずなのに、雪ひとつ見て、そんなくだらないことを考えていたら目が覚めてしまって。寒いのは苦手です。
今は、真冬でも暖かく着込める物がとても安く買えるので、外は、ほとんど真っ暗ですから、たくさん着込んで。見たことありますか?すごく雪が降っているときに、上を向いて、何か照らすモノもほとんど無く、近くの薄ら明るい街灯とか、そんなものしかない中で、真上を向いて、降ってくる雪を見るんです。雪の結晶が顔について、絶え間ない一期一会が繰り返され、こんなことが日々、日常にも溢れているんです。
雪は、顔に付けばすぐに溶けてしまうでしょう。すぐに。そして、どんな雪だったとかなんて、考えることもなくて、服に残った、少し残る積もった雪を払い、家の中に入れば、残りの雪も溶けてしまうでしょう。人の縁とか、繋がりとか、それとほとんど変わらないのだと。知ろうと、自然から学ぶことは、今ある社会を表していて、興味深いです。
大体のことは、季節を通じて言い表せて、これがすごく不思議なんです。つまり、分かっていても変えられないということの難しさに、それを人生の風情というなら、こんなに悲しいことが日々起きている現状に何を見出せば良いのか。これはすごく難題でしょう。簡単に解ける公式を考えることが、いつか出来るでしょうか。
これは、楽しむとか、そんなこと。難しいと思うでしょう?その通りだと思います。むしろ、これは無気力で、自分の意思と感じるように、何も考えられずに過ごす日々のことを「しょうがない」とか、「これが普通」とか、そんなことを思って無為に時を重ねることと同じことだと思うのです。疑うことと、信じること。どちらが楽ですか?
いえ、これで何が言いたいのか。つまり、時間は戻らないし、一度、落ち着いてしまうと容易に変えられないんです。だから、ふわふわと、気ままに風に乗って、綺麗な結晶の形を保って、身を任せていられる時間は凄く貴重だと。だから、遊んでください。精一杯。ちょっとした暇な時間も惜しくて。これくらいのほうが、何か見つかりますよ。どこに行きたいかとか。何になりたいかとか。些細なことなんですけど。少しだけ、違うんです。