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「取扱説明少女の有坂すてらです」

 彼女はそのあと、何も言わずにリビングへ向かった。一直線に進む。そして、ソファの真ん中を陣取った。

 質問をしてみた。何度質問をしても、ただテレビ画面を見つめるだけだった。一番安い。それでも、痛い出費。今は特に、説明が欲しいものはない。しばらく放っておいて、様子を見ることにした。


 簡単なプロフィールが書かれた紙一枚が、事前に送られてくる。それが、普通らしい。でも、彼女の場合は違った。唯一、彼女だけが、紙一枚ではなかった。

 事前に送られてきたのは、漫画雑誌並みに分厚い冊子だった。呆気に取られた。家にある説明書を、全部重ね合わせても、それには及ばない。


 座ったまま、一歩も動かない。忙しない朝、という時間帯に堂々とした座りっぷりは、逆に目立つ。幼さ残るしたり顔が、やけに腹が立つ。

 高校を卒業したばかりの、新人。なのに、ベテラン感を醸し出していた。もうあの冊子を開くしかない。表紙に『取扱説明少女の取扱説明書』と書かれたあの冊子に手を置いた。


 読むこと全般が苦手だ。小説を読むことも、新聞を読むことも。もちろん、先を読むことも、空気を読むことも。そして、誰かの気持ちを読むことも。

 一番苦手なのが、取扱説明書だった。取扱説明書を読まないために呼んだ。なのに、今は商品ではない、取扱説明書を読む羽目になっている。必死になって、説明書に目を通す。


「トイレお借りします」

 彼女の礼儀は、良からぬ方向を指していた。たった一つのハズレくじを、引いてしまった運の悪さを憎む。食事をしている暇はない。

 今は、彼女の取扱説明書を読むことだけに、集中するしかない。取扱説明少女を頼む前の方が、よっぽど楽だった。彼女が三大悩みごとのひとつに、加わった。今後、苦しめ続けることだろう。


 分厚すぎる。この説明書を全て読んでいたら、きっと一日が終わってしまう。

 会社での悩みは絶えない。脳の要領が足りてない。それに、時間だって十分にある訳ではない。それらの隙間に、取扱説明少女が無理矢理入り込んで、邪魔をする。

 文字が読めるか読めないか、くらいのスピードで、ペラペラと捲ってみた。それでも、一瞬とは言えないくらい、長く感じた。


 彼女へ正しく話しかける方法。そんな項目が、短時間で見つかるはずもない。目次のようなものはない。あってら、さらに分厚くなるだろう。目次だけで、結構なページ数を稼いでしまうだろう。

 家電の取扱説明書であれば、救いがある。巻末に【よくある質問】や【困ったときは・・・】のようなコーナーが設けられている。

 取扱説明少女のものには、それがない。そもそも、彼女は家電ではない。直感と手の感覚を頼りに、冊子の真ん中より少し前あたりに、指を入れた。


 早々に、解決法を冊子から見つけた。それは、奇跡と呼ぶべき出来事だった。長針が真上を向くまでは、家に居ても遅刻しない。空腹は放置して、スーツに着替える。

 扱い方を学んだので、もう彼女が喋らないことはない。これで、もやもやが晴れない状態で、会社に行かなくて済む。数ある中から、ハズレくじを引いてしまった男だから、運は強い。


 そこには、説明に関する質問だけに反応する、と書いてあった。個人的なことを聞かれるのが、嫌みたいだ。それに、商品の説明をすることが好きだ、とも書いてあった。

 これは、こっちにとっても好都合。ご機嫌取りなんて、疲れるだけ。気を遣わずに放置して、必要な時にだけ質問をすればいい。


 案外、簡単なのかもしれない。あとは、気に障る堂々さ。それと、したり顔にさえ耐えられれば、大丈夫だ。

 話し相手が欲しい訳ではない。説明が欲しいだけだ。だから、分厚い冊子の他のページを、見る必要はない。


 よくある取扱説明書も同じ。当たり前のことを書いていたりする。見なくても分かることが、書かれていたりする。

 普通の人間をしていれば、とりあえず何とかなる。


「お時間になりましたので、帰らせていただきます。」

 彼女は何も説明をしないまま、帰っていった。そして、後を追うように家を出た。朝は、何かと忙しい時間帯。だが、機械が壊れない限り、同じ操作の繰り返しだ。


 テレビもそうだ。目覚まし時計もそうだ。たったひとつの動作で、済んでしまう。だが、説明を欲する時期は、必ずやって来る。

 そして、知らない機能が潜んでいたりする。想像もつかない使い方が、隠れていたりする。そこに、面白さはある。


 一ヶ月契約を、彼女とはしている。来てすぐは、契約を解除しようとも思った。違約金は仕方ない。そう腹を括っていた。

 彼女は掴めない人。そして、女心は変わるもの。説明に関する質問だけに答えるとは、書いてある。でも、まだ試していないので、分からない。彼女を信じてみても、いいかもしれない。


 今日の夜に、彼女はまたやってくる。その時は、彼女を最大限に有効活用しようと思う。

 駅の階段を昇る足は、いつもより、ほんの少し軽かった。

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