参
レンガが敷き詰められていると思われる舗装された道は遠の昔に通り過ぎ、今はガタンガタンという小石を何度か踏みつけるような音が外から聞こえる。しかし箱馬車の中は不自然にも全く揺れず、それについて言及する者も誰もいなかった。
「いやぁ本当に、何度見ても馬子にも衣装だな」
「なに?ぶっ飛ばされたいの?」
隣に座ってこちらをニマニマと見る夫を鋭い瞳で睨んだが、「おぉ、こわ」と怯える振りだけしてまたジロジロと眺めるのだった。
初めは仰々しいゴテゴテ豪華な馬車に乗せられそうになったが、夫の「旅の途中で不慮の事故によりぶっ壊れても知らねぇぞ?」という一言により急遽用意された簡易な馬車は、その見た目からは想像が出来ない程に乗り心地が良い。まぁ、揺れは夫の魔法か何かでやっているようだが……それでも本来の座り心地も良さげな柔らかい素材の椅子を撫でる。
第一の場所は私が召喚されたという王都から馬車で一週間の所らしい。全部で20個近くあるその瘴気口の近くには魔物が既に多く出現しているそうだ。その為に本来はあの豪華な馬車と王子様や王宮魔法使いに女剣士、それに長蛇の列をなす兵士たちも来るはずだったがそれに待ったをかけたのも、勿論夫だった。
「王子?魔法使い?剣士?兵士?……そんなの俺が居れば要らねぇだろ」
そう言って不敵に笑った夫に否を唱えた人達の背後を素早く取った彼は、その頭上に今まで居た王宮ほどはあろう巨大な火球を浮かばせて「俺より強い奴なら、認めてやっても良いぜ?」と不敵に笑った。絶対に言わないが滅茶苦茶かっこよかった。マジで惚れ直した、調子に乗るから絶対に言わないけど。
という訳でこの旅は私と夫の2人だけ、後は案内役の御者を兼任している少年神官が居るぐらいだ。末端は仕事が多くて大変だねごめんね、と飴ちゃんあげたら懐いた可愛い子だ。今もこの馬車をガタガタと操縦してくれている。
因みに義両親達は「折角の異世界なんだから新婚旅行気分で行っておいでー」と送り出してくれた。「何かあったら連絡貰ったら行くからね」と言っていたので危なくなったら連絡する所存であるが、夫がいる限りそんな事態は稀だとは思う。
窓から見える穏やかな田園風景からはこの世界に魔物が迫っているなんて思い浮かばないし、それを食い止めるために聖女である自分と行動を共にしているのが魔物の長といわれる前世魔王な夫だなんて想像も出来ないだろう。そう言えばあの王宮の人達に夫の素性について言っていないような気もするが……ま、良いか。誤差だ誤差。
この大陸をぐるりと一周するその旅は普通であれば一年かけて行うものらしいが、そんな時間はかけれないと3ヶ月の行程になる。その間仕事はどうするのだと聞けば「そんなの帰る時にその時間軸に飛べばいいだろう」とは夫の言葉である。確かに、天才だな。
あれなんか私、夫の事大好きじゃない?いや、好きじゃなかったら結婚なんてしてないんだけどそれにしてもこっち来てから惚れ直すこと多くない?やばいバレたら末代まで弄られる。あ、結婚してるわ。
なんてバレたら馬鹿にされること間違いなしな事を顔を引き攣らせながら悶々と思っていれば、至極愉快そうに私を見ていた夫が「あ?」と一言声を上げて馬車の外へと視線を移動させた。
「なに?」と私が夫に尋ねるのと同時に、馬車を率いていると思われる馬が悲鳴を上げるようにけたたましく鳴いた。
「たた、大変ですっ!ゴブリンです!ゴブリンの群れがこちらに向かって来ていますっ!!」
御者を行ってくれている少年神官の慌てふためく声が聞こえ、私も「おぉ!RPG界の大御所ゴブリン!!見たい!!」と窓に張り付いた。気分はサファリパークである。
確かに窓の外。恐らく3m程離れたところに、私の胸下ぐらいの身長しかない緑色の身体をしたモンスターがチラホラと見える。なにかの骨か石で作られた手製の武器を各々持ち、連携を取りながら集団でこちらを襲おうとするその姿は流石人型モンスターと言ったところか。テンションが上がってしょうがない。
「凄い!本物のゴブリンだ!!」とまるでスーパースターに出会った一般人の如く黄色い悲鳴を上げながらブンブンと勢いよく手を振れば、そのうちの一匹が首を傾げながらも小さく振り返してくれた。
「何あの子かわいーー」
”可愛い”と続くはずだった言葉は、しかし突如現れた黄色い閃光の中に消えていった。あっという間に真っ黒になったそのゴブリンの炭火焼きの原因は、言わずもがな隣で「時間潰しにもならねぇ」と不服そうに舌打ちをかます我が夫である。
「ちょっと!折角初モンスターが居たのに!」
「うるせぇな。ああいう手合いは放っておくと更に凶悪な奴を引き付けちまうんだよ」
「大人しくしとけバカ」と面倒くさそうに頬杖を付く夫に、それもそうかとまた椅子に深く座る。それでも折角のリアルモンスターとの遭遇……記念のなにかでも欲しかった……と肩を落とせば、隣で「あー、」と夫が少し大きな声を上げた。
「あれだ、次会ったらカメラで記念写真でも撮るか。んで、大きな街にでも付いたら土産に何か買うぞ」
ちらりと横目で隣を見ても、夫の視線は窓の外へ向かれておりその顔は伺えなかったがそれがこちらを気遣った台詞だとはすぐに分かった。
ガタガタと揺れる車内。外からは少年神官の「神の雷だ……。僕は聖女様と神の使い様をお乗せしているんだ……!」という声しか聞こえない。
それに心の中で、いや乗せてるのは聖女様と魔王様です。神の雷ではなく魔王の一撃です。とツッコミを入れつつ。
「あと名物料理とかも食べたい。肉ね、肉」
そう己の要望を夫に伝えたのだった。