3日目:チカ先輩のゲーム指導
放課後。今日も今日とて数学に打ちのめされた俺は、学校の近くにある公園へやって来ていた。
「今日はご指導よろしくお願いしまーす、チカ先輩!」
隣の席のカリスマギャル、柊木梨花と一緒に。俺の座っているベンチの隣にスルリと腰掛けた柊木は、手に持ったスマホをフリフリと振りながら上目遣いで俺を見つめていた。
「よっしゃ! 今日中にイベント走りきろうな」
俺はそう言って、柊木のスマホを横から覗き込む。そして、距離の近さからフワリと香る甘い匂いを意識しないようにしながら、シンカナのイベントページを開いた。
すると、ステージの7割くらいは進めてあるのが分かる。あまり進められていないと言っていたが、時間がない中でここまで進んでいるのはすごいのではないだろうか。
「んー、まぁ要領よくやったら1時間ぐらいでいけるだろ」
「まじ!! やった、流石チカ先輩!」
「てか、さっきから思ってたんだけど、その呼び方何なんだよ……」
「だってチカくんはシンカナ歴3年じゃん。私はまだ始めて1年ぐらいだし」
確かにそういった意味では先輩といえるのかもしれないが、大人びた柊木に先輩と呼ばれるとどことなく変な感じがする。しかし、抗議しようとして柊木の顔を見ると「嫌なの?」と、また上目遣いで見つめられたので渋々許可した。
俺は多分、柊木のこの視線に弱い。
「……よし、じゃあ早く片付けよう」
「はーい、チカ先輩!」
謎に上機嫌な柊木を横目で見ながら、俺もアプリを起動した。そして、共闘モードを選んでイベントボスエリアへ入り、しっかり戦闘音を聞き取るためにイヤホンをつける。
柊木も、これまた可愛らしいイヤホンを耳に装着して準備万端といった様子だったので戦闘開始のボタンを押した。
今日は昨日約束した通り、柊木のソシャゲイベントを走るのを手伝うためにやってきたのだ。学校の奴らに見つかって変な噂を避けるためにわざわざ公園までやって来たのだが、何を隠そう今は冬。一応コートにマフラーにと着込んではいるが、寒いものは寒い。
だから、出来るだけ早く終わらせたいものだ……と思っていたのだが。
「ねぇチカくん、チカくん!? 待って、なんか急に難易度上がってない!?」
「なんでこんな時に限ってレア演出引き当てるんだよ!? 俺ら2人で勝てるボスじゃねぇよ! ……てか速攻で先輩呼びなくなったな!?」
やはりカリスマギャルと俺では、リアルラックが違うのだろうか。俺が何度挑んでも引き当てられなかった、報酬が5倍になるレア演出ボスを1発で引き当てた。
しかもその代わり、攻略難易度も5倍難しくなるボスを。
そのせいで柊木がパニックに陥り、カバーに入ろうとした俺も慌てて回避を忘れ、攻撃が直撃。あっという間にHPがレッドゾーンへ入り、余裕で片付くはずだった戦闘に陰りが見え始めた。
「待ってチカくん死なないでぇええ!? 置いてかないでよ〜っ!」
そして、「だってレア演出引き当てるなんて思ってなかったし……」なんて言い訳がボスに通用する訳がなく。次の回避不可攻撃で、俺のキャラは呆気なく死んだ。無念。
「いやでも最後に1発食らわせたし、あとは柊木が回避しつつ撃ったらどうにか……」
「むりむりむりむり! チカくんに庇われてたから何とか生きてるだけで避けれないし、まだ攻撃パターン掴めてないってばー!!」
そう言いながらフィールドを走り回る柊木だが、この調子だとすぐにゲームオーバーになりそうである。
「あっ、えっ、むり、なんでぇ……」
そして、数秒後に柊木のキャラも息絶えた。呆気ない終わり方だった。
「悔しい……悔しいですチカ先輩……」
「サラッと戻すんだな、先輩呼び。そのキャラチェンジは一体なんなんだ」
「あっさり死んでごめん……」
「いや、今のは不意打ちみたいなもんだから仕方ないだろ。気にすることないって」
お互い油断していたし、レア演出なんてそうそう出るものでもない。そう言って慰めたのだが、柊木は大分悔しかったらしく、顔を覆って俯いた。ハーフツインテールに結った髪がペタンと垂れていて、なんだかウサギみたいに見える。
「……もっかいやろ」
「…………え?」
「もっかいやる。悔しいから」
「いや。でもあれレア演出だし、引けるかも分かんないし」
「引く。むしろ引くまでやる。そして勝つ」
意志が強い。
「次はチカくんの足引っ張らないようにするから〜! ね、お願い。もっかいやろ?」
そう言った柊木は、綺麗にグロスを塗った唇をヒヨコのように尖らせ、頬を膨らませて俺を見上げていた。何度でも言うが、これの何処がクールなカリスマギャルだというのだろうか。
俺は心の中でそうツッコミをいれながらスマホを構え直し、もう一度共闘モードを選んだ。
あっさり死んで悔しくないのかと言われると俺も相当悔しいのである。
「…………っしゃ、やるか」
そう言って俺がスマホを見せると、パッと柊木の表情が明るくなった。そして、次こそ勝つための作戦会議に入る。
「そもそも攻撃を避けられなかったのが、さっきの敗因なんだよねぇ……。チカ先輩、コツとかあるんですか?」
「コツというかって感じだけど、攻撃に入る前にシュッみたいな音が入るときあるじゃん?」
「ん」
「それが聞こえた瞬間に回避ボタンを押すと上手く回避出来る……的な」
「んーー!? めっちゃタイミング重視じゃん……。私、そういう繊細なやつ苦手なんだけど…………」
確かに、柊木が繊細な作業をしてそうなイメージはない。しかし、俺が素直に「苦手そうだもんな」と肯定すると速攻で背中を殴られた。
「言っとくけど、チカくんの方が繊細そうなイメージはないからね。街行く人にアンケートとったら、絶対私の圧勝だから」
「むしろ俺に負けてたら相当だぞ……」
そう言った瞬間、背中からボスっという鈍い音が聞こえた。どうやらコートの上から殴られたらしい。しかし柊木の力が弱すぎるせいで絶妙に痛くもない。むしろくすぐったくて笑いそうになる。
「よし。なら俺が回避のタイミングで『はい』って叫ぶから、それにそって回避してくれ。どうせまたレア演出に当たるまで結構戦わなきゃいけないだろうし、その間に慣れて1人でも避けれるようになるだろ」
「それいいね!流石、チカ先輩!カッコいい!」
「だろ、崇め奉れ」
「それはない」
「おかしいだろ!?」
今のは俺を褒めてくれる流れだったじゃん!なぁ!!先輩へのリスペクトが足りねぇんだよ!
即答した柊木に抗議しながら、装備を整えた俺は戦闘ボタンを押した。そして、3、2、1と戦闘スタートまでのカウントが始まって────
「……チカ先輩、嫌な予感がします」
「…………俺も」
「さっき見たよね、このボス」
「レアエンカウントって画面に出てるしな……」
さっきぶりだね、レア演出。俺の時は20回やっても出てこなかったくせに、かわいいギャルに呼ばれたら連続で出てくる辺りに世の不条理を感じてるよ。元気にしてた?
そんな軽口が頭の中を回るが、さっきよりも準備に気合いが入っているものの、まだ柊木は攻撃を回避する練習を通常ボスで出来ていないのである。
「……ごめん」
「最初から諦めんな!?」
俺は、もう既に謝り出した柊木を横目で見ながら、回避タイミングを逃した柊木のキャラに回復魔法をかけた。
「はいっ! 柊木、回避っ!!」
「うにゃぁあああ!? なんかタイミング違くない、遅くない!? そのイヤホン壊れてるんじゃないの!?」
「いや。100均のイヤホンだし使い出して2年経つけど、そんなこと……」
「だからだよ!? もうそのイヤホン死にかけてるから、音が私のとズレてるんだよ!」
「100均さんを悪く言うんじゃねぇ!」
「違うよ、2年も壊れかけのイヤホンを変えてないチカくんを悪く言ってるんだよ!?」
おかしいだろ。確かにシュッと音が聞こえたと思った瞬間に回避コマンド押してもたまに攻撃当たるなぁ……と思ってはいたけどさ。
え、マジで? 本当はもっと回避まで余裕あるってこと??
「……ごめん、ちょっと片方貸して」
確認のために、キャラを攻撃の当たらないところまで動かしてから、柊木のイヤホンを片方借りてみる。
「…………めっちゃ綺麗な音する。ノイズがない……!」
「それが普通なんだよ!? ほら、早く戦闘に戻ってくれないと……あぁああ!?」
焦りながら叫んだ柊木の言葉を聞いて、慌てて戦闘に戻る。そして、さっきよりも100倍は戦いやすくなった環境で、
「はい、回避!!」
「まかせろり」
「何それ、古っ」
「古くないっ!」
とか。
「ここで必殺技いくぞ!」
「なんで!?」
「なんでもだよ!! 説明する時間ないわ! 先輩の言うことには絶対忠誠だろうが!」
「わー! 横暴だ!! もう慕うのやめよ!」
とか。
なんだかんだと軽口を言い合いながら戦い抜いた俺たちのスマホの画面には、徐々に消滅していくボスの姿があった。
「……勝てた?」
「なんとかな…………」
「なんか疲れたね……」
「それな……? エネルギー消費……」
さっきまで寒かったのに、興奮したせいで無性に熱い。そして、まだ1年とシンカナ歴が浅いにも関わらず、健闘した柊木を褒めようと横を向くと、すぐ近くに柊木の整った顔があった。
「……っ!?」
驚いて離れようとするも、イヤホンを共有しているせいですぐに離れられない。
「どしたの、チカくん」
すると、暴れている俺に気がついたらしい柊木が不意に横を向いて────
「ッ……ん!?」
さらに悲劇が加速していく。ゲームに夢中で気がつかなかったが、イヤホンを共有するということは相当近い距離にいるわけで、その、だからだな。
「ち、チカくん顔真っ赤だけど……?」
そう口にした柊木は、少し身体を傾けるだけで触れそうなほど近い距離にいる。そのせいで、普段は出来る限り意識しないようにしていた、柊木の長いまつ毛や真っ白な肌がはっきり見えて、さらに頬が熱くなっていくのが分かった。
「っ、仕方ないだろ、お前と違ってこんなこと滅多にないんだし!!」
そもそも、俺の顔が赤いのは柊木がかわいいから悪い。
「……へ、へー。ふーん、そっか…………」
俺が言い訳するようにそう言うと、想像以上に動揺した声が聞こえてきた。
いやいやいや。おかしいだろ。お前はこういうのに慣れてるはずだろ。ギャルだし、いつも俺をからかってくるし、人気者だし。
だから、どうせ「チカくんてばこの程度で照れちゃって」みたいな反応が返ってくると思っていたのだが、横にいる柊木は首から耳まで真っ赤に染めた顔で俯いている。
その意外な様子をつい見つめていると、柊木は無言でおそるおそるイヤホンを外して席を立った。
そして、「……な、なんか急に用事思い出したから、先帰るね」と消え入りそうな声で呟いて駅の方へ走っていく。
「今日は手伝ってくれてありがと!」
そんな柊木の姿を呆気にとられたように見つめていると、不意に柊木が振り向いた。そして、大声でそう叫び、また足を動かし始める。その動作に合わせて、またツインテールがピョコピョコと揺れていた。
「……なんだあれ」
もしかして、もしかすると。というか、もしかしなくても。柊木って、本当にかわいいんじゃないのか。
そんな今更なことを考えながら、柊木に今日のログインボーナスとして、公園に来る道中で貰ったミルクティーを持って立ち上がる。
既に冷めきったその温度が今の俺には気持ち良くて、一度頬に当ててから、俺も駅への道を歩き始めた。