9日目:染められてたまるか
「チカくん!!!!!」
「…………はい」
「今日の!!!」
「はい?」
「ログインボーナスは!!!」
「……はい」
「これです!!!!!」
柊木が勢いよくそう言って、握り締めた手を前に差し出してきた。明らかに呪文としか思えないような現代文の授業を終え、寝ぼけていた頭にテンション高めの声が突き刺さる。
というか、何故あの睡眠状態になるのが確定演出な授業を一緒に受けていたはずなのに、こんなに元気なんだ。柊木だけ耐性を持っているとでもいうのか。いや違うな。この前の授業は全部寝てたもんな。
これは、手の中にあるものを渡すから、手を差し出せということだろうか。ぼんやりとした頭でそう考えながら、片手を柊木の前に出す。
「そうです。それでいいのです」
良かったらしい。柊木はニコニコしながら、手に持っていたものを俺の手に落とすために手を開き────
「…………え?」
そのままギュッと、俺の手を握り締めた。
えっとこれはどういうことなんだ、なんで柊木に手を握られているんだ、あったかいな、なんでそんなにドヤ顔をしているんだ、かわいいな。……かわいいな?
頭が上手く回らないせいで、余計なことが思考に混ざりまくる。そんな俺の手を、もう片方の手も添えて両手で握った柊木は、悪戯気な笑みを浮かべながら口を開いた。
「ふふふ〜。騙されたな?」
「……はい?」
「…………ありゃ。さてはチカくん、もしかすると何が起こったかも理解していない??」
「してないです」
「やっぱり。流行から5歩ほど遅れているチカくんのことだからそうだと思いました〜」
「はぁ?」
「これ、何か渡そうとして、突然手を繋ぐっていうドッキリだよ!最近SNSで流行ってるのに本当に知らない?」
「……え、知らない」
…………こんなに命の危険がある行為が? 本当に流行っているというんですか??
死にそうなんですけど。ドキドキというか、心臓が早く動きすぎて死ぬ5歩手前ぐらいなんですけど?
だってよく考えてみてくれよ。いくら友達とはいえ、柊木は圧倒的に美少女なんだぞ。普段の俺なら適当に流せただろうけど、寝ぼけた頭に直で響いてきた今回ばかりは難しいに決まっている。普段だって、相当頑張って受け流しているのだから。
認めよう。柊木はかわいい。そして俺は、柊木のあざとかわいさにジワジワと浸食されてきている。でも多分、柊木は俺にだけこのような態度なのではない。友人全員に"こう"なのだろう。
きっと柊木は、今まで友人が居なかった寂しさとか恋しさとかを全部、俺で埋めようとしているのだ。
一瞬、俺のことが好きなのかもしれない、とかいう考えが頭を過ぎることもある。ログインボーナスをくれて、手を繋いで、休日も連絡を取って。
異性耐性のない、というか友達耐性すらない俺だぞ。こんなの勘違いするだろ。むしろ勘違いさせてくれよ、なぁ。
でもこれは、同性の友人同士なら簡単に説明がつく。ただ純粋に好きだから。ただ、毎日会いたいから、そうする。俺だって、光輝にそんな想いを抱くことはある。光輝に困っていると言われたら何でも助けたくなるし、毎日会ってもいい。好きだから。勿論、友達として。
勘違いするな。落ち着け、俺。
柊木は大切な友人で、隣人で。きっと他に同性の友人が出来て、友人と何かをすることへの憧れが満たされたならば俺との距離感は適切なものに戻るだろう。
そうなる前に、ただ柊木のことを好きになってしまいそうで、怖い。彼女からの純粋な友情を利用してしまいそうで怖い。だから。だから、席が変わって話すことが減るであろう、今月末まで友人として耐えようとするのはおかしいことだろうか。
今まで恋したことが無いから、異性の友人がいた経験が無いから、何が正しいのか分からない。でも1つ言えることは、柊木とこうやって話せなくなることを恐れているぐらいには、日常に柊木が溢れているのだ。柊木に、少しずつ染まっていく日常が少し辛くて、でも幸せで。
「…………チカくん、もしかして怒った?」
必死に頭の中を整理していると、不安そうな声が聞こえたため、慌てて顔を上げる。すると、今にも泣き出しそうな顔で俺のことを見つめている柊木がいた。
「あのね、昨日ね」
「……」
「テレビで、流行ってるって言ってて」
「…………うん」
「そのときチカくんが思い浮かんだから、少しやってみたかっただけで……」
あまりに一生懸命に話すものだから、つい黙ってしまう。あぁもう。だから。どうして、そんな顔でこっちを見つめてくるんだ。
「別に何も怒ってないよ。ただ、どこの界隈でこんなに危険なドッキリが流行るのかを考えてただけで……」
「…………危険?」
「いやなんでもないです」
そうだ。これは友達の距離感なんだった。ちくしょう、友達との経験値が少なすぎた。いや友達の距離感? 嘘だろ、マジで??
「最近の若者はこういうドッキリをするんだな。もう着いて行けねぇよ……」
「チカくんも最近の若者じゃん」
「そうだけどさ。てか、柊木もテレビで流行を知ってる時点で遅れてるからな?」
「……チカくんよりは詳しいもん」
柊木はそう言って、ツンと唇を尖らせた。
「俺は、柊木がこうやって流行を教えてくれるからいいんだよ」
「っ、私が教える前提で話さないで欲しいんだけど! じゃないと、また私が何か仕掛けたとしても、チカくんに響かないことになっちゃうでしょ!」
「……まぁ、それは確かに」
あぁもうダメだ。やっぱりダメだ。今の発言の時点で、もう既に柊木が日常にいる前提の話だよな。席替えをする前に、身体から柊木を取り除かないといけないのになぁ。
「俺、フォトスタ始めようかな」
ポツリとそう呟くと、柊木は信じられないものを見るような顔でこちらを見ていた。そんなに俺のような片隅男子代表がフォトスタを始めるのはおかしいというのだろうか。
「本当に!? 大丈夫!?!? 使いこなせるの!? 個人情報の漏洩とかほんと気をつけてね!?」
違った。どちらかというと、俺のことをスマホを買いたてのおじいちゃんのように思っているらしい。
「それはカリスマフォトスタグラマーの柊木が……あ」
「…………あ?」
「なんでもない」
これ以上、柊木が当たり前にいる生活に慣れるわけにはいかない。
その後、柊木からは、これが本物のログインボーナスなのだと、新発売のチョコレートを貰った。美味しかった。そして、午後の授業を耐えきった放課後。駅への道を歩いていると、後ろから明るい声が聞こえてきた。
「イチカー!!! 一緒に帰ろーー」
「おう」
俺のことをこんな風に呼び止めるのは光輝だけなので、確認もせずに返事をする。しかし、いつもはバスケ部で健康的な汗を流しているというのに、今日は一体どうしたというのだろうか。
「部活は?」
「今日は休みです〜。それぐらい把握しとけよな。親友だろ?」
「何処に親友だからって部活の休みまで把握してる奴がいるっていうんだよ」
「ここに」
「はっ倒すぞ」
テンポのいい会話がポンポンと進む。そうだ。これぐらいの距離感でいいんだ。
柊木との最近の距離は近すぎて、なんていうかこう、青春というやつに、心の片隅では憧れている俺の心に刺さってしまう。
「……そうだ。光輝、手出して」
「急だな。……はいよ」
光輝は持っていた飲み物をもう片方の手に移し、パッと手を差し出してきた。
「…………どーぞ」
その手に何かを落とすフリをして、ガッと掴む。
「えっ、怖。急に何??」
そこにはドン引きした光輝の顔があった。さっきまで俺のことを親友と呼んでくれた友の顔には到底見えない。泣きそうだ。
「……これ、最近流行ってるんじゃないの?」
「確かに流行ってはいるけど、それはSNSのカップルの間でだけだろ。何で俺に試したんだよ」
「あー、そうなんだ」
「しかも無表情でいきなり掴んでくるし。普段から気軽に何かをプレゼントする関係性でやるから面白いんだろ、これは。どうせイチカのことだからゴミでもくれるのかと……」
「お前、俺のこと突然ゴミ渡す奴に見えてたの?」
信じられない。もう親友やめようかな……。
しかし、なるほどな。流行りに敏感な光輝が知らないわけがないと思ったが、そうか。カップルの間で流行ってることなら────
「……え、カップルの間で!?!?」
「うるさっ」
俺の叫び声に光輝が耳を押さえて抗議してくる。だが、そんなことを気にしている場合ではない。
よく考えたら、柊木は最近流行っていると言っただけで、友人間の遊びだとは一言も言っていなかった。
そういうところだ。そういうところだぞ。そういうのは、俺じゃなくて彼氏とでも……いや柊木ってそもそも彼氏いるのか。勝手にいないと思っていたが、そうか、世間的にはカリスマクールギャルだもんなぁ。そこから考えると、むしろ居て当然なのかもしれない。
「あーーーー!!」
多分今、俺の頭を解剖したら脳内の9割は柊木のことを考えているのではないだろうか。まだ席替えまで2週間以上ある。これ以上、もうこれ以上。
「…………染められてたまるか」
気持ちに色があるのならば、今、俺の身体はどこまで染まっているのだろうか。
「え、急に独り言とか言われると本当に怖いんですけど。何、ストレス? ストレスなの、イチカちゃん」
「うるせぇな!! そうだよ、多感なお年頃だろうが察しろよ!!! っしゃ、今日はゲーセン行こうぜ!」
「お、久しぶりじゃん。絶対勝つからな、マジで。負けた方がアイス奢りな! ま、ほぼイチカの奢りで確定だろうけど」
「いつまでそんなことが言ってられるかなぁ!」
とりあえず今は思考に蓋をしよう。大概のことはゲームをすれば忘れられる。というより、今までそうやって生きてきた。
だって今、この気持ちに名前をつけたらこのまま死んでしまうような気がしている。そんな言葉を飲み込んで、俺は強引に光輝の肩を組んで今来た道を戻ることにした。
そして、思考を今から勝負するゲームのことで埋め尽くす。こうやって強引にでも気持ちを逸らせているうちは、まだ。
チカ「いやまだ好きじゃない、かわいいしあざといけどまだ好きじゃない。これは全部友達だからだぞ、勘違いするな!!」
リカ「いやまだ友達だよね、それは分かってるしそれでも十分満足だけどいつか好きになってくれないかなぁ……うぅ」