8日目:需要しかない休日1日分
8時20分。俺は、普段の登校時間から考えたら驚くほど早いこの時間に、教室の椅子に座っていた。
「……チカくん?」
「おはよ」
「え、もしかして私、チカくんの幻覚でも見てる? 寝不足だし疲れてるのかな……」
「安心してくれ。密度100%で俺だ。本物だ。信じてくれ」
「…………どうして?」
「どうして!? 俺にだって早起き出来る日はあるからな!?」
教室に入ってきた柊木は、目をパチパチと見開きながら信じられないものを見たような表情で俺を見ていた。信用が、信用があまりにも無さすぎる。俺だってやる時はやるんだぞ。
……まぁ、今日は両親の都合で仕方なく家を早く出なきゃいけなくなったからなんだけど。
「てか、柊木っていつもこの時間に学校来てんの?」
「んー、大体そうかな。この時間に来たら課題のやり忘れとかもどうにかなるし」
「すご……。なら俺もこの時間に来ようかな」
「…………本気? 朝起きれるの??」
「マジで俺、信用ないな!? 言うだけなら良いだろうが!」
「良くないよ!! 変に期待しちゃうでしょ!」
柊木は頬を膨らませてそう言ったあと、しまった、とでも言いたげに口を閉じる。
「あ、いや。えーとその、期待っていうのは、」
「俺がいたら朝からぼっち回避出来るからだろ? 分かってるって」
「……そうだけど、そうじゃないし、もういい」
柊木はそう言うと、少し乱暴に背負っていたリュックを机の横にかけた。ギャル、あまりにも難しすぎないか。それとも俺のコミュニケーション能力が足りないというのか。
どちらかといえば後者なのだろうと思いつつ、課題として出ていた数学のワークを広げた。どうせ明日の朝休みは余裕があるからと手をつけずに学校に来たのだ。
「あ、そういや私も課題やるの忘れてたんだった。一緒にやっていい?」
すると、俺の様子を見た柊木がそう言って、途中から白紙の数学のワークを見せてくる。
「もち。もし授業で当てられたら俺達、他に頼れるやついないもんな」
「そんな虚しいことを真顔で言わないで欲しいんだけど」
柊木が虚無を目に宿しながらそう言ったが。本当に、お互い分からない問題があったら破滅するしかないため、協力しあうしかないのだ。
俺にコミュ力があったら既に終わっている友人に写させてもらうというチート技も取れたのだが、これがコミュ弱の宿命なのだ。そのおかげなのか何なのか、自力で解決しなければ詰むという経験から、俺も柊木もそこそこ成績はいい。なんだ、この切ない利点。
「よーし、頑張ろーっ!!」
虚無に囚われた俺と裏腹に、柊木は何だか元気そうだ。これがJKパワーというやつなのか。
柊木はそう言いながら、LIMEのアイコンと同じウサギのぬいぐるみのついたペンケースを取り出し、ガタガタと俺に机を近づける。そして、俺のワークを覗き込んで「私の方が進んでるじゃん」とマウントを取ってきた。
「1、2問の違いだろ」
「でも多分、私の方が早く終わるもん」
「くっ……何も言い返せない……。数弱連合のみんな、ごめん……!!」
「勝手に代表になられて数弱連合のみんなとしても迷惑だと思うよ?」
かと言って柊木も数学が得意なわけではないため、どの道五十歩百歩な争いなのだが、そう言われるとやっぱり悔しいわけで。
「数弱連合のみんな、俺頑張るよ……!!絶対に柊木よりも先にワークを終わらせてみせる!」
「ふはは。精々頑張るが良いぞ〜」
俺が拳を握りながら口を開くと、柊木は口を手に当てて高笑いをするようなポーズを取った。おいカリスマクールギャル。はたしてそれでいいのか、とも思うが、だからこそ俺達は友達になれたのだろう。
「あー、そういうノリのいいとこ好きだわーー。今の、光輝だったら「馬鹿がよ!」って切り捨てられてたもん」
「……どーも。私も好きだよ、チカくんのノリいいとこ」
「それはどーも」
なんだ、この空気。なんか、なんかなぁ。背筋がむず痒くて、でもそこまで嫌じゃない。俺はそんな気持ちを隠して、呪文のように数字が書いてあるワークに強引に目を向けながら返事をした。
よし、数学だ。数学をやるんだ。時代は数学だよな。いや数学に時代も何もないのだけれど。
高速で頭の中を回る言葉に蓋をし、1問目に取り掛かる。1問目から最早分からない。どうしろっていうんだ。どうか数弱に優しい世界であってくれ。アーメン。
○この公式使うと早いかも。↓
sin(α−β)=sinαcosβ−cosαsinβ
すると、祈りを捧げ始めた俺の様子を見かねた柊木がこっそり、使う公式をノートの端に書いてくれた。さっきは俺が悪かった。数弱連合としても柊木を認めていこうと思う。な、みんな。それでいいだろ?
「あー、マジで助かった。ありがと」
「いーよいーよ。今日のログボってことで」
「ログボの汎用性すごいな??」
やはり人生にログインボーナスは必須なのでは?
と、ここでふと思い出した。そういえば、土曜日にウミウシちゃんガチャのチケットとして渡した、なんでもする券は何に使うつもりなのだろうか。早めに使ってもらわないと忘れかねないのだが。
そう考えた俺は、柊木が問題を解き終わったタイミングで声をかけることにした。
「そういやさ、なんでもする券で俺に頼みたいこととかあったりする? あるなら早めに聞いておきたいんだけど」
「ん? んーー……。そう言われると、特に考えてなかったなぁ……」
そう言ったあと、頬杖をつきながら持っていたシャーペンを鼻と口の間に挟み、んーんー言いながら悩み出す柊木。なんだこれ。あざとさの権化か?
その犯罪級のあざとさをじっと見ていると、柊木があっと声をあげて思いついたように口を開いた。
「そうだ。じゃあ、私もチカくんから今日のログインボーナス欲しい! 」
「今日? 今日は何も持ってないから明日がいいんだけど」
「やだ〜っ!物以外がいいから、逆に今日がいいもん」
「今日、俺に差し出せるものなんて本当に無いぞ?」
○数学のワークの解説→どう考えても無理
○何か見せれるような特技→ない
○シンカナの手伝い→最近手伝ったばかり
○残金→300円
必死にログボになりそうなものを考えるが、何も思いつかなくて困る。その中で、俺が柊木に差し出せて、なおかつ柊木の役に立つ物────
「……俺の休日一日分は?」
「…………へ?」
「今週なら丸々暇だし。荷物持ちでも、ゲームのレベル上げでも、そのスキミー?とやらの撮影スタッフでも何でも手伝うとか」
「え、え!?」
「やっぱ俺の一日ぐらいじゃ足りないよな。なら何が────」
やはりダメか。俺に渡せるものは時間と労働力しかないのだが、そんなものには困っていないらしい。
「足りる! すごーく足りる!!」
柊木のポカンとした顔からそう考えて考え直そうとすると、すごい勢いで手を握られた。驚いて顔を上げると、涙目の柊木がぶんぶんと手を振ってくる。
「むしろお釣りくるやつだよ、それ!? すっごい助かるし、絶対それがいい!」
「マジ? いやでも、もっと生産性あるものの方が、」
「生産性ある。超あるから。生産性しかない。もうその日私のだから、予約したからっ!」
「……別に予約されなくてもガラ空きだけどな。ま、柊木がこれでいいならいいけど」
余程、人手が欲しいことでもあるのだろうか。まぁ柊木がこれでいいと言うのであれば、俺もそれでいいのだが。
「俺はその日一日中暇だから、呼び出したい時に連絡してくれたら、」
「分かった。任せて。あーもう楽しみ、1週間幸せに生きれる」
「そんなに!?」
そこまで喜んでもらえると、俺としても嬉しくなってくる。果たしてどんな週末になるのだろうか、と考えながら、まだまだ白紙の多いワークに目を向けた、その瞬間。
「……あ」
キンコーンと、虚しくもチャイムが鳴り響く音が聞こえた。
ちなみにこのワークは今日の1限目の授業で答え合わせをして、その後提出である。そして勿論、答え合わせは教室の列ごとに答えを言っていく制度である。詰んだ。
「……柊木、どこまで進んだ?」
「チカくんと同じとこまで」
「オッケー、死ぬ時は一緒だぞ」
どうして役割分担してやらなかったのか。それは過去の俺が、20分もあれば余裕でしょ、と自分の実力を過信してワークを始めたからである。無念。
俺は本格的に詰んだ未来を見据えつつ、柊木と机を離して、教室に入ってきた先生から目を逸らしながら必死にワークに向き直った。
そして勿論、その後の授業で当てられたのは俺だけだった。
「何故……何故俺の列しか当たらなかった……」
「道連れにしようとするの良くないよ〜? こういう時は善行を積み上げたって思っとけばいいでしょ」
「……そうだよな! 柊木の代わりに犠牲になった俺のところには流石にクリオネちゃんが…………あ」
「…………どんまいです」