惑わす女
今日もベセリン爺をお伴にして馬車に揺られて学院へと向かいました。校門を過ぎて並木通りを越えると、幾つか建物が有ります。その内、正面ではなくて裏手の校舎に入ります。中の階段を上って三階に進むと、そこが私達、桃組の教室です。
ガラリと横開きの扉を開けますと、なんと、見慣れたいつもの風景では御座いませんでした。乱雑に椅子や机が山のように積まれ、床には藁や小枝がばら蒔かれています。しかも、お隣のシードラゴン組との壁もなくなっていまして、私は驚きました。
誰が何のために? これでは授業にならないではないですか。許すまじき蛮行ですよ。
膨れ上がる感情のために、私はキュッと拳を握ります。
ダメダメ、誰が見ているか分かりません。笑顔は不味いですよ。
思わず喜んでしまいましたが、犯人は私でした。バーダの飼育小屋に改装したことをすっかり忘れていました。
室内に進むと、何とも言い難い足の裏みたいな臭いがするので、窓を開けて換気します。ヤナンカが言っていましたね。この臭いが古竜の排泄物だと。
聖竜様のお部屋もこんな匂いでしたが、あっちならアレをおかずに何個もパンを食べられるのに不思議です。臭いです。
しかし、誰も居ないとは。ガランガドーさんやここの主であるバーダさえ姿が有りません。
ガランガドーさん、どこですか?
『おぉ、主よ。すまぬ。バーダが空を飛びたいと言うので、適当に飛んでおる』
大丈夫ですか? ガランガドーさんは邪悪な外観ですので、知らない人間からすると討伐対象ですよ。
『ガハハ! 主よ、心配無用である。今は雲の上であるのだからな』
そこまで行くと、地上からは見えないか。
了解です。親子水入らずでお楽しみください。
「ぬっ! 巫女よ、バーダがおらぬがどこだ?」
後ろからサルヴァの声がしました。世話係としては気になるところでしょう。
私はガランガドーさんに聞いた通りに答えました。
「そうか……。誇り高い竜にとっては、こんな狭苦しい空間では耐えきれないか」
サルヴァは呟いていますが、その更に後ろにサブリナさんを確認しました。続々と来ますね。
「おはようございます」
晴れ晴れと私は挨拶をします。
「おはよう、メリナ」
「よぉ。昨日は俺の勝ちだったな」
不快なことに剣王も居ました。
昨晩は兄妹で一つの寝床だったのでしょうか。極めてふしだらです。
「私の方が一匙分、多かったと記憶していますよ」
「お前、最初の一口目はスープしか無かったじゃねーか」
いっぱいの蟻の卵が気持ち悪かったんですよね。しかし、お前に私を責める権利はない。
「剣王なる弱き男は手を震わせながら口に含んでいましたね。目も潤んでいましたよ」
「あ?」
「あん?」
サルヴァを追い越して私に詰めてくる剣王が頭を斜めにしながら、私を睨んできます。背丈の差があるものですから、睨み返す私は見下されていまして、大変に不愉快です。
「グハハ、二人とも止めるが良い。昨日の勝者は、この俺、サルヴァであったのだぞ」
そうなんです。
私達が飲み込むのを躊躇している間に、サルヴァが半分ほどを一気に食べたのです。
「メリナもお兄さまも止めて下さい! どうして喧嘩ばかりするんですか? 二人が協力すれば、誰にも負けないのに……。諸国連邦の平和のためにもっと話し合って下さい」
「甘いな、サブリナ。武力で手に入れた平和なんて、それがなくなった途端に破壊されるぞ」
「お兄さま!」
いやー、サブリナさん、少し怒った顔も可愛いですね。剣王が揶揄うのも理解できますよ。
「皆さん、こちらに来ていたのですね」
ショーメ先生も教室にやって来ました。今日も破廉恥な服です。明らかにサイズが合っていない小さい白いブラウスを身に付けておられまして、胸の膨らみが強調されています。襟元のボタンを閉めていなくて首を楽にしているのかなと思いますが、その下のボタンまで開けているのは淫らです。胸元をしっかりと見せてます。
なので、一緒に来ていたレジス教官も嬉しそうです。
「おい、メリナ。ショーメ先生が困っていたぞ。ったく、先生、うちのメリナは問題しか起こさないんですよ。でも、安心してください。こいつの精神は俺が叩き直してやります」
「まぁ、レジス先生は教職の鑑ですね。頼りになります」
ショーメ先生は柔らかい物腰で言います。
ショーメ先生とレジス教官に先導されながら、私達は校舎の中を歩きます。初めて行く廊下もあって、私は何処に向かっているのか分かりません。
しかし、ショーメ先生、今日はいつにも増して扇情的な格好です。スカートを履いておられますが、その丈が太股の半分より上に来ています。風が吹けば中が見えますね。最早、服として機能していないのではと思います。
「……おい、あの女は何者だ……?」
訊いてきたのは剣王です。私にだけ聞こえるように小声でした。やはり強者。ショーメ先生の危険性に早速気付きましたね。
「この学校の教師です。実態は、デュランの元暗部にしてアデリーナ女王の手下です」
「ふっ。純真無垢に見えて影のある女か……。魅力的だな」
こいつ、ダメですね。
「は? あれを純真と呼ぶなら私は何ですかね」
「邪神だろ」
ほう、お前、またもや私を敵に回したいようですね。良いでしょう。お仕置きです。
「サブリナ、大変です! 剣王が、あなたのお兄さまがショーメ先生の色気に飲まれましたよ! お祓いをお願いします!」
「……貴様っ!」
うふふ、睨んでも無駄ですよ。
「メリナ! その剣王ってヤツはどいつだ!?」
真っ先に興奮したのはレジス教官でした。私は黙って横にいる剣王を指差します。
ショーメを巡って争う男たち。先制は剣王でした。
「あ? なんだ、お前? あー、恋人だったら済まなかったな。近い将来、その女は俺の物になるぜ」
まぁ、自信満々です。不遜です。
「こ、恋人だとぉ!?」
レジス教官、ちょっと嬉しそうな顔をしましたが、すぐに我に返って緊張の面持ちです。
その様子をご覧になったショーメ先生はレジス教官の肩に手を置いて落ち着かせました。そういった軽いスキンシップがレジスを惑わせるのです。
爽やかな笑顔をしながら、魔性の女は口を開きました。
「誤解ですよ。レジスさんは素敵な方ですから、光栄ですが、私は男性とお付き合いしたことが有りませんので」
うっそー。海千山千って雰囲気なんですけど。そんな格好で、その発言はないですよ。
「ショーメ先生……。見た目通り、純潔なんですね」
レジスよ、その両眼は完全なる節穴ですか。
「はいはい。では急ぎますよ。お偉方を待たせているんですからね」
ショーメ先生はまた先を歩き始めます。慌てて、その横へレジス教官が駆けました。剣王も続きます。
私も付いていこうとしたのですが、サルヴァとサブリナの気配が御座いませんでした。だから、後ろを振り向きます。
「どうしました――」
私は途中で絶句でした。サブリナが隠しもせずに、すっごい憤怒の顔でした。それを見たサルヴァは固まっております。怖いですよね。分かります。
剣王よ、早く気付いて下さい。そして、サブリナを宥めるのです。このままでは学院内で毒殺事件が発生してしまいますよ。鬼がいるんです。
    




