神殿に戻る。そして、日常に
バシャバシャと冷たい水で顔を洗うと、眠けも幾分か取れた気分です。洗い場から手を振り振りしながら職場に戻ります。
ナーシェルから帰ってきてから、もう10日と少しが経ちました。竜神殿での生活リズムに体が戻りつつあります。でも、それが妙に寂しいと感じることもあるのでした。
「おいっ! メリナ、濡れた手を振り回すなと言っただろ! 書類が汚れる!!」
木製の事務机に座って、私を怒鳴ったのはアシュリンさんです。
「貴様! 今日も仕事をしてないのか!? 諸国連邦で何を学んできた!!」
ひゃー。ヤツの目は節穴で御座います。
「貴族学院を異例の早さで卒業したんですよ、私。つまり、やはり学ぶことなどなかったのです。生まれながらの天才ですから、私」
「調子に乗るなっ!」
「化け物が帰って来てから、騒々しいたらありゃしない」
アシュリンさんの怒鳴り声に続いたのはフロンです。こいつ、また人間の姿に戻ってしまいました。
「ピースフルな日常が懐かしいわね」
部署の部屋にいるのが珍しいルッカさんも、今日は居ます。
「分かります。高貴な私を下げることで、自分達のプライドを保っているんですね。憐れですが、理解して差し上げましょう」
「メリナっ!! グダグダ言うんじゃない! 仕事を始めろと言っている!!」
「もう終わりましたー。後は自由時間でーす」
私はちゃんと朝から洗濯をして、はたきで埃を落として、それで、もう仕事が終わりました。乾いた洗濯物を取り込んで畳むのはフロンの役目です。
アシュリンさんに怒られる筋合いは御座いません。
「ったく……。集団生活が何たるかを全く学んでいないな! 次は軍隊に放り込むぞ!!」
「うふふ。そんな事をされたら、またシャールに攻め込んでやりますよ。そして、アシュリンさんを再び地に転がしましょう」
私はポットから茶を注ぎながら答えます。なんと、先ほどから私に突っ掛かって来る部署の奴らの分もですよ。
ベセリンがやっていたように背筋を伸ばして、静かに優雅にカップを満たしていきます。
「上官への口の聞き方は習っていないようだが、少しは礼儀を覚えたようだな!」
へいへい、好きに言ってなさい。
「あら、巫女さん、サンキュー」
「気が利くじゃん。序でにさ、そこのも外してよ」
フロンが指差したのは、壁に掛かった私の卒業証書と桃組からの寄せ書きでした。それぞれ、店で買った立派な額縁に入れております。
「私が頑張った証ですから、皆に見えるように飾っているんですよ?」
「そりゃ分かるわよ。でもさ、気味悪いじゃん」
「そうだよ、巫女さん。卒業証書は良いけど、そっちのモンスターの絵はクレイジーでしょ?」
仰っている事は分かりますよ。サブリナの絵ですよね。私だって同感です。
「あんたの部屋に置きなよ」
「嫌です。嫌だから、ここに置いているんです!」
「せめて、その真ん中の絵だけくり貫いたら? 巫女さんが余計にホラーな感じになってるし」
「余計ってどういう意味ですか? 私にはホラーな要素なんて一切ないんですけど!」
「止めろ、2人とも! メリナの言うことも尤もだ。それはメリナにとっての勲章なのだから飾ってやるのだ!」
へいへい、どうでも良いですよ。
「あっ、来た。あの魔族紛い」
「アデリーナさんのルームだね」
こいつら魔族の魔力感知は尋常じゃない範囲が分かります。便利で羨ましいです。
しかし、やっとですか。
何日待たせやがったんでしょう、ショーメのヤツは。
「行ってきます!」
わたしは土煙を上げて、アデリーナ様の執務室のある新人寮へと駆けるのでした。
走りながら考えます。
アデリーナ様のお部屋は寮の一番奥。つまり、入り口から一番遠いのです。しかし、私は急いでいます。ならば、選択肢は一つ。
「ウォラーーーッ!!」
アデリーナ様の部屋の壁を外側から拳で破壊します。見事な大穴が空きました。
「……メリナさん?」
瓦礫を頭に乗せたアデリーナ様がこちらを向いて、ニッコリしていました。
今日はご機嫌なのですね。残念ながら、私は忙しいのでお相手出来ません。
メイド服を着たショーメ先生とその横にいる聖女の正装をしたイルゼさんに声を掛け、手を取ります。
「ショーメ先生、遅過ぎです! もう行きますよ!」
「メリナさん、去る前に謝罪すべき事が有るでしょう?」
全く、どうしても私と話をしたいのですかね、この女王は。
「アデリーナ様の代わりに全世界に謝ります。生きていてごめんなさい! はい、イルゼさん、転移をお願いします。」
「えっ……はい」
チラリとアデリーナ様を見たイルゼさんは軽く頭を下げてから、マイアさんのお住まいに私とショーメ先生を連れて転移します。
ここには諸国連邦から運んだ山積みの砂糖の布袋だとか、メンディスさんが私にくれたお菓子とかを保管していたのです。
そして、ショーメ先生から彼女がセレクトした諸国連邦の名物を手渡して頂きます。約束の品です。巨体の聖竜様がご満足される量なのか若干の不安はありますが、小箱に入った詰め合わせです。いずれもわたしが選んだ美味な逸品の数々。
牛乳と砂糖を煮詰めたお菓子とか、林檎の表面を融かした砂糖でコーティングしたものとか、王国でも珍しい物がいっぱい有りまして、それらが収納されているのです。
「では、マイアさん、私を聖竜様の所にお運びください。私とお土産だけで良いですからね」
髪型が変になっていないか、手櫛で整えながらお願いしました。
「はい。分かりました。これだけあれば、ワットちゃんも喜びますね」
ですよねー。ワクワクします。
そんな時、ちょうどのタイミングで頭の中で声が響きます。
『メリナ、メリナ。おらぬか? …………うん、今日も居ないね。さてと一眠り』
聖竜様はシャールに戻ってから毎日、私に話し掛けてくれます。いえ、恐らく、私が諸国連邦が行っている間も続けてくれていたのかもしれません。
居ますよ! メリナ、戻っております!
頭の中に直接響いた聖竜様のお言葉に、私も心の中でお答えします。
『えっ! う、うむ、メリナ、元気そうで良かった。ではな』
はい! 元気です! 今からそちらに行きますので、お待ちください。
『えぇ! て、転移の腕輪はダメであるぞ』
了解です。そのつもりでした。
以前にも聖竜様から、その様に要請されましたので、私は素直に従うのです。
「マイアさん、たった今、聖竜様からお言葉が来ました。早くお願いします。毎日来るんですよ。私は愛されてますね」
「……それ、ワットちゃんが安眠のために確認しているだけなのでは……」
「はい?」
「いえ、何でもありません」
ということで、再び視界が変化しまして、私は聖竜様の前に居ます。お土産物も忘れずにちゃんと後ろにどっさり有ります。
「お久しぶりです」
『つい先日も出会ったと思うのだが』
「そうでしたか? うっかりです」
でっかくて白いドラゴンである聖竜様は首を少しだけ持ち上げて私を見ます。
『して、何用であるか? ここは我の聖域であるため、いくらお前とて気軽に来られては困るのである』
「諸国連邦のお土産を持ってきました。後ろの布袋、全部砂糖です」
『えぇ! 本当!? スッゴい! やったー!! ………………ごほん。メリナ、殊勝な心掛けである。我は嬉しく思うぞ。……ふむぅ……早速、口にしたいなぁ』
既に聖竜様は大きく口を開いて待機しております。私は肩に一つの袋を担ぎ、前に出ました。そして、袋の口を縛る紐を引き千切って、聖竜様の口にザザァと白い粉を注ぎ入れます。
『うわっ! スゴッ! 甘っ!! くぅ、2000年ぶり!! 幸せ!! ヤバッ!』
聖竜様はアイデンティティーが完全に崩壊するほどにお喜びでした。私も幸せです。
もう2袋ほどお食べになられたところで、聖竜様は満足されます。
「こちらの菓子類も美味しいですよ」
『うむ、見せるが良い』
私が箱を開けると聖竜様の巨大な眼が輝いたように感じました。
『刺激的……。ふむ、それは後で食すことにする。では、メリナよ、この度もご苦労であった。ヤナンカの件、マイアより聞いておる』
「食べないんですか?」
『美味しそうだけど、ちっちゃいから、後で人型になって食べ――られたら良いなって妄想したのである。ゆっくり味わうので、そのままにしておくが良い』
不穏な言葉に私の体がビクリとしましたが、妄想らしいので良かったです。本当、世界が崩壊すれば良いのにとか一瞬思ってしまいましたよ。天国から地獄へ一気に叩き落とされるかと感じました。
『して、メリナ。褒美をせねばなるまい。何なりと申すが良い』
「はい。ガランガドーさんを復活させて貰えませんか?」
『ふむ。すまぬが、我は未だ雄化魔法の習得は――えっ、ガランガドー? そんなので良いの?』
「えっ、雄化まだなんですか? お手伝い要りますか?」
『メリナの願いを聞き入れよう。……ふむ、数日待つが良い。放散した魔力を集めようぞ』
「聖竜様、雄化はまだなんですか? 当然に準備完了だと思っていました」
『うっ……願いは1個だけ先着順である……』
「確か、雄化は内戦を止めた上でマイアさん復活とかの褒美でした。先着はそっちですね。私、間違えてません。聖竜様……私は間違えていませんよね? ねぇ?」
『鋭意尽力中であるため、待ってください』
「……はい。聖竜様は締め切りがあると仕事が早くなるタイプですか?」
『いいえ。胃が痛くなるタイプです』
そっかぁ。じゃあ、待つしか御座いませんね。残念です。難易度は分かります。私であっても、雄化魔法を完成させろと言われたら困りますもの。
『あれ? メリナよ、その箱の奥にアデリーナの魔力が籠っておるな』
ん? ショーメセレクションの箱ですか? そんなところにアデリーナ様の魔力?
……毒か……?
アデリーナ様は「自分より上位に他の者が存在するのは許されない」と常々言っておりました。そんな彼女が聖竜様に毒を盛る可能性……十分に有り得ます。
マジで私との殺し合いを望まれているのですね、アデリーナ様。これは洒落では終わらせませんよ!
私は小箱の底を調べます。日記帳が入っていました。また、その上にアデリーナ様の手紙も有りました。
「聖竜様宛ですね」
『ちょっと紙を広げて見せて』
「はい」
『その帳面を我へ進奉?』
なるほど。私が聖竜様のシャールを離れていた期間について、報告するということですね。ふむふむ、アデリーナ様も一応は私を労って、聖竜様との仲を取り持つということですか。少しだけ成長しましたね、アデリーナ様。殺さないで置きましょう。
『パラパラで良いので、開帳して見せるが良い』
「仰せの通りに」
私は1頁ずつ丁寧に日記帳を開いて、ご覧に頂きました。
『えっ、何、この怪文書? 怖い』
「私の日記帳ですよ」
『余計に動揺を隠せません。2日目にして股間とかチンチングとか有るよね? 我、何で読まされたの……?』
「すみません。チンチングについては、諸国連邦に行ったばかりで、テンションが上がっていたのだと思います。私も反省しています」
しばらく沈黙の時間が流れました。
『何はともあれ、メリナよ。ヤナンカを悔い改めさせた件、感謝する』
私は殴り付けただけで、殺したのはショーメ先生です。そして、別にヤナンカは悔い改めてなかったと思うのですが、黙っています。
「ありがとうございます」
『我の鱗を受け取るが良い』
っ!?
えぇ!! すごく嬉しいですけど、それ、何の役に立つんですか!? でも、欲しいです!
「良いんですか!?」
聖竜様は無言で頷きます。なので、私はバリバリバリと聖竜様の体から剥ぎました。私の身長くらいの大きさの物が5枚くらいです。
『……信じらんない。普通は1枚』
悲鳴っぽい叫びの後に、聖竜様は呟きになられました。なお、既に素晴らしい回復力でお体に傷は残っておりません。
「すみません。まさか皮ごとくっついて一纏めで取れるとは思いませんでした。力任せに引っ張ったのがよく有りませんでしたかね。でも、このメリナ、一生の宝とします!」
『薬屋に売ったら高価買い取り間違いなしだから、売るが良い』
「いいえ。婚約指輪的な物だと解釈しております!」
『はぁ、学校に行ったのに、人間の男性に恋とかしなかったかぁ』
「するはずありませんよ。……聖竜様はジョークが下手ですね」
『……学校、楽しかった?』
「はい! 行かせて頂きありがとう御座いました! 友人も出来ましたし、邪神も滅ぼしました。でも、これからも聖竜様のために神殿で精進します!」
『そっかぁ。うん、良かったかも。それでは、お疲れ様です』
聖竜様は私を転送する前に、鋭い爪が生えた腕で私の頭をそっと撫でてくれました。
私は顔が真っ赤になっていたことでしょう。
さて、明日からは神殿でお務めの日々に戻ります。私はグッと拳に力を込めて気合いを入れました。
柔らかい太陽の光が私の将来を祝福しているようです。
だから、烈火の如く怒っているであろうアデリーナ様、部屋を破壊したことをお許しください。聖竜様、お助けください。
これにて見習い巫女編に続く、拳王編を完とします。読了ありがとう御座いました!
次の話も考えていまして、それでメリナさんの話は完結に出来たらと思っています。(本当に長い話になってしまっているなぁ)
次のメリナさんの話に入る前に、10万字までで別の話を書きたいとも思っています。私の作品(竜の巫女以外でも)のキャラクターで「これを主人公に書いて欲しいなぁ」ってのが有りましたら、感想でお知らせ下さい。もしも、複数の希望が御座いましたら厳正な抽選にします。今日から3日間くらいで(5/17まで)募集して、それから一週間後くらいに投稿開始できたらと思っています。「第○○話でメリナさんに砕かれた石」とかでも書けると思いますので、ご希望が御座いましたら、宜しくお願いします。
⇒抽選の結果、メリナさんのお母さんで連載開始しました。
『病弱な娘を大事に育てたら、国に反乱を起こすおバカになったので殴りに行きます』
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