良い生徒
私は職員室を訪れました。今日はベセリン爺にお願いして、いつもより早い時間に登校しております。
何人かの教師たちは見えましたが、並んだ机があるにも関わらず、この教室より広い部屋にいる数は少なく、まばらです。まだ学校に来ていなかったり、校門で立ったりしているのでしょう。
それでも、ショーメ先生は席にいて、何かをカリカリ書いていました。
でも、私がここを訪問した目的は彼女ではありません。メガネババァこと副学長です。
上座になるのでしょうか、部屋の奥の方で彼女は他の教師を見る方向に座っていました。
私は物怖じせず歩みを進めます。
「おはようございます」
友好的態度は必須です。私は笑顔。そよ風が気持ち良い春日和のように爽やかなスマイル。
「む? メリナさん、テスト前の職員室に入って問題用紙でも盗むつもりですか?」
まぁ、なんてグッドアイデアなのでしょう。最悪の場合はそれを採用します。
しかし! 私は副学長に優しく小声で話し掛けます。
「サルヴァ殿下とは一夜の過ちですかね……?」
副学長は椅子から飛ぶのではという勢いで体を大きく震わし、その結果、眼鏡がずれてしまいました。
「な、なんで、それを――」
青褪めた顔で眼鏡を元の位置に戻そうとしていました。その反応は隠したい意向だったのですね。ならば、計画を進めやすい。
「サルヴァ殿下は愛を知ったと仰っておりましたよ、うふふ」
「メ、メリナさん、あなたは私を――」
「大声はダメで御座います。禁断の愛が皆の耳に入りますよ? これは私達だけの秘密にしましょうか。私の要求を聞いて頂ければですけどね」
くくく。
酸いも甘いも経験している私に掛かれば、素人を脅して要望を通すことなど容易いのです。しかし、私は礼儀を忘れない女。
「副学長、詰まらないものですが、私からの祝福で御座います」
お渡ししましたのは革袋にずっしりと入った金貨です。最近は特に使うことがないので有り余っていますので、有効活用したいと思っていました。
「お二人の門出にお使い下さい」
中を覗いた副学長は驚いていました。
「こ、これじゃ、買収――」
「いえ、祝福です。竜の巫女よりの祝福で御座いますよ」
全く言葉には気を付けて貰いたいです。買収って、何か犯罪みたいじゃないですか。
私はそんなつもりは全くなくて、ただ、気持ち良く私を教師にするための書類に判を押してもらいたいだけなのです。
誤解はいけません。私は犯罪者じゃない。そんな思いから、私の言葉にも熱が入ります。
「私、本当に応援しているんですっ! 幸せを願っています!」
そう蟻さんに対するのと同じくらいに。
「まぁ……。メリナさん、そんなにまで……。私は誤解していたようです。ごめんなさいね」
メガネの奥にキラリと光る涙が見えました。私達、分かり合えたみたいです。
彼女の気が変わらない内に、早々に手続きを進める必要があります。学長の居場所を尋ねます。できれば、このまま朝の内に私の教員登用を確定させたい。
「えっ、学長ですか。午前は用事がありますから、午後から出勤の予定ですね」
なぬ!
それはまずい!
「確か、今日は宮廷の方で打ち合わせだったと――」
「よぉ! メリナ! おはよう! 今から朝の会だぞ。一緒に行くか!」
後ろからレジスに声を掛けられてしまいます。
無視をする。そんな選択肢が最も良いのでしょう。それはよく理解していました。一刻も早く、宮廷に乗り込むべきなのです。
しかし、レジスとはショーメ先生との仲を取り持つと約束しました。ショーメ先生にその気がなくても私の協力があれば余裕なのです!
ここはチャンス到来ですよ。レジスの有能性をショーメ先生に認めさせるのです。そして、「あれ? もっとハニートラップに掛けちゃおうかな」と思わせるのです。
「はい! レジス教官! 朝の会に行きましょう! 私、何だかレジス教官の言葉にだけは従いたくなります! さすがです! 凄いです!」
言っている自分が恥ずかしいですが、我慢です。レジスには情報を貰ったという恩義が有りますから。
私の狂乱にも似た様子でさえも、ショーメ先生はうっすらとした笑顔のままでした。何たる精神力でしょうか。
しかし、こちらを見ていました。恐らくは、レジスの生徒指導の優秀さに目を見張ったのではないかと考えます。
「そうか! 放課後の補講もちゃんと出ろよ!」
「はい! 全く、全然、ほんの少しも受けたい気持ちはなかったのに、今はヤル気満々です! レジス教官は何か特殊な能力でもあるんでしょうか。私のようなエレガンツなシティガールも言葉に惹かれてしまいます! さあ、私の四番目くらいの生き甲斐である朝の会に向かいましょう!」
やり過ぎるくらいでないと、ショーメ先生はレジス教官を見てくれません。
さぁ、この餌に食らい付くが良い、ショーメ。一度で無理なら二度、三度です。
極めて優秀な私を手綱つけてしまう程のデキる男レジスっていうのを演出してやります。そうすれば、やがて、ショーメ先生も氷のような冷たい心を融かして、レジス教官に心惹かれる時が来るでしょう。
さて、私はレジス教官とともに職員室を出ました。
黙って教室へと進みます。鳥肌が立っていた事に気付いて、自分がかなりのストレスを感じていたことを知りました。そこまで身を削る私は、なんと教官想いの良い生徒なのでしょうか。
校舎間の渡り廊下を通過する時でした。二人の女子生徒とスレ違う形になります。何だか優雅な雰囲気で楽しそうに話をしていて、うん、貴族って感じの人達です。
「まぁ、ラインカウ様からお食事のご招待?」
「えぇ、まぁ……。でも、アンリファ、これは秘密でお願い致します。私、ちゃんと婚約者がいますので、お断りをしようかと」
「そんな勿体ないよ。ラインカウ様と言えば、今は連邦を動かす宰相の息子。絶対に出世するよ」
「えぇ、でも、私にはマールデルグ様がいますから……」
「エナリースは義理堅いもんね。でも、ほら、ご両親だってラインカウ様ならお喜びになられるんじゃないのかな」
「うーん、でも、でもね、マールデルグ様って寝癖が可愛くて……」
「まぁ、また惚気て。ほんと、エナリースは一途だよね。そこがラインカウ様のお心を射止めたのかしら」
「そ、そんなんじゃないよ。まだ恋って分からなくて……。マ、マールデルグ様だって、親が決めたんだから……」
反吐が出ますね。死んどけ。
あっ、いえ、そう思ってはダメです。羨ましいです。私、実はそっちサイドの人間じゃないかなと思います。さっきの負の感情は、欲しいものが手に入っていないからですよ。きっとそうです。
「どうした、メリナ?」
「いえ、さっきの人達、うちのクラスとは違う雰囲気だなって思いまして」
「う、うん、まあな。どちらかと言うと、俺たちのクラスが異質なんだけどな」
はい。
教室に入って、私は実感しました。
私の人一倍豪華な机が横倒しに倒れていまして、何個かの靴跡まで残されています。
「よぉ、レジス。俺達の席がねーんだけど、どうなってんだよ?」
無惨な私の机の横にいたサルヴァの取り巻きがレジス教官に無礼な物言いをしまして、私は状況を察します。