行っけーーっ、メリナさん!!
見る見る内に膨れ上がって、私の背丈の3倍はあるサイズに成長するまで、あっという間でした。
ヤナンカの体は金属みたいな光沢が有るのに、水みたいに表面が自由に形を変える奇妙な物になっています。全体としては葉の上に乗った朝露みたいで、いつだったか、ケイトさんが手に乗せてくれた水銀に似ていました。
「会話なんかせずにノータイムで攻撃すれば良かったんじゃないですか?」
魔力吸収しているのは知っていたのですから、こうなる前に叩くべきだったと私は遅い主張をしました。私自身もヤナンカの考えを確認していた訳ですから、只の愚痴だとは分かっています。
「何をしても勝てないと心底実感させるのも大切なので御座いますよ。さぁ、絶望を差し上げましょう」
アデリーナ様が薄く笑いながら答えてくれました。日光に彼女の金髪がキラキラと輝いていて、酷薄な表情との対比がとても彼女らしいです。
「スライムみたいな化け物ですね。メリナ様、打撃は効きにくいかもしれませんよ」
ショーメ先生の言う通りで、殴ってもズボッと腕が入って終わりな気がします。下手したら、体ごと飲まれて窒息死まで有ります。
「来るわよ」
フロンの警告とともにヤナンカだった化け物は表面の一部を長く伸ばして槍のように私達を襲いました。
速いですが、私達が避けられないという程の攻撃でも御座いません。あっさりと躱します。
続いて、化け物の表面に無数の突起が出来ました。あれが全て、また槍になるのであれば厄介ですね。
「私に任せな」
フロンが前へと出ます。出会った当初こそ苦戦をしましたが、成長した私からすると、彼女の戦闘能力は長く鋭い爪と素早さだけが気になるだけで大したことは無いと感じています。
なので、槍に刺さる囮になってくれたら良いなと思いました。
「久遠の営みと留めを願った我は、炳炳たる貙虎を澱み焄べて嬌姿を踊る。其は豪挙にして婬らを孕み――」
私の予想した通り、化け物の突起は伸びまして、水滴みたいだった体が栗のイガみたいになり、そして、そのトゲが更に伸びて私達に迫ります。無数の槍は自由に方向を変化させるくらいに柔軟性があり、視界いっぱいに広がったそれらを避けるのは少し手間です。やはりここは、フロンが全部を受け止めてくれないかなと思いました。
とは言え、各々がヒョイヒョイと避けます。結構なスピードですが、実力者たる私達には然程難しく有りません。ただ、これでは避けているだけで反撃できませんね。
幸いにも、一旦、トゲが化け物の元へと戻りました。あれだけ動くのですから、魔力を激しく使う為に稼働時間の制限があるのでしょう。
小声が聞こえて、フロンの詠唱が続いていることを知ります。
「――允当たる陰匿と堙厄とも成らん陰徳を灯す。刑訊は甜く、弄花を騒ぐ。擾々と坦々と、また、比々に截々と、馮陵を愉しむ。然りて、憂悶は去り、雨氷たる青柳の麗色を眺めん」
フロンが魔法詠唱を終えると、私達の前に壁が現れます。目には見えませんが、魔力的には感知できました。
間を置かず、化け物の攻撃がそれに激突し、その全てを跳ね返しました。壁は最後に粉々になって消えますが、私は凌ぎきった効果に感心します。
ヤナンカが魔力が満ちたと告げて変化した化け物が弱いはずもなく、フロンの防御魔法はかなり高いレベルにあると思います。
「ハァハァ。ど、どう? 私、どちらかというと受けの方が得意なのよ」
はいはい。分かりましたから、息を整えなさい。高度な魔法を無理して発動したせいで疲労を隠せていませんよ。自慢たらしく笑顔をこっちに向け前にすることがあるでしょう。
「フロン、よくやりました。続けなさい」
さすがアデリーナ様。鬼です。フロンの消耗に一切の配慮が有りません。
「アディちゃん!? うん! 頑張るよ!」
がんばれー、フロン。その先は魔力枯れが待っていると思いますが、骨は拾ってやりますよ。
って、もう2枚目の壁が用意されました。
「箆。矧ぐ。矫めて发つは 薨る殃」
アデリーナ様が手を横に素早く振ると、光る矢が出現します。矢尻が大きな鎌みたいになったそれは、フロンが再び出した魔力の壁を突き破ってヤナンカだった化け物に向かいます。
そして、分断。
光る矢の魔法を得意とするアデリーナ様。今回も抜群の威力です。この魔法があるからこそ、私は彼女を恐れるのです。
あと、詠唱句は禍々しいくせに魔法自体は神々しくて、アデリーナ様らしいと思います。更に、フロンが折角出した壁を味方側が破壊するのはどうなのかと迷わなかったのでしょうか。
あっ、壁の固さを調べたのかな。
しかし、化け物は上下二つに分けられたのに何事も無かったかのように合一して、またトゲトゲの攻撃体勢になりました。
では、私もやりますか。火の雲を出します。あれと似た感じのスライムなんかだとすぐに干からびて死ぬのですが、どうでしょうか。
何も起きませんでした。火を気にすること無く、化け物はトゲを触手みたいに伸ばしてフロンがまた構築した壁にぶつかります。
「魔法、効かないですね。ショーメ先生が言う通り、あーいうタイプは恐らく物理攻撃もダメですよ。どうします?」
「メリナさんが近付いて、魔力を奪えばよろしいと思います。宜しくお願い致します」
「かなりハードな依頼ですよ、それ」
タイミングが悪ければ、全身が串刺しですもの。トゲトゲの攻撃を避ける時に試せば良いでしょうか。いやー、でも吸ってる最中に回りから刺されるなぁ。
「メリナさんなら可能でしょう。さぁ、お行きなさい」
やるしか御座いませんかね。不可能ではないと思いますし。
しかし、まだ働いていない人がここにいます。確認しておきましょう。
「ショーメ先生は?」
「どうしましょうかねぇ。メリナ様が解決してくれるなら、それに越した事はないのですが。うーん、あの化け物の奥に本体が有るんですよね」
「本体?」
「頭領の形のままの魔力が見えます。恐らくはあの動く金属みたいな物は鎧ではないでしょうか」
全身鎧の概念を吹き飛ばす画期的な姿ですよ、あれ。人間の形をしていないんですから。
「なるほど、あの中にはヤナンカがいるので御座いますか。フェリス、巫女長を連れてきなさい。精神魔法を放って貰いましょう。あれは全てを貫いて効果を出せます」
えー、それは両刃の剣ですよ、アデリーナ様。我々も危ないです。
「承知致しました」
巫女長の怖さを知らないショーメ先生は即座に姿を消して、転移魔法で巫女長を迎えに行ったみたいです。
先生は仕事が早すぎて困ります。止める時間が有りませんでした。
「さぁ、メリナさん、背水の陣みたいな物ですよ。フローレンス巫女長がいらっしゃる前に片付けないといけません。酷いことになるでしょう。さあ、私が援護します! 合図と共に突っ込むのです! まず、フロン! メリナさんが接敵するまで、その壁を可能な限り、あの化け物までの間に何枚も置きなさい!」
自らを追い込み、奮い立たせた訳ですか。ならば、その意を汲んで私も従いましょう。
「えっ、アディちゃん? どう言うこと?」
「指示を一度で理解できないのは無能な証拠で御座います。今回は許しますが、フロン、私の傍に仕えたいのならば気を付けなさい」
「も、勿論、理解してるよ! うん、いっぱい壁を作るって」
フロンの連続詠唱により、全く敵を寄せ付けない壁が10枚、20枚と出来上がります。
「ハァハァ、グッ、ハァハァハァハァ……ど……どう……か……な……?」
短時間で急激な魔力消費をしたフロンは息を切らしながら、アデリーナ様の確認を求めました
その間も化け物は何回か攻撃を繰り出しており、あっちに近い壁が何枚か破壊されました。
「強度が少し足りませんね。質より量を優先したので御座いますか。が、十分です。もう休んで構いません」
「よ……よかった……アディちゃん」
そのまま、すっとフロンは意識を失って倒れます。魔力が少なくなり過ぎて、体内の魔力の循環に支障が出たのでしょう。
それが良い方向に転びました。フロンの体が滲み、縮んで、黒い猫となったのです。
ふーみゃんです。ふーみゃんの復活です!
抜け目のないアデリーナ様は動かないふーみゃんを抱いて、安全な後方へ移動させました。グッショブですよ!
不思議です。フロンの姿ならば倒れていても気にも留めないのに、ふーみゃんになると、私もアデリーナ様も大変に心配になります。姿は違えど全く同じ個体ですし、合理的に考えたら、フロンが死ねばふーみゃんも失うと分かるのに、何故に我々はこうなるのでしょう。
前々から疑問に感じていましたが、これ、絶対に何かの魔法の効力ですね。しかも、ふーみゃんが大変に可愛らしいから、解除したいとも思わないヤツですよ。何て悪辣な行為なんでしょう。メッですよ、ふーみゃん。
たぶん、私もアデリーナ様もふーみゃんの魔法に引っ掛かるのは無意識的に許容しているのです。しかし、それもまた良しです。
「アデリーナ様! やりましたね! もう勝ったような気分になりました!」
「えぇ、メリナさん。私も大変に嬉しいで御座います。こんな些末な事で私の大切なふーみゃんを取り戻せるとは思ってもおりませんでした。しかし、今は目の前にいる頭の固くて古臭い者を懲らしめましょうか」
「了解ですっ!」
「一直線で御座いますよ」
「なるほど!」
ガシンガシンとフロンが出した透明な壁を叩くと言った方が良い感じで刺し続ける化け物。また壁を数枚、崩壊させたようです。
急ぎましょう。
アデリーナ様のやりたいことは理解できています。恐らく完璧に。
「宜しいですか、メリナさん?」
「万全です」
私は足に力を込めます。そして、アデリーナ様の詠唱。
「箆。矧ぐ。矫めて发つは餓える虚」
アデリーナ様の前で魔力が固まります。
「行っけーーっ、メリナさん!!」
同時に、極太の矢が放たれます。もはや攻城戦で門を破壊する兵器に付いている木槌みたいなサイズです。
「頑張りますっ!!」
その矢を追って私は飛び出しました。フロンが出した壁を矢が破壊し、その猛スピードに負けない速さで私がその軌跡の後ろに入るのです。
光陰矢の如しとは言いますが、私の移動も光の様な物だったかもしれません。
この方法ならば、化け物のトゲトゲを恐れずに前進でき、また、矢で傷ついた化け物が修復するまでの間、ヤツは攻撃を停止すると判断したのでした。
化け物のど真ん中を撃ち抜いた矢は、もしかしたら、中にいる本体をも滅ぼしているかもしれません。しかし、私は私の役目を遂行するまでです。
手で化け物を触れます。私の出した炎の雲の影響か、とても熱かったですが火傷など我慢です。一気に魔力を吸い取ってやります!
私の魔力操作の範囲内にある正面は問題ありませんが、どうにか体の大穴を塞いだ化け物は上下左右から私を刺そうと無数のトゲが迫ってくるのが分かりました。
無視です。届きませんから。
固定化された魔力の吸収に専念します。
私を殺そうとする敵の攻撃はやはり無効化され、残骸が周囲にビチャビチャと飛び散ります。
これはアデリーナ様の援護の結果です。正確無比な矢でトゲを打ち払い、私を守ってくれたのです。一本くらい私の背中を射つかと覚悟していたのですが、今回は大丈夫でした。今回は。次回は分からないので、アデリーナ様には油断なりません。
化け物は苦しそうに体表を揺らがせます。無駄です。私はグングンと魔力を自分の物へとし、化け物は小さくなっていきます。
「アデリーナ様、終わりました」
「ご苦労様です」
「首を捥いでおきますね」
最後に残ったヤナンカの形をした金属が残ったんですよね。これは私が頑張っても吸いきれなくて、ショーメ先生が本体と呼んだヤツなんだと思います。
うつ伏せになっているそれの後ろ首に足を置いて、首を断とうとしたのですが、消えました。
転移魔法か……。しぶといです。
「あなたは本当に強いね。びっくりした」
声は離れた所からしました。
姿はヤナンカと同じですが、化け物と同じ銀色でした。表面も不気味に波打っています。そして、何より喋り方が異なりますので、うん、あれはヤナンカではない何かです。
光の矢が金属光沢をしたそいつの顔面を貫きます。アデリーナ様の容赦ない一撃です。ありがとう御座います。
しかし、見る間に傷は修復しました。その生命力の強さと傷の癒える様子が、最近出会っていないルッカさんを思い出させました。