世界
「透様!」
「透!」
その声を無視して宮本は走り去る。先が見えない長い廊下を宮本はひたすらに走った。
「本当に何なんだ、ここは・・・」
しかし、予想以上にこの城は広かった。入り組んだ内部は迷路のようであり、必死に出口を探しているのに出口を見つけるどころか、同じところをぐるぐると回っているように感じさせる。宮本は長い廊下を抜けいくつもの扉を開けては大広間を横切った。
ひたすらに走った。肺が張り裂けそうになった。肉が千切れそうなくらい足を動かして、少しでも前に進もうと地面を蹴った。だが、宮本の身体は徐々に重くなっていく。城を出ようとする宮本の意思に反して体は力を失っていく。体力は次第に底をつき、最後には全て使い果たしてその場に倒れ込んでしまった。
遠い意識の中、誰かに呼ばれている。優しく心地の良い声だった。それが誰の声かまでは分からなかったが自分を呼ぶ声に誘われて宮本は目を覚ました。
視界に映ったのは心配そうに顔を覗き込む椎名の顔だった。椎名は宮本がそれを口にするよりも早く言葉を発した。
「透、大丈夫?」
眉を下げて椎名は尋ねてくる。その声は明らかに先ほどよりもトーンが低い、よほど心配だったのだろう。宮本は落ち込んだ椎名をなだめるように言った。
「大丈夫、急に走ったから疲れただけ。それと、さっきは本当にごめん。俺、どうかしてた。」
「・・・いい、気にしてないから。」
目を逸らして椎名はそう言った。よく見ると椎名の目にはまだ涙が残っている。
宮本は心が痛んだ。混乱していたとはいえ椎名を傷付けた、嫌われてもおかしくなかっただろう。それなのに自分を心配してくれる彼女の姿を宮本は見ていられなかった。
宮本は上体を起こしながら椎名に尋ねた。
「ここは?」
「二階の客間。廊下に倒れているあなたを使用人が見つけて運んできてくれたの。」
宮本は使用人という聞き慣れない単語に気を取られながらも周りを見渡す。部屋は煌びやかな調度品で彩られており、最初に目覚めた部屋よりも狭かったが、充分な広さがあった。
宮本が部屋を観察していると部屋の扉が開き、スーツ姿の男性がワゴンを押して入ってくる。男性は扉の近くで深々と一礼すると宮本の元に近づいて宮本に尋ねた。
「透様、ご気分は優れましたでしょうか?」
「あ、ああ、まあ・・・一応。」
宮本は戸惑いつつも答えると男性はその言葉に安堵した様子でよかったと口にするとワゴンに乗っていたコップに水を注ぐ。ワゴンに目を向けると、そこには水の他にチョコレートと軽めの食事が乗っていた。
「お水でございます。」
男性はそう言って先ほどコップに注いだ水を宮本に差し出した。宮本はそれを受け取り一気に飲み干す。
どうやら宮本が眠っている間に医者が軽く診てくれたらしく、訊けば宮本は軽い貧血を起こしたのではないかとのことだった。事情を聴いた宮本がコップを男性に返すと貧血にはチョコレートが良いと言って数個のチョコレートの乗った皿を差し出してくれる。
「透様、学校はいかがなさいましょうか。お車の準備は出来ているのですが。」
男性にそう尋ねられ一瞬悩んだが、ここに留まっていても仕方がないと思い、登校することを決断する。宮本が登校することを伝えると、男性は「かしこまりました」と言い残して退室した。
宮本は椎名に心配されながらもワゴンに残った食事を食べて、彼女と共に学校へ向かった。
宮本と椎名は全長の長い車に乗り学校へ向かう。昨日までの自分からは想像もつかない扱いをされている。宮本は平静を装っているものの、未だに理解が追い付いていない。
どうなっているのだろうか、自分はどうなってしまったのだろうか、これまでの扱いも、周囲の人間も、車窓から見える景色さえも自分が見知っているものじゃない。
そんなことを悶々と考えている内に学校に到着したようで、車が路肩に止められた。運転をしていた使用人が運転席から車外へ出て二人が乗る座席の扉を開ける。
「ありがとう。」
宮本は開けてくれた使用人にお礼を言って車外に出るが、車に連れられて着いた学校は車窓から見た町と同じように宮本が知っているものじゃなかった。
まず校舎が見えない。門から伝わってくる名門校の様な独特の雰囲気と敷地の広さ、横を向けば自分らと同じ様に送迎をする高級車の列、何もかもが違う。制服が同じものだからもしかしたら学校はと思っていたのだが、期待が外れた。
「どうしたの、いこ?」
椎名に促されて宮本は校舎へ向かう。周りには同じ制服を着た生徒たちが歩いているが、心なしかその生徒らがこちらに視線も向けている気がした。
「よ!透‼」
不意に後ろから声をかけられる。宮本が振り返ると目の前には全く見覚えのない生徒が立っていた。宮本は一応挨拶を返すがいくら頭の中をひっくり返しても名前が出てこない。
その生徒は宮本に挨拶だけすると日直だの何だのと言って急いだ様子で校舎へ走って行った。それを見届けた宮本は横にいる椎名に彼は誰かと尋ねると彼女は驚いた表情をして答えた。
「誰って上条君でしょ?親友の。」
「え、そう・・・だっけ?」
「ねえ、本当に今日はどうしたの?朝から意味の分からないこと言うし、親友を覚えてないみたいに言うし、私のことも名前で呼んでくれない・・・」
不安げな表情をして椎名が言った。宮本は慌てた声で「大丈夫、まだ寝ぼけてるだけ」と少し無理のある言い訳をした。
しかし、椎名から名前を聞いてもピンとこない。そもそも上条なんて奴はいただろうか。もし本当に親しい間柄だったなら、名前は憶えていなくても顔くらいは憶えているはず。なのに、顔も憶えていないのだから、彼と会ったのは初めて会ったのではないだろうか。
納得してない椎名を何とか誤魔化して宮本は椎名と共に授業を受けた。
時は流れて昼休み。椎名に食堂で昼食を食べようと誘われたが、自分は保健室に行くと断って一人教室を出る。付いて行くと言って後をついてくる椎名に宮本は、「ひとりで行けるよ、それよりお昼食べといで」と笑って彼女と別れた。
宮本は校舎を見て回り校庭へと出た。見慣れない校舎を歩いていた時、色んな生徒とすれ違ったが、椎名以外に宮本が知っている生徒に出会うことはなかった。校庭に出てもそれは変わらず、まるで、制服は同じなのに別の学校にいるかの様だった。
やたらと広い校庭を歩いていた宮本は近くにあったベンチに腰を下ろした。周りに人はおらず、静かで木々に包まれたこの場所は学校である事を忘れさせる。ただ、秋も終わるだけあって吹きつけてくる風が冷たい。
ようやく一人になった宮本は改めてこの異変のことを考える。とは言え、分かっていることなんてここが自分の知る世界ではないということだけ。
まるで別の世界だ。町も学校も友達もすべてが知らないものになっており、唯一知っている椎名もあの様子、それなのに周りはそれを異常だと感じていない。最早信じられるものは何一つない。
もしかして昨日まで見ていたものが夢で、今見ているものが現実なのか?そんな風にさえ思えてしまう。
――これは一体、どうなってるんだ・・・――
宮本が途方に暮れていると、突然誰かから声をかけられた。
「随分とお疲れのようだな。」
ゆっくりと顔を上げると、フードを深々と被った男が目の前に立っていた。着ている服は所々破れており、微かに確認できる顔の口周りには濃い髭が生えていた。
「その様子じゃあ、今何が起きてるか分からねぇみたいだな。」
「・・・?」
その男は、ただでさえ混乱している頭をさらにかき乱すように話を続ける。
「無理もねぇか。これはお前じゃ到底理解できるような事じゃないからな。」
「何なんだ、お前はさっきから・・・」
「強いて言うなら、そうだな・・・お前と同じように、この世界の異変に気付いてる変人かな。」
その言葉に宮本は驚愕する。自分以外にこの町の異変に気付いている人間がいたことに。
宮本は思はず立ち上がり、男の襟をつかむ。
「お前も気付いてんか⁉この異変に!」
「気付いてるも何もおかしいだろ。昨日まで普通の学校に行って、普通の友人と会い、普通の授業を受けていた。昨日までただの普通の日常を歩んでいた。なのに、今のお前は、王族としての扱いを受けている。こんな事はありえない。」
「じゃあ!この状況は一体何なんだ!昨日まであった学校も昨日までいたみんなも消えてるし、椎名もおかしくなってるし、これは一体!」
宮本は男に問い詰めた。何者かも知らない男に縋った。今の宮本には何も分からなかったし、何も出来なかったからだ。
男は興奮した宮本とは対照的に落ち着いた様子で静かに話し始める。
「この時間枝でいうと、本日未明。大規模な歴史改変が起きた。」
「・・・歴史、改変?」
男の襟を掴んでいた手が滑り落ちる。おそらく、人生の中で一度として聞くことのない言葉を言われ、宮本は困惑する。
男は顔を校庭の広場に向け、話を続ける。
「言い換えれば〝タイムパラドックス〟と言うやつだ。過去で起きた歴史の矛盾、その矛盾によって未来が書き換えられてしまう。この事態がまさにそれだ。」
過去で起きた矛盾?書き換え?男が何を言っているのか宮本には全く分からなかった。
そんな宮本を差し置いて男は淡々と説明していく。
「事の発端は、一体のアンドロイドだった。そのアンドロイドは試験運用中にいきなり暴走、緊急停止信号を拒絶し研究施設を破壊。別の棟で時空間研究をしていた研究員から時空間転送機を盗み取ったアンドロイドは、それを使用して過去へ飛び歴史を変えてしまった。」
男は宮本に顔を向ける。頭が混乱する中、宮本は少しでも理解しようと言葉を発した。
「アン、ドロイド?暴走?歴史を変えた?何言ってんのか分かんねぇよ。大体、時空なんたらってなんだよ。過去に飛ぶって、それじゃあまるでタイムマシン・・・」
「実際それと同じだ。」
それを聞いて思わず宮本は男を問いただした。
「タイムマシンなんてものがある訳がないだろ!アニメやドラマじゃないんだし!嘘を吐くならもっとましな嘘を――」
「一体誰が、俺がこの時代の人間だって言った?」
思いがけない言葉に宮本は思わず言葉を失った。
「言い忘れてたが、お前からして俺は未来から来た人間、いわゆる未来人と言うやつだ。事を犯したアンドロイドもまた同様に。」
この男は何を言っているんだ、とてもじゃないが理解が追い付かない。
「それにしても、滅茶苦茶な歴史になったものだ。かつて一つだったこの国は二つに分けられ、元々あった日本国と新たにできた名古屋都国との分断国家へとなり果てた。今や日本国はその国土を関東地方にまで縮小され、それ以外を名古屋都国に掌握された。最早、日本が名古屋都国に落ちるのも時間の問題だろう。そして、そんな中何故かお前は、その名古屋都国を統治する王族の一人ということになっている。いやはや、おかしな世の中だ。」
男はそう言って笑った。
「・・・何で笑ってるんだよ。」
宮本は目を伏せて男にそう尋ねた。男は黙ったまま一向にそれに答えようとしない。
「未来人で原因も元凶も知ってたんだろ。」
苛立ちを含んだ声で宮本がそう言うと男は妙に落ち着いた声で言葉を漏らした。
「ああ。・・・・・知ってた。」
「ならなんでそんな風に笑っていられるんだよ!なんで世界を元に戻そうとしねぇんだよ!」
宮本は声を上げた。まるで他人事のように笑う男に腹が立った。変わり果てた世界を目にして平然としていられるその精神が気に食わなかった。
男はしばらくの沈黙の後、重々しく口を開く。
「俺には・・・止められなかったんだ。」
「止められなかった・・・?」
男はベンチに歩み寄り手すりに手を掛けながら腰を下ろした。宮本は男の方に向き直りもう一度尋ねる。
「止められなかったって、どういうことだよ。」
「言葉通りだ。俺達はそのアンドロイドの暴走を止められなかったんだ。説得も破壊も試みたが、結局は・・・・・だが、お前なら止められるかもしれない。」
「はあ!?あんたでも止められなかった奴を俺が止められる訳ないだろ!!」
予想外の言葉に宮本は男を怒鳴りつける。
「それに俺には何の関係も・・・」
「関係ならある。」
意外な言葉を返され困惑する宮本が苛立ちを残した声で「どこに。」と尋ねると男は低い声で答えた。
「今までお前は何を見てきた、なんでお前はあれほど混乱してたんだ?」
「それはその歴史改変とかいうやつで・・・」
「そう。だが歴史改変は本来、人が認知できるものじゃない。だから、世界が変わったなんて気づく奴なんかいない。もしそれに例外があるとすればそれはこの事件に関わりがある人物。つまり、お前がこの改変に気付いたということは今回の事とお前は深い関係があると言う事。いやむしろ、今回の歴史改変はお前を中心に起きたと言っても過言じゃない。」
確かに宮本の周囲の環境は大きく変わっていた。その変化に宮本は気付いていた。でも、それとこれは本当に関係することなのか?たとえ関係があったとしても――
「だとしても、なんで俺が・・・」
宮本がそう言葉を漏らすと男は音を立てて息をする。そして、宮本に言った。
「お前がこのままでいいと言うなら構わない。お前以外の人間はこれを異常だと気付いていないどころか違和感さえないだろう。むしろこれが日常だ。彼女らにとっては。」
宮本は男の言葉に納得してしまう。確かにそうだ、これが変だと感じているのは宮本だけだ。現に椎名は困惑する自分の様子に戸惑っていた。周りの人間さえも。なら、今の自分が普通じゃないということになる。でも・・・
一人冷静な男は話を続けた。
「それに奴は俺がいた時代の軍を翻弄するほどの強さを持ってる。常識的に考えて、ただの高校生が太刀打ちできるような相手じゃない。何もできず殺されるのが落ちだろう。」
「・・・」
「それでも元の何も無い日常を取り戻したいというなら・・・お前は戦わないといけない。」
男はそう言った。何も無い日常、確かに特にこれと言って面白みもない退屈な日々だった。それを取り戻す意味がはたしてあるのだろうか。
黙り続ける宮本に男は重たい口調で尋ねた。
「どうする?決めるなら早くしてくれ、こっちには時間がない。」
よく考えればここはそんなに悪い世界でもない。自分の隣には椎名が居て、王族という地位に立つことができる。むしろ最高の世界とも呼べるのではないだろうか・・・そんな世界を、命を懸けて変える必要があるのか。
――俺は――