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AYA  作者: 華井夏目
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異変

 痛い・・・全身に痛みが走る、身体のいたるところから血が流れ出し、したたり落ちる赤い雫は雪路の足跡の様に俺が歩いた後を残している。まさかあいつが暴走だなんて・・・俺の命令も拒絶して、一体何を考えてるんだか――


 いや、それは俺もそうか。あいつが成したこれは俺の理想だったものだ。俺の夢だったもの・・・いや、それ以上のものだ。そのはずなのに・・・俺は今、それを壊そうとしている。


 何でこんなことしてんのかな・・・世界の為?・・・彼女の為?・・・未来の、為?・・・


 ――それとも、俺自身の為?――




 翌朝、朝日を浴びながら、重く騒々しく動き出す町。そして、目覚ましの音が快眠していた宮本の耳を突いた。凍てつく様な寒さが宮本をベッドへ縛り付けて離さない。だが、時計の時刻を見るといつもの時間だと気づき泣く泣くベッドから起き上がった。


 宮本は頭をかきながら、キッチンへ向かうと簡単な朝食を作り、立ったままその朝食を食べる。行儀が悪いなと心では思うのだが、この方が効率いいと意味不明な持論をたて行為を正当化させた。


 皿洗いは帰ってからしよう、と面倒なことを後回しにして宮本は制服に袖を通した。


「そろそろ行こうか。」


 リビングにほったらかしてた鞄を持ち、家を出た。鍵を掛けたことを確認してマンションの階段を降りる。そして、マンション前の道路に出た宮本はふと胸に違和感を覚えた。いつもと変わらない風景なのにどこか違う。一体どこが?――


 宮本がそう思っていると町の家々が突然崩れ始めた。家の外壁にひびが入り、電柱は火花を散らしながら倒れていく。地面は隆起して道路のコンクリートをめくり上げ、空は窯の底が抜けたように〝青い空〟が瓦礫となって崩れ落ちてくる。


 見慣れた町並みが音を立てて壊れていく・・・世界が崩壊していく――




 次に目にしたのは風になびくカーテンだった。


 夢・・・そう認識するまでに大分時間を有した。酷い夢だった。肺が大きく伸縮を繰り返し呼吸が乱れていることがわかる。


 たかが、たかが夢なんだろうが、あまりにもリアルだった。


 宮本は横を向いていた身体を返し仰向けになって天井を見上げた。


 夢には見えなかった。本当に町が壊れてしまったのかのように感じた。今まで生きてきた中であそこまで現実のように感じた悪夢は初めてだった。


 ようやく呼吸が落ち着いてきた宮本は不意に天井に違和感を覚えた。


 ――俺の家の天井ってこんなだったっけ?――


 宮本はベッドから飛び起き上がった。目に映ったその部屋は明らかに昨日いた自宅の部屋とは違うものに見える。


「ここ、どこだ?」


 困惑する宮本はベッドから立ち上がり、部屋を見渡す。部屋には巨大なベッドしかなく、かなり広い。窓から見える景色も見慣れたものではなく、知らない景色が覗いている。


 明らかに自分の部屋じゃないことだけは解る。だが、これはどういうことだ?余りにも理解できない出来事で頭なんか回らない。まだ夢を見ている。そんな感覚に陥るほど現実味がない。


 とにかく何か、何か自分が置かれた状況がわかるものが無いか宮本は探した。


 周りを見た限りでは特に怪しいものは無いように感じる。こんな状況では誘拐されたと考えるのが妥当なのだろうが、そんな風には見えない。自分の身体を確認しても、怪我をした様子もなければ拘束された様子もない。そして、何故かはわからないが宮本は学校の制服を着ていた。


 これは現実なのか、それともまだ夢なのか。言い表せぬ不安と恐怖から手が震える。


 宮本は右手の壁にあった窓に歩み寄った。覘き込むとそこに広がっていたのは高層ビルの建ち並ぶ都会の町だった。しかし、それは宮本の記憶にない光景でもあった。


 だが、宮本が真っ先に驚いたのは眼前に広がる景色よりも自分がいるのであろう場所に対してだった。信じられないことだが宮本が目にしたそれは巨大な城のようにしか見えなかった。


 宮本は振り返り大きなドアを勢いよく開け、廊下に転がり出た。


 知らない部屋、知らない景色、知らない城、情報が多すぎて頭がパンクしそうだった。とにかく外に出たい。こんな気味の悪いところから一刻も早く。その一心で足を踏み出した。右へ、左へ、廊下を走り続けて、偶然見つけた階段を一番下まで駆け下りる。


 息を切らせ階段を下り切った時、突然後ろから声をかけられた。


「透?」


 その言葉に思わず宮本は足を止め振り返った。そして、驚愕した。


「どうしたの?そんなに急いで。」


 そこにいたのは、三人の女性。両脇の二人はメイドのようだが、中央にいた女性は驚くことに椎名 綾だった。彼女はいつも見る学校の制服を身に纏っており、長く綺麗な黒髪をなびかせている。だが、どうして椎名がここに?


 戸惑っている宮本を余所に、椎名は首をかしげる。


「どうしたの?」


 自然な顔で訊いてくる椎名に、「それはこっちのセリフだ」と宮本は言いたいところだったが、思うように口が動かなかった。尋ねたのに言葉を返さない宮本を不思議がってか、椎名は顔を覗かせてくる。


「ちょっと、聞いてる?」


「透様?どうなさいました?」


 メイドの言葉でようやく宮本は謎の金縛りから解放され口を動かした。


「し、椎名こそ、こんなところで何やって・・・というか椎名、俺の事知ってんのか?」


 宮本の知る限り、椎名は宮本 透の事は知らないはず。クラスは違うし、宮本は帰宅部だから授業の後に会うこともない。それどころか直接会うのはこれが初めてだ、だから椎名が宮本を知ってるはずがない。知ってるはずがない、はずなのに――


「はあ?今さら何言ってるのよ。知ってるに決まってるでしょ、恋人なんだから。何年あんたと付き合ってると思ってるの?」


「こい、びと?・・・なん、ねん?」


 その言葉に宮本は硬直する。椎名が自分の恋人?付き合ってる?それも、何年も?


「ゔっ!」


 考えて込んだ途端、頭に鋭い痛みが走る。あぁもう、頭がめちゃくちゃになる。どうなってるんだ・・・一体何がどうなって――


 両手で頭を押さえていると椎名は心配そうな声で宮本に尋ねた。


「あんた、今日変よ?どっか具合でも悪い?」


 そう言って宮本の両頬に白く滑らかな手を付けて、その顔を自身の顔に向ける。椎名の顔が今まででは考えられないほど近くに迫る。高鳴る胸に反して、心の奥から何とも言えない感情が沸き上がる。


「お前の方が変だよ、椎名が俺と付き合ってる訳ないだろ。」


「え・・・?」


 宮本の言葉に椎名は眉をしかめた。その様子に構わず宮本は言葉を続けた。


「そもそも、椎名は俺を知ってるはずない。会話どころか直接会ったことさえないんだ。」


「ちょっと透・・・?」


 理解を超えた出来事に処理が追い付かなくなった宮本は冷たく吐き捨てるように言った。


「誰だよ・・・お前。」


「え・・・・・・」


 その言葉に椎名は怯えた様子を見せた。脚の力が抜け、崩れ落ちそうになる彼女の身体をメイドの二人が支え心配そうに声を掛けている。


 本当に何なんだ、ここは。〝あり得ない〟の連続で気が狂いそうになる。一体どうなってるっていうんだ――


 頭が麻痺してしまいそうな状況の中、宮本がその場から立ち去ろうとすると、メイドの一人が口を開いた。


「透様・・・どうしてそのようなことを・・・」


 宮本は答えなかった。いや、答えられなかったという方が正しいのかもしれない。短絡寸前の宮本の脳はその機能を正常に作動させることができなかった。


「・・・透?」


 その弱々しい言葉を無視して宮本は歩き始めた。椎名 綾によく似たその人は宮本の機嫌を直そうと必死に話しかけてくるが、冷静さを欠いた宮本の耳には届かない。


「透!」


 強い声でそう言われたのが聞こえたと共に腕を掴まれ止められた。必然的に足が止まる。そして――


「うるせぇな!俺はお前のことなんか知らねぇし、それどころじゃねぇんだよ!」


 宮本は自分を引止めたその人に怒声を上げた。この理解できない状況に対する行き場のない不安や恐怖や苛立ちを当たり散らした。


 辺りは静寂に包まれた。宮本の腕をつかんでいた少女の手が滑り落ち、少女も後を追っていたメイド二人も硬直して動かなくなった。


 目の前の少女は悲しげに顔を伏せた。宮本は胸が痛くなったが構っている暇なんかなかった。早くこの状況が何なのかを知らなければならなかった。


 動かないその人らを横目に宮本がその場から立ち去ろうとした時、強引に身体が引き寄せられ自分の顔の前を何かが通り過ぎた。と同時に甲高い音と頬に痛みが走る。


 ――何が・・・?――


 いつの間にか下を向いていた顔をあげると自身の右手をもう片方の手で握りしめた椎名が涙で溢れた目を宮本に向けていた。


「何があんたの気に障ったか知らないけど。流石にそんな言い方はないでしょ?そりゃ、あんたとの関係は親が決めたことだったけど、それでも私・・・透のこと本気で好きだった。だから、今までずっとあなたの傍にいたのに、それなのに、そんな言い方しないでよ!」


 彼女のその言葉に、ようやく冷静さを取り戻した宮本は改めて椎名を見つめた。彼女のその眼は純粋で偽りはないように見えた。


 だからこそ、分からなくなる。これは現実なのか・・・それともたちの悪い夢なのか・・・


「・・・ごめん・・・」


 そう言い残して宮本はその場から立ち去った。


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