日常
窓から暖かい日が差し込んでいる。僅かに開かれた窓からは冷たい空気が流れ込み、長い授業で澱んでしまった教室の空気を押し流している。今日も教室は賑やかだ。みんな各々の話題で盛り上がり至る所から笑い声が聞こえてくる。
二〇四三年十一月、時刻は正午過ぎ。昼休みになり自分の席で持参した弁当をつついている宮本 透は前の席に腰かける友達の松谷 吉野の話に適当に相槌をしつつ、窓から見える校庭を眺めていた。
日は射しているとはいえ寒い外の校庭には同じく昼食を摂っている生徒がちらほらと見える。寒いのによく外で食えると内心思いながら宮本が見ていると、前にいた松谷は購買で買ってきた焼きそばパンを食べながら何か不機嫌そうに宮本に言った。
「なあ、透、聞いてんのか?」
「へ?」
不意の問いかけに宮本はつい情けない声を出してしまう。宮本は中身が出そうになった口を軽く押え、窓に向けていた視線を松谷に向ける。
「だから、幼女にバニー服なんて邪道だよなって話。お前もそう思うよな?」
正直どうでもいい。
こんなくだらないことを真剣に訊いてくる松谷の頭の中はどうなっているのかと宮本は思わず呆れる。弁当の卵焼きを口に運び入れた宮本はしっかりと飲み込んだ後、ゆっくりとため息混じりに答えた。
「お前がそう思うならそうなんだろ。」
「おいおい、真面目に答えろよ~。」
松谷が膨れている姿に改めてため息をつき、宮本は再び校庭に目を戻す。少し空いた窓から冷たい風が流れ込み、その冷たさから宮本は身を震わせた。
「お前、さっきから何見てんの?」
松谷が首をかしげて宮本に尋ねた。
「ん?いや、別に何も見てないけど。」
宮本が抑揚のない声で答えると松谷も校庭に目を向ける。すると、いきなりにやにやと不敵な笑みを見せてからかうように言った。
「ふーん。女子のスカートが捲れるのを待ってるだけか。」
「はあ!?そんな訳無いだろ!」
思わず出してしまった大声に反応し、教室にいた生徒たちの目線が集まる。みんなの目線がものすごく痛い。
「じゃあ、何見てんの?」
宮本が周囲の目を気にする中、何喰わぬ顔で聞いてくる松谷に腹を立てつつ、一息ついて気を落ち着かせる。箸の先を口に咥え少しの沈黙の後、宮本は諦めて自白する。
「あの子だよ、あの木の陰にあるベンチに座ってる。」
そう言って宮本が箸で場所を指すと口いっぱいに焼きそばパンを銜えこんだ松谷は窓の外を覗き込んだ。
窓の向こう、校庭の一角に桜並木があり、僅かに枯れ葉が残った木々の間に一脚ずつ木製のベンチが置かれている。その中の一脚に数人の女子生徒が座り、弁当を膝に置いて和気藹々とした様子で昼食を摂っている。
「………ふぐっ、ふぐっ、んっ。ん?どの子?」
「真ん中の子だよ。」
「ん~?ああ、あの子って確か、二組の…」
「椎名 綾。」
弁当をさらえて、嫌々ながら宮本は松谷に名前を教える。
「そうそう、椎名 綾。成績は常に学年トップクラスで水泳部のエース、おまけにあの容姿・・・まさにヒロインって感じの人だよな~、でも何でそんな奴を見て・・・って、お前まさかぁ?」
松谷は、またにやにやと嫌な笑みを浮かべた。残った焼きそばパンを完食した松谷はゴミを丸めて宮本をからかいだした。
「へえ~、そっかあ、お前はああゆうのが好みなのか。そっかそっかぁ。」
「そんなのじゃねぇよ。」
「とか言ってほんとは好きなくせに~。」
松谷はこういった話をするとすぐからかってくる。だから隠していたというのに・・・はあ、面倒くさい。
こっちの気持ちなど気にせず松谷はまたからかってくる。
「でも、ちょっと意外だな。」
「なんだよ、意外って。」
「いやあ、透はもっと幼い子が好みだと思ってたからさ、だいたい小学生辺りの。」
「人を勝手にロリコンにするな!」
「まあ、それはそれとして。」
「流すな。」
「悪いことは言わない、あいつはやめとけ。」
「・・・何で?」
松谷の言葉に宮本は少し動揺する。松谷はあたりを気にするように見回した後、手を口元に当てこっそりと話した。
「二組の椎名 綾といえば、性格悪いって専らの噂だぜ?何でも、その見た目に惹かれた野球部の先輩があいつに告白しに行ったらぼろくそに叩かれて、翌日学校に来なかったって、結構有名な話だぜ?」
「まさか・・・ただの噂だろ?」
とは言いつつも宮本は思わず考えてしまう。
実際のところ、彼女のことはあまりよくは知らない。宮本自身、彼女との接点は一切ないため、彼女はどういう性格の人なのか知る由もない。だから、知っている事といえば抽象的な人から聞いた情報くらいだろうか。
「さあ?俺も聞いた話だから詳しい事は分からないけど。」
松本は首を傾げて答えた。宮本はまた彼女の方を見ると昼食を食べ終わったのか、膝の上にあった弁当を片付けていた。僅かに吹いた風が彼女の長い髪をなびかせる。
「告る気はないのか?」
松谷にそう言われ、宮本は顔を逸らしたまま力なく「ないかな。」と言った。
「何で?もしかしたらワンチャンあるかもしれないよ?」
相変わらずニタニタと笑う松谷を宮本は一瞥して答える。
「別にそこまで考えてないし。」
「とか言ってぇ、ホントはそんなことないくせにー。」
「だいたい、彼女は俺に興味なんかないだろ。」
「わからないよ?意外とOK貰えるかもよ?」
松谷の言葉に少し反応してしまう。確かに自分が想いを伝えて彼女がどんな反応をするかは分からない。宮本自身、彼女と一緒にいたい気持ちはない訳じゃない。
でも、俺は――
「つながらない関係でもいいってこともあるんだよ。」
そう、彼女とはつながらなくていい、分かり合えなくていい。自分はただ遠くから眺めているだけで十分なんだ。
宮本の言葉に松谷は不機嫌な顔を見せる。
「つまんねえ。」
松谷は残念そうにそう言うが、宮本はこいつが本当はどんなことを考えているか分かっている。
「お前、本当はふられて落ち込む俺の姿を見て面白がりたいだけなんだろ?」
「ばれた?」
全くこいつは、心底松谷の頭に呆れていると昼放課の終わりを告げる鐘の音が鳴り響いた。
「もうこんな時間か、じゃあ席に戻るとするか。」
松谷はそう言って席を立った。宮本は松谷が席に戻るのを見届けた後、窓の外に目を戻した。校庭にいる彼女も鐘の音を聞いて校舎に向かい歩いていた。
その姿を見ていると松谷の言葉が脳裏を横切る。
告白か、あいつから言われるまで考えたこともなかったな。でも、彼女が俺なんか――
ついネガティブになってしまう、こんな考え方は駄目だなと自分を律し、視線を教室の中へと戻した。彼女への告白は考えておいてもいいのかもしれない。
「けど今は、まだこのままでいいだろ。」
力なく呟くと本鈴が鳴り教師が入ってくる。そして、いつもの様につまらない授業が始まった。