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冥婚ドヲリズム  作者: 三石メガネ
7/13

海士坂 司

 息を殺して一歩踏み入れる。

 ここにも濃い闇が溜まっていた。明かりなしでは何が何やら分からない。月も電灯も望めない。稲光を待つわけにもいかないので、恐る恐るスマホの明かりをつける。

 ――書斎……?

 本棚が壁沿いにずらりと並んでいた。正面奥の窓際には木製のデスクがあり、その両脇に等身大の男女の人形が立たされている。ぎょっとしたが、中に誰かが隠れている様子もないため、気にしないよう努めた。

 どこかから黒川が襲い掛かってくる様子はない。司はドアを閉めた。今度は鍵がかけられるようなので施錠する。

 ――鍵があるだけで、こんなに安心できるんだ。

 木製の扉がとても頼もしげに思える。ずっと籠っていたいと思うほどに。

 ――駄目だ、ちゃんと動かないと。まずは何か役に立ちそうなものを探そう。

 こうしている間にも誰かが危ない目に遭っているかもしれない。司はスマホの明かりを頼りに部屋を調べることにした。

「人形関係の本が多いなあ」

 ざっと背表紙をチェックする。文献や写真集が並ぶ中、手書きのものが入っていると思しきファイルが一冊あった。

「何が書いてあるんだろ」

 抜き取ってみる。表紙には赤字で「人形婚/人形葬」と書かれていた。中には鉛筆書きの文字がびっしりと並んでいる。


***


【妙法寺家】

 人形葬にて用いられる人形を専門的に作る人形師の家系。代々、××村の人形葬では妙法寺家当主によって作られるもののみが使用される。

 妙法寺家の当主は代々未婚の女性であることがしきたりとされている。そのため、妙齢になった妙法寺家当主は村の男から一人を指名し、跡継ぎを産むために種を貰う。次期当主となる女児が誕生するまでこれを繰り返すが、不思議なことに、妙法寺家に男児が生まれたことはない。


【人形葬】

 F県××村にて行われている独自の葬儀法。冥婚の一種。

 古くは本物の死者同士を死後結婚させたのちに合葬していたが、同時期に伴侶となり得る死者が出ることはまれだった。過酷な労働環境にあった村の男性は女性よりも死亡率が高いため、未婚女性の死体は高値で取引され、妙齢の女性が危篤との情報が回るや否や、まだ息があるうちから花嫁親族のもとには花婿候補の親族が押し掛けた。ついには殺人にまで発展したこともあったという。

 そうした中で誕生したのが『人形葬』だ。

 未婚のまま死亡した村民は、対となる人形との結婚(人形婚)を執り行ったのちに夫婦で埋葬される。流れは本物の死者同士のものと変わらないが、同時期に伴侶となる死者が出なかった場合や死体を買う金を用意できなかった者も、これならば冥婚が可能となる。

 本物の死者で冥婚を行ったものの、その親族は「高値で買った子供の伴侶がいつ盗難されるか」と怯えることもしばしばだった。そうしたこともあって、人形婚は村の者すべてに都合が良かったと言える。

 これにより、人形葬は村独自の葬儀法という地位を得ることとなった。


【禁忌】

 人形葬用の人形には意味付けを行ってはならない。特定の人物に似せたり実在する人間の名前を与えたりすることは禁忌である。これは、人形葬における人形の役割に影響を与えるからだ。

 基本的に、この村では未婚の死者は未練を残した悪霊になると考えられている。その死者から顔の皮と心臓を取り出し人形に与えることで、容れ物としての人形は、死者の呪力を分け与えられた呪物となる。これは死者と対を成す力となり、互いに補い合い、打ち消し合うと考えられている。これによって死者の呪力は二者間において完結し、無害化されるという理論だ。この発想は、夫婦という男女の関係性に起因しているのかもしれない。

 しかし「死者の全てを受け入れるべき容れ物」である人形に何らかの意味付けがされていた場合、この関係性は破綻する。二者間で完結するはずの呪力は周囲にあふれ、生者を汚染する。

 その呪いは、不完全な呪物となってしまった人形により増幅される。どの程度の災いをもたらすかは、死者の未練と情念に比例する。憎悪や未練など、死者の負の感情が強ければ強いほど災いは苛烈となり、周囲に破滅をもたらす。


***


「呪いが生者を汚染……」

 司は反芻するようにつぶやいた。つまり、これが自分たちの状況なのではないか。死亡したとされる紗雪は人形婚を行われ、そのときの人形が誰かに似せたものであったため、彼女の呪いが降りかかってきた……。

 ――その人形は僕に似せて作られてた?

 黒川の「新郎は海士坂司」という言葉からしてその可能性が高い。過去のあの誘拐事件がきっかけで気に入られたのだろうか。しかし司はいまいち納得できない。

 ――たったあれだけのことで、十一年間も僕のこと好きでいられるのかな。

 腑に落ちないままファイルを本棚に戻す。

 今度は下の段に目をやった。本の代わりに写真立てが置かれている。母子二人がどこかの応接間のような場所で撮ったらしき写真だ。下部の余白に「妙法寺峰子三十二歳 紗雪十二歳」と書かれている。

「この子が紗雪ちゃん……」

 あの誘拐から三年後に撮影したものだ。あのときよりも背が高くなり、淡いブルーのロングドレスが良く似合っている。色白で髪は長い。顔立ちは美しいが、記憶の中の彼女よりも表情に乏しく作り物めいていた。

 ――なんだか、アスカさんに似てる。

 これがアスカの幼少期だと言われても信じられる。顔が完全に一緒というわけではないが、それは成長途中のならば当然だ。この少女が成長し、化粧をしたらアスカそっくりになるだろう。

 ――紗雪ちゃんはアスカさん?

 しかし名前が違う。小学校でも大学でも、偽名で通うことなどできるのだろうか。単に似ているだけかもしれない。

 ほかにも部屋を見回す。次は窓際のデスクを調べることにした。

 上から順に引き出しを開ける。しかし、なぜか空っぽだった。

「使ってなかったのかな?」

 最後のひとつは他より大きめで深さ二十センチほどだ。先ほどと同じく引くが、ここだけ開かない。何かが引っかかっているらしい。

「なんだろ」

 強めに引くが、二センチほど開いたきりでそれ以上動かない。いったん戻しても揺すっても同じところで止まる。迷ったのち、司は思い切り取っ手を引いた。爪が硬いものを擦るような甲高い音がする。

 ギリッ、キイイ、キイイイィィ。

 なぜ木製の机なのにこんな音で軋むのか。司は疑問に思いつつも、ついに引き出しを開けることができた。

 中には何もなかった。

「……なぁんだ」

 ただ立て付けが悪いだけだったのか。

 ――だけど、確かになんかが挟まってるみたいな感触がしたんだけどな。

 何も収穫がなかったので、ため息をつきながら引き出しを戻していく。

 見え始めた床に、青黒い手があった。

「っ……!」

 とっさに飛びのく。

 枯れ木のような手は机の下から伸び、今まさに司の足首を掴もうとしていた。引き出しを開けていたから、その下に何があるかなど見えなかったのだ。

 ギリッ、キイイ、キイイイィィ。

 手が恨みがましく床を引っ掻く。さっきの音と同じだ。だとしたら引き出しを開けるときに聞こえたあの音は。

 ――だけど、引き出しが開かないように押さえながら出てくるなんてできない。

 司の足に掴みかかるのは無理だ。この青黒い手が、もしも一本だけだったなら。

 ……ギリッ、キイイ、ギリイイイィィ。

 またこの音だ。すでにすぐそこまで出てきた手ではない。床に爪を立てたまま、動いてはいない。

 音は机の下から聞こえていた。

「う、あ……」

 後ずさる。しかしすぐに窓に突き当たった。ガラスに背を押し付けながら、司はその机の下から目が離せない。二本になった青黒い手と、さらに這い出ようとしている『何か』から。

 背後で激しい閃光がはじける。

 一瞬の光を浴びて、司は膝をついた。腰が抜けたのだ。暗雲のドラムを聞きながら、ようやく足を動かし始める。赤ん坊が床を這うように、ぎこちない動きで机から遠ざかっていく。

 ――もうここから出たい……。

 しかし部屋の外には黒川がいる。鍵がかかるこの部屋は安全だ。安全なはずだった。

 ――助けて……誰か。

 鍵のかかったドアにすがりつく。外か、中か。机の影になるため、この場からでは手がどこまで出てきているのか分からない。ここはあとどれだけ安全なのだろう。

 お守りのようにスマホを握りしめる。司の武器は今のところこれしかない。武器になるかどうかも分からないが。

「何か……」

 電源ボタンを押し、スワイプしてロックを解除する。助けになりそうなものを必死で探した。外に出るよりもましな何かを。

「あっ」

 司は画面の上端を見た。助けになるかは分からない。ただ、先ほどまでとは明らかに違うところがある。

 ――電波が入ってる……!

 聖一か誰かに電話してみようか。しかし音を立ててはまずい状況だったら困る。そこまで考えて、唐突に司は思い出した。

 ――そうだ、警察!

 パニックで気づけなかった。気づくや否や一一〇をタッチする。焦りすぎて二度失敗したが、三回目には聞きなれたコール音がした。

 数秒も経たないうちに繋がる。

『はい、一一〇番です。事件ですか事故ですか』

 落ち着いた男性の声だ。無性に懐かしさがこみ上げる。この電話の向こうに答えてくれる人がいるというだけで救われた。

「た、助けてください。閉じ込められてて、先輩が死んでてっ……」

『場所は分かりますか』

「えと、F県××村の……」

 そのあとが思い出せない。カーナビに住所を入れたのはコトリだし、貰った招待状は車に置いてきた。そのわずかな沈黙のあいだに、ギリギリという小さな音がした。

 まだだ。まだ「あれ」は諦めていない。

 視線を素早く動かし、周囲の床を確認する。こうしてここで話せる時間はあとどれほどか。

「妙法寺さんの家です、妙法寺峰子! む、娘は紗雪さんで、人形師の人です。人形婚用の人形をつくってて……」

 ズズズズ。

 重く湿ったものを引きずる気配がした。電話の向こうで、警察官がとたんに冷めた口調になる。

『ああ妙法寺さんの……。あなた、先ほども通報されましたか』

「えっ?」

 もしかして聖一だろうか。たしか死体発見時、どこかに電話をしていた。

『さっきも申しあげたのですが、こちらでお調べしたところ妙法寺さんのお宅は今現在ありません』

「? ど、どういうことですか」

『F県E村にある妙法寺峰子さん宅は、三年前に全焼しました』

「………………は?」

 何を言われたのか理解できない。

『家主さんもそのときに亡くなられています。先ほど現場の警官を向かわせて、更地であることを確認しました』

 耳鳴りがした。甲高いノイズが警官の声にかぶさる。

 ――じゃあ、ここはどこなんだ。

 司のいるこの屋敷は。彼らが囚われたこの空間は。

『もしもし?』

「あ、はっ、はい!」

 耳鳴りがひどい。途切れ途切れの雑音が、警官の声まで歪ませる。

『もしもし。もしもーし?』

「き、聞こえてます。でも嘘じゃなくて、確かに――」

『もおしもおしいい。も・お・お・お・お・お・お・お』

 ブツブツと切れる間延びした声を聞いて、司はようやく気が付いた。これは耳鳴りではない。

「お、おまわりさん……」

『おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお』

 警察官は息継ぎもせず叫んでいた。歪んだ遠吠えは終わらない。声はヒステリックになるばかりだ。

 司は乱暴に画面をタップして通話を切った。最初に警察の声を聞いたときは、あれほどまでにほっとしたのに。強く唇を噛む。そうでもしなければ我を失いそうだった。

 ――もう、たくさんだ。

 確認もせずに部屋から飛び出す。

 ドアに背中を押し付けた。心音がネズミのように早い。考えることを拒否して、暗い廊下で雨音を聞いていた。けれどすぐに部屋の中から、低い位置で扉を引っ掻く音がする。

 カリカリ。

 カリカリカリカリカリカリカリカリカリ。

 ――『アレ』だ。

 扉に接している肌がむずむずと粟立つ。

 ――もし、とっさに出てこなかったら……。

 それともあのままひと思いに楽にしてもらった方が良かったのだろうか。このまま得体の知れない屋敷をさまよい続けるよりは。

 そこまで考えて、司はゆるゆると首を振った。まだ折れてはいけない。体を張って逃がしてくれた聖一に申し訳ない。奈々雄やコトリが無事かどうかも気がかりだ。こんな事態になろうとは予想だにしていなかったが、誘った張本人としての負い目がある。

 ――僕は、みんなの無事を確認せずに諦めちゃいけないんだ。

 気力を振り絞って前を向く。引っ掻くような音は止んでいた。雨音以外なにもしない。

 幸い、廊下は絵画のように沈黙していた。スマホの明かりをつけ、正面を照らす。

 この先の廊下が二手に分かれていた。真っすぐに行く道と右に折れる道だ。少し考えて直進することにした。屋敷の中心へと向かう右方向へと進む勇気は出なかった。


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