海士坂 司
海士坂司宛てに、奇妙な結婚式の招待状が届いた。
新婦とは小学校以来会ったこともない。それでも司が行く気になったのは、なんとなく彼女のことが気になっていたからだ。恋愛感情というよりも、同じ秘密を共有した者同士に芽生えるような、淡く柔らかな親近感だった。
「新婦の子、いくつだっけ」
北条コトリがバックミラー越しに司を見た。いつもながらのゴスロリ服で、今日は黒と群青のひざ丈ワンピースだ。同じ色調のヘッドドレスを付けている。
「僕のひとつ上だから、ちょうど二十歳かな」
グレーのスーツ姿をした司が、伸びてきた焦げ茶の髪をいじりながら笑顔を向ける。見た目も中身も、人懐こい犬に似ていた。
「若いねー。でも、妙法寺峰子ってそんな年のお子さんがいたんだ」
「コトリちゃん知ってんのか?」
司の右隣に座る奈々雄が訊いた。細くつり上がった目は狐に似ている。ネイビーのスリーピースに、銀のカフリンクスをつけていた。香水らしき匂いがする。
助手席に座る聖一を除くと、司を含む三人は同じ大学の研究室生だ。
「妙法寺峰子は、寡作だけど超一流の人形作家よ。その娘さんの結婚式に参列できるなんて夢みたい」
普段は冷静なコトリが熱っぽく答えた。
「しかもタダなんだろ? なんか話が上手すぎねえか?」
いぶかしむ奈々雄に司が返す。
「参列者が集まらないんだって。なんなら友達の分も費用を出すからどうか参列してほしい、って頼まれちゃって」
「あー、お前って頼まれたら断れなさそうだもんな」
「断る理由なんかないしねえ」
奈々雄にへらへらと笑いかける。
「けどさ、有名人のくせに参列者が集まらねえなんて絶対なんか裏があるだろ」
「……有名人だからですよ」
不機嫌そう助手席から答えたのは、司の『七分違いの弟』聖一だ。この車に乗ってからというもの、ずっと会話には参加せずに前を見据えたまま黙り込んでいた。黒スーツに、地味なグレーのネクタイを合わせている。
この兄弟は一卵性双生児にも関わらず、似ていない。
見た目は確かに一緒なのだが、態度や表情が正反対なのだ。兄の司は表情が緩みっぱなしなのに比べ、弟の聖一は目つきが鋭く表情も硬い。
「全国的に知名度が高いとは言えませんが、地元であの母子を知らない者はいません。縁起が悪いうえに、行いまで悪いのですから」
「どういうことだ?」
奈々雄の問いを聖一が黙殺した。
「紗雪ちゃんち、葬式用の人形を作ってたんだ」
弟の代わりに司が答える。
「あの村では、結婚しないで死んだ人のために『人形葬』ってのをやっててさ。死んだ人の結婚相手にする人形を作って、結婚式を挙げてから一緒に葬るんだ」
海士坂兄弟が八歳までしか住むことのなかった故郷は、人形と深い関わりがある歴史を持つ。代々続いていた妙法寺家は、葬儀に用いる『特別な人形』を作る役割を持つ家だった。今ではもう、近代化の波に掻き消されてしまったのかもしれないが。
「好きなアイドルのグッズ詰めて納棺みたいな感じか?」
「実在の人物をモデルにした人形は駄目だけどね」
「どうせ死んだやつに引っ張られるからとかそういう系だろ?」
「っていうか、均衡? かなんかが崩れるからだってさ。人形と死んだ人のあいだで完結してた関係性が、外に向かって破けるからなんだって」
「なんだそれ。人形が動き出すってか?」
「うーん、そこまでは忘れちゃったな。やり方なら覚えてるけど」
「なんだよやり方って。死体と人形まとめて焼いちまうだけじゃねえのか?」
可燃ゴミじゃないんだから、とコトリがこぼす。
「人形婚ってほかの地方でもあるみたいなんだけど、ここのは結構独特なんだ。死んだ人の顔の皮を剥いで、人形の顔に貼り付けるんだって。心臓も取り出して人形の腹部に収める」
「い、いきなりグロくなったな」
「さすがに今はやってないだろうけどね。この二つをすることで、死んだ人の未練や恨みなんかを受け止めるだけの呪力を人形が持てるって考えられてるみたい」
その地では、未婚の死者はこの世に未練を残す悪霊になると考えられていた。結婚相手となる人形は、いわばそれを包み込み受け止める盾のような役割であったらしい。
「……そういうのを仕事にしてたから、妙法寺一家は忌まれてたってわけ?」
コトリの言葉に司がうなずく。
「結婚式場まで貸してくれなかったんだって。ひどいよね」
「あー、それで自宅で結婚式ってわけか」
奈々雄はようやく納得がいったようだ。
「バッカじゃないの、今まで自分たちが散々世話になってたくせしてさ。私みたいな人形者なら、鳥肌立つくらい喜んで参列するのに」
コトリが形の良い眉を顰める。その下にあるアーモンド形の目は猫に似ていた。
隣の助手席で、うんざりしたように聖一がため息を吐く。
「……お前、わざと話さないのか」
不機嫌そうな口調に、車内の空気が冷える。しかし司は例外だった。
「えっ、なにが?」
「誘拐」
あー、と司が間の抜けた声を上げる。コトリがバックミラー越しに怪訝そうな視線を向けた。
「何の話よ」
「そういえば僕、紗雪ちゃんのお母さんに誘拐されたんだった。八歳のとき」
「……はっ?」
お前は何を言い出すんだ、という表情で奈々雄が言う。
「新婦の母親にお前が誘拐されたってことか?」
「そうだよ?」
「お前、誘拐犯の娘の結婚式に招待されてんの?」
「そうなるよね」
当然ね、と続きそうな口調だ。
「訊きたいことが多すぎてアレなんだが……招待する方も招待する方だし、行く方も行く方だぞ」
「身代金とかそういうのが目的じゃないし、穏便に解決したよ?」
コトリが呆れたように聖一に言う。
「……あなたのお兄さん、いろいろ大丈夫?」
「だから極力近づかないようにしてるんですよ。馬鹿が伝染るので」
言葉通り、聖一は県外の大学の寮で暮らしていた。滅多に帰省しないし、家族に連絡を取ったりもしない。普段は司からの一方的なメッセージに最低限の言葉で返信するのみだった。
しかし珍しく、今回だけは結婚式参列の誘いに乗った。
「へー双子なのに仲悪いんだ」
コトリが言うと、聖一は即答する。
「嫌いですよ」
「だったら今日はなんで着いてくる気になったの?」
「……」
「ん?」
「……興味本位です」
コトリが顔をそむけた。笑いをこらえているようだった。
「いや、ごめん。良いと思うよ、兄弟愛」
「何を言ってるか分かりませんが」
聖一がむっとした表情で前方を睨みつけた。
後ろの席から、奈々雄が便乗して声を掛ける。
「つーか、なんで敬語なわけ? 実はシャイだったりとか? 気楽に行こうぜ、同い年なんだし」
「心理的距離を取るためです」
「へっ?」
さすがの奈々雄も笑顔が強張った。手を差し伸べたにもかかわらず『お前とは仲良くしたくない』と言われたらそういう反応にもなるだろう。
「俺のことはいないものとして扱ってもらって結構ですので」
……とか言っちゃってるけどどうするよ? と言いたげな顔で奈々雄が司を見る。しかし、兄の表情には一点の曇りもない。
「えー、だけど久しぶりの旅行だしたくさん話した方が楽しいでしょ。聖一と一緒に行くのって十年ぶり? もっとだっけ?」
「誘拐犯とその娘に会うのが本当に楽しいなら病気だ。頭の」
「紗雪ちゃんもお母さんも良い人だったし、大丈夫だって」
「お前の言葉には根拠がない」
「心配してもらえるの嬉しいなあ。ありがとう」
話がかみ合わない。
「お前、無駄にポジティブだよなあ」
からかいながらも、奈々雄は嬉しそうに笑った。
「こないだ財布なくしたときもさ、真っ先に言ったのが『食券買ったあとで良かった』だったもんな」
「昼抜きになるとこだったよ」
「あれ出先でだったら完全に積んでたぞ」
「……あ、そういえば」
コトリが思い出したように口を開いた。
「こないだアウトレットに行ったときのことだけどさ。役に立ったよ、アレ」
「お! 『ピスガ』か。あれ便利だろ」
奈々雄が身を乗り出した。
ピスガとは、数日前に研究室で彼が絶賛していたアプリの名だ。
おおざっぱに言えば『カーナビの屋内バージョン』である。大型の商業施設に入ったときなど、自分がどの位置にいるか、どこに何があるかが、紙のフロアマップなしで分かるようになる。
サーフュージョンを開発したCSR社の技術をもとに、日本の企業が最近開発したばかりのアプリだ。大勢の外国人がやってくる東京オリンピック用に開発されたものらしい。
「あ、僕も使った。最近はいろんな店が対応してきてるから嬉しいよね」
司の言葉に、奈々雄が得意げに目を細めてうなずく。
狭い範囲における正確な位置情報をリアルタイムで確認できる技術は、彼に言わせれば『未来的』らしい。ほかにも、電話番号を相互登録している人でピスガをインストールしている人が同じマップにいれば、ポイントでその位置を教えてくれる機能もあった。子供にスマホを持たせれば『迷子対策アプリ』としても有効な一面を持つわけだ。
「便利だよ、聖一も『ピスガ』入れてみる?」
「いや」
即答したあと、気まずそうに付け足した。
「……もう入れてる」
「へえ、そうなんだ」
――どうやって知ったんだろ。
そういえば弟についてあまり知らないな、と司は思い至った。何に興味があるのか、誰と仲がいいのか。遺伝子的には親より近いのに、心理的には奈々雄やコトリより遠い。
――なんで、聖一はこんな風になったんだっけ……?
「……あれ? カーナビがきかない」
ふと、気づいたようにコトリが呟いた。
「あ、ほんとだ」
電波状況が悪いのか、カーナビのポインタは見当はずれの方向を向いたまま『GPS信号が見つかりません』というメッセージを表示している。
「スマホはどうですか」
皆が一斉に自分のカバンからスマートフォンを取り出す。そして、同じ反応をした。
「……圏外だ」
車窓から外を見る。
暮れかけた田園風景に、民家が点々と並んでいた。山あいの寂れた村ではあるけれど、だからと言って電波さえ届かない未開の地というわけではない。今走っている農道の先にも、農作業を終えた軽トラックに村民が乗り込もうとしているのが見える。
「道が分からないのではもう行けませんね」
投げやりな聖一の言葉に、むっとしたような声でコトリが答える。
「道くらい覚えてないの? 昔住んでたんでしょ」
「学区内なら分かりましたけど。当時はまだ小学生でしたから」
「それなら誰かに声を掛けるまでよ。村の人なら絶対知ってる人は多いはず」
「この状況でもまだ行くつもりですか?」
「当然でしょ、あの妙法寺峰子よ。這ってでも行くから」
バックミラーの中に、わずかに眉をひそめた聖一が見えた。
――聖一、行きたくないのかな。
だとしたらなぜ着いてきたのだろう、と司は考える。たまには兄弟で出かけたいと思ってのことなら嬉しい、と能天気にも期待した。
「すみませーん」
コトリが窓を開け、車を減速させた。先ほど見えた軽トラに幅を寄せている。泥だらけのさつまいもや葉付きのニンジンを荷台に乗せていた。運転手である老夫は禿頭の野良着姿で、今まさに運転席に乗り込もうとしている最中だった。
「あの、道をおたずねしたいんですが」
「おん?」
振り向いて、運転席のコトリを見ながら何度も瞬きしている。上半身だけでもうかがえるゴスロリ衣装がよほど珍しいらしい。
「人形師の妙法寺峰子さんのお宅はご存知ですか。カーナビが壊れてしまって」
「……妙法寺?」
皺に押しつぶされそうだった目が見開かれた。
「あんたら、あそこ行くんか。なんとまあ怖いもの知らずな……」
老人は得体の知れない者を見るように顔を歪める。
「怖い? ただお葬式関係のお仕事をされてるだけですよね?」
コトリが訊くと、老人が道の向こうに視線を移した。黒いフィルターに視界を覆われたような薄暗さで、何が見えるわけでもない。一雨来そうな空模様だ。
「言うたら悪いが、あの家はああなる運命やった」
コトリはなんと返せばいいか迷っているようだった。運命とは何のことか。
「妙法寺も人形婚ももう終いや。どうせ高い人形買うて人形婚する家なんか今じゃありゃせんし、若いもんは死ぬ前にみんな出てくし」
まさか廃業したのか。確かに、村の人々に忌み嫌われてまで続けるのは大変な苦労だろう。娘の結婚に差し障りがあると思ってのことかもしれない。
「お言葉ながら、妙法寺さんのお作りになる人形は美術品としての価値があります。ネットに出回ってるのは少数ですけどどれも高値ですよ。販路さえ確立すれば……」
「金にゃ困っとらんだろうよ、元々の資産家やからな」
「じゃあどうして……」
「もう呪われとるんよ」
「え?」
「じゃなけりゃあんな目に遭わん。前にもどこぞの酔狂な金持ちが村はずれに住み着きよったが、あんなんにうつつ抜かしとったらえらい目に遭うで」
フロントガラスがぱたぱたと音を立てた。いよいよ雨が降り出した。
老人がふいと背中を向け、トラックに乗り込もうとする。コトリが早口で声をかけた。
「あの、道を!」
「物好きもたいがいにしとけ。呪われるぞ」
「けど――」
「一つだけ教えてください!」
割り込むように司が声を上げた。皺くちゃの顔が、ぎょっとしたように振り向く。
「この村、電波は入りますよね。電話とか繋がります?」
「……おう?」
すぐに冗談に応じるように笑みを浮かべる。
「田舎だからって馬鹿にしたらいかんよ。まあ、山んところまで行っちまうと怪しいけどなぁ。特に天気が悪い日なんかは」
言いながらポケットから携帯電話を出し、掲げるように画面を見せる。
いよいよ雨足も強まってきた。辺りも薄暗い。
老夫は背で司の礼を聞きながら、今度こそ軽トラックに乗り込んでエンジンをかけた。
「……もう、なんのために声かけたってのよ」
渋々コトリも車を動かす。のろのろと走りながら、次の獲物を探していた。
「話は聞けたし良かったじゃん」
「素敵な与太話だったな」
司の言葉に奈々雄がヤジを飛ばした。しかし、それを気にするような彼ではない。
「そうじゃなくてさ。山じゃなければちゃんと電波が入るって話」
「そんなん言われても、実際入んねえんだからどうしようもねえじゃんか」
カーナビもスマートフォンもいまだ沈黙したままだ。
――だとしたら、打つ手はひとつしかない。
「車停めてくれる? ちょっと確認してくるから」
「何よ急に」
コトリは、訳が分からないといった表情ながらも路肩に寄せて停車した。
すぐに司は車から降りる。外は雨のせいでさらに暗くなってきていた。濡れながら小走りに数メートルほど行く。スマホ画面を確認しながら、どんどんと車から遠ざかった。
「あ、来た」
車から約十メートルほど離れたところで、ようやくスマホは圏外から立ち直った。
――よし、これでGPSが使える。
思わず笑顔になったとき、後ろで気配がした。密やかな女性の息遣いだ。まるで含み笑いでもしたような。
「コトリ? 今、妙法寺邸までの道を検索して――」
言いながら振り返った。
誰もいない。車はずっと後ろの方で、周囲に人影もない。首筋を撫でるような生暖かい息を、確かに感じたと思ったのに。
――おかしいな……。
首をひねりながらも画面をスクリーンショットする。スマホが濡れないように気を使いながら、急いで車に戻った。
「ひゃー濡れたあ」
「うわっ寄んな」
奈々雄が尻を浮かせて端に寄る。言葉とは裏腹に紺のハンドタオルを差し出され、司は満面の笑みで受け取った。
「ありがとう」
「で、何してたんだよ」
「スクショ撮ってきた! ほら、これ見ながら行けるよ」
何枚かに分けて撮ったマップ画像を、司は嬉しそうに差し出す。聖一が冷ややかに横目で見た。そういえば先ほどから全く喋っていないな、と司は思う。
――やっぱり、行きたくないのかも。
「ねえ聖一。行きたくないならバス停とか寄ったりできるよ。近くの民家で待たせてもらっても良いし」
「……いや」
「本当に?」
聖一は答えない。
――ま、みんなの考えが同じになったんだからいっか。
持ち前のポジティブシンキングで前を向く。
徐々に激しくなる雨の中、四人を乗せた車は、妙法寺邸へと再出発した。