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冥婚ドヲリズム  作者: 三石メガネ
3/13

妙法寺ーD

 金曜日の夕方だ。

 私が学校から帰ってくると、珍しく母が出かけていた。どうしたのだろうと思いながら自室で本を読んでいると、数十分後に帰ってきた。なぜか一人の少年を連れて。

「……司くん」

 信じられなかった。

「紗雪、このあいだ話してたでしょ」

 言いながら、母は玄関から首を出して外の様子を確認する。しっかりと司の手首を握ったままドアを閉め、鍵を掛けた。

「困っているところをこの子に助けていただいたって。ねえ」

 頬のこけた顔で母が笑う。腰まである長い髪を一つにくくり、ぴったりとしたニットワンピースを着ていた。その横では、司がきょとんとした顔をしている。

「嬉しかったでしょう。お母さんも似た経験があるから分かるけど、とても素晴らしい少年だわ。ハンカチまで貸してもらったんですってね。ぜひともお礼をしなきゃあ」

「……でも」

「お茶を用意するから、先にお部屋にご案内して。ほらほら」

 母が有無を言わさず私たちの背を押す。階段を上って自分の部屋の前まで来ると、いそいそと一階へ戻っていった。

 二人きりになり、室内は静寂に包まれる。

 うつむいたまま何も言えなかった。母の行動が普通ではないことは分かっている。彼が、たった一度ハンカチを貸しただけの相手を覚えているはずもない。司はきっと誰にでも親切だし、この気持ちは完全に一方通行だ。

 ――だけど。

 私は、母がどのような反応をするか分かっていながら青いハンカチを洗濯してもらった。男物のハンカチを見つけた母は、タグに書かれていた珍しい苗字をあっさりと読み上げた。とてつもない奇跡が起きたような表情で。

 母は優しく、しかし執拗に何があったかを尋ねた。そのときから、私はこうなることを予感した。こうなればいいとも思った。ほの甘い感情を抱きながら。

「紗雪ちゃんていうの?」

 声を掛けられ、思わず肩をすくめる。

「僕、海士坂(あまさか)(つかさ)だよ。よろしくね」

 恐る恐る表情を伺うと、こんな状況とは思えないほど屈託なく笑っていた。母はなんと言って連れてきたのだろうか、と不安になる。

「おうち大きいなあ。あ、部屋入ってもいい?」

 言ったそばからもう開けている。呆気にとられながら、司のあとに続いた。

「うわぁ、すごいね!」

 一面がボルドーのじゅうたんだ。家具は全て白の猫足で、中央にある丸テーブルと二脚の椅子は華奢で装飾的なつくりだ。本棚には白のレースカーテンが引かれ、テレビはない。

 生活感が消された部屋にあふれるのは、さまざまな種類の人形たちだ。窓辺、棚の上、そしてベッドにまで。手作りの人形たちは皆、美しい服を纏った少女の姿をしていた。

「ごめん……」

 物珍しそうにあたりを見回す司の背中に言った。きっと、気持ち悪いと思われている。母の作った人形全てが葬式用ではないが、みんなは『死体用の人形ばかり作ってる家』としか思っていない。

「何が?」

 なんと言えば良いのか迷った。

 気持ち悪いものを見せたから? 彼に嫌な思いをさせたから?

 しばらく迷った挙句、小さな声で「なんでもない」とだけ返す。彼の顔を見る勇気はなかった。

「ねえ、これ手とか動くんだ?」

 無邪気な声に、恐る恐る顔を上げる。司が丸テーブルに座らせていた人形を見ていた。母の一番のお気に入りだ。

「……うん」

「触っていい?」

「い、いいよ」

 母が『六花(りっか)』と名付けた、長い黒髪の少女人形。ほかの人形よりも一回り小さく、ランドセルにすっぽり入りそうなサイズだ。白く光沢のある着物を着ている。雪に咲く花のように、頬と唇がしっとりと赤い。

「うわー、足も曲がるんだ。ロボットみたい」

 思わずくすりと笑った。彼にとっては、人形よりもロボットの方がなじみ深いのだろう。そんなことを考えたら、心の角がゆるゆると丸く溶けるのを感じた。

「あの、これ……立たせられるんだよ」

 ドキドキしながら手を伸ばし、人形の両足を真っすぐにする。

母の峰子(みねこ)は変わっているが、人形作りにかけては尊敬していた。重心を考えて作られているので、小さいサイズに限ればドールスタンドなしで自立させることができるのだ。かといってそれ以上の感情は持てない。

 ――すごいけど、どうでも良い。

 それが人形に対する正直な気持ちだった。

「すごいなあ。どこで買ったの?」

 司が輝く目で私を見る。

「あ、お母さんが作ったの」

 あれ、と思いながら答える。司は、私が人形師の娘であることを知らないのか。

「こんなすごいの作れるの?」

「……人形師だから」

「あっ、聞いたことある! 人形婚に使うやつなんだよね?」

 心臓がどくりと脈打った。彼は、母の作る人形が葬式に使われるものだと知っている。例えば自分たちのような、未婚の人間が死んだときのための疑似伴侶(ぎじはんりょ)だと分かっている。

 きゅっと唇を噛んだ。

 ――言わなければよかった。

「へー、僕はじめて見たよ」

 澄んだままの声に目を上げる。

「紗雪ちゃんのお母さんの人形って、こんな綺麗だったんだね!」

 胸が大きくとくんと鳴った。

 お世辞だろうか。司の声には、わずかばかりの動揺もない。

「なんとなく紗雪ちゃんに似てるかも」

「……そんなこと」

 六花に目を移す。幻想的ですらある美しさだ。自分に似ていることなどあるのだろうか。

 けれど、嬉しい。

「あ、そういえば僕のお母さん知ってる?」

 甘い喜びに浸っていると、唐突に司が言った。もちろん知らない。

「お母さんももうすぐここに来るはずなんだって。だから、ここで紗雪ちゃんと一緒に待ってなさいって言ってたって」

「そうなの……?」

「学校から帰る途中、紗雪ちゃんのお母さんが教えてくれたよ」

 脳裏に不安が影を差す。本当だろうか。もしこれが、司をここに連れてくるための嘘だとしたら。早く司を帰さなければ、大変なことになるのではないだろうか。

「――紗雪」

 軽やかなノック音がして、母が入ってきた。手には銀のトレイを持っている。

「司君は、クッキー好き?」

 紅茶とクッキーをテーブルに並べ、母が甘い声で訊く。

「うわぁ、いっぱい! 大好きです!」

「たくさん食べてね。お代わりもあるから」

「いただきまーす」

 椅子にひょいと座り、司が手を合わせた。母の言うことを疑うそぶりはない。

 おやつを並べて退室しようとする母の背中を見て、ますます不安に駆られた。

 閉まりかけたドアに手を掛ける。一緒に廊下に出てドアを閉め、司に聞こえないよう訊いた。

「お母さん、あれ本当なの?」

「あら、どうしたの」

「司君のお母さんのこと、本当に知ってるの?」

 母は内向的な人間だ。自分と同じ種類の人間だということは分かっている。

「知ってるわ」

 母はにこにこと笑ったまま表情を変えない。

「じゃあ、本当に司君のお母さんはこのこと知ってるのね? いつ迎えに来るの?」

 ホッとして肩の力が抜けた。考えすぎだったらしい。しかし母は上機嫌のまま、ゆったりと首を振る。

「来ないわよ。だから思う存分、司君と一緒にいなさい」

「……え?」

「もう二度と縛られない。どんなことをしてでも、今度こそ幸せになるんだから」

「何言ってるの……?」

 痩せた頬を緩めたまま、母は背中を向けた。追いかけて問い詰めたかったけれど、その勇気はない。甘ったるいバニラの香りが糸を引いていた。

 部屋のドアを振り返る。開けば、母と同じクッキーの香りが広がっているだろう。そこには司がいる。人形師の娘だと知っても変わらず接してくれる人が。

 私は部屋に戻った。

「どうしたの?」

 クッキーをほおばりながら司が笑いかけてくる。私も席について、一つ手に取った。

「なんでも、ない」

「これ美味しいねえ。毎日食べたいくらい」

 幸せそうな司につられ、ひと口かじってみた。

 バターの風味が強い、ハート形の手作りクッキー。好きじゃないからと何度も言ったのに、毎回それを忘れたかのように作られ続ける母のクッキー。

 だけど。

 今だけは美味しい。もうそれでいいじゃないか。言いたいことも一緒に飲み込んでしまおう。司といる今だけは。

「……ごめんね」

「え? なに?」

「なんでもない」

「紗雪ちゃん、それ二度目」

 司がふふっと笑う。意味が分からず挙動不審になっていると、すぐに教えてくれた。

「『なんでもない』ことが知りたいんだよ。言われないと分かんないじゃん」

「あ……えと……」

 心の奥がチクリと痛んだ。言ってしまえば司はここからいなくなるだろう。彼には友達がいる。あのとき一緒に廊下を歩いていた男子生徒が。『妙法寺と関わるな』と、親切にも忠告してきた友達が。

「どうしたの? もう食べないの?」

 なりたくて人形師の娘になったわけではない。

「お茶美味しいねえ」

 母が人形師でなければ。

 この村に人形婚などという風習がなかったら。

「……僕のお母さん、まだかなあ」

 私が普通の子供だったら、誘拐なんてしなくても司といられたはずなのに。

「紗雪ちゃん……?」

 はたと我に返った。

 いつの間にか司が椅子から降り、傍らに立っている。口元は笑ったまま、情けないほど眉尻を下げていた。

「あの、僕、ごめんね」

 自分が泣いていたことに、そのとき初めて気が付いた。どうやら勘違いをさせてしまったらしい。

「緊張するとしゃべりすぎちゃうんだ。何しゃべっていいか分かんなくて、それで……」

 背中を丸めてもじもじと下を向く。意外だった。気後れしない性格で、相手の顔色をうかがうようなことはしない人だと思っていたのだ。

「嫌なこと言ったかな。聖一(せいいち)にもよく言われるんだ。黙ってた方が良いときまでしゃべるって。しゃべりすぎて空回りしてるって――」

 はっとしたように口をつぐみ、バツが悪そうにつぶやく。

「……また、しゃべりすぎてるね」

「違うの」

 いつもより大きい声が出た。司が目を丸くする。

「あの……ごめんなさい。私、話すのが苦手だから。上手く返せないから、それで」

「ほんと? うっとうしくなかった?」

「うん。……たくさん話してもらえるの、嬉しい」

「よかったぁ」

 ぱあっと顔が明るくなる。心の底から喜んでいるのが分かった。

 ――こんな人、初めてだ。

 クラスメイトや先生は、私に向かってこんな顔はしない。嘲笑することはあっても、目を見て微笑みかけてなど来ないのだ。

 ――お母さんだって。

 母は優しい。唯一の家族であり、唯一の味方だ。そのはずだ。

 ――だけど、お母さんは何も聞かない。

 バターの強すぎるクッキーも、少女趣味の部屋も、長すぎて鬱陶しい髪も。嫌だと何度も言っているのに、毎回初めて聞くような驚き方をする。そして次の日にはさっぱり忘れるのだ。

 ――お母さんは、誰を育ててるんだろう。

 これも母なりの愛情なのだろうか。だとしたら、その愛は誰に向かって注がれているのか。

 ――私も、お母さんの作った人形でしかないんだ。

 そこに人格はない。所有者の願望を反映するだけの、見栄えの良い()れ物だ。

 けれど司は違う。私を、初めてひとりの人間として扱った。

 ――母が与えてくれたものの中で、司だけが唯一価値のある存在なんだ。

 思い込みの激しい母ならきっと上手くやってくれる。このまま二人きりの世界を守ってくれる。

 そうでなければ、困る。

 ――司なら私を救ってくれる。

 嫌なことしかない毎日から。誰の人生を生きているのかもわからない日々から。

 ――あのときみたいに。

 友達すら振り切って、ハンカチを差し出してくれたときのように。


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