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冥婚ドヲリズム  作者: 三石メガネ
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妙法寺ーM

 下校のチャイムが鳴った。

 片づけを終え、おしゃべりに夢中なクラスメイトたちの脇をすり抜ける。誰も声を掛けてくる人はいない。中には振り返る生徒もいたが、一様に蔑むような眼差しだった。

 帰る前に、トイレに駆け込む。

 個室に入って鍵をかける。和式便所を立ったまま跨ぎながら、魂の抜けそうなほど長いため息をついた。

 肩よりもわずかに長くなった髪がさらさらと滑り落ちる。ぐったりと首を垂れ、両手で顔を覆った。聞かれるのは嫌だから声は出さない。なけなしの意地だ。唇を切れんばかりに強く噛む。

 どれほど経っただろうか。

 ふらりと手を下ろし、前を向く。もういつも通りの無表情だった。音を立てないよう個室の鍵を開け、手洗い場へと歩く。

 先客が三人いた。

「あ、妙法寺(みょうほうじ)だ」

「めっちゃ長かったじゃん」

「ウンコだよ。くっさー」

 通り過ぎようにも、道をふさがれている。

「ちゃんと手ぇ洗いなよ」

 うつむいたまま、左の水道の蛇口をひねった。言われるままに手を洗う。それを見て、三人は揃って意味ありげな笑みを浮かべた。

「早く拭いたらぁ?」

 着ていた上着のポケットに手を入れる。しかし、ない。塗れた手で両方のポケットを探す。途端に、笑い声がはじけた。

「ハンカチないの? どっかに落としたんじゃない、ゴミ箱とか」

「じゃあ今ごろ焼却炉だね」

「燃やされる前に拾ってきたらぁ?」

 下を向く。目で追うべき迷路はなく、早く終わる見込みもない。無表情が崩れるのが分かった。

 耐え切れなくなって、退路をふさいだままの三人の隙間へと割り入る。いじめっ子たちからわざとらしい悲鳴が上がり、すんなりと道が開ける。

 通り過ぎようとした途端、転んだ。

 あの三人ではない。廊下にいた生徒にぶつかったのだ。

「ごめんなさい……」

 尻もちをついたまま、相手の目も見ずに早口で言った。足しか見えない。黒い制服のズボンからして男子のようだ。

「うるさいな」

 ひやりとして顔を上げる。眉をひそめてそう言った彼は、しかしこちらを見てはいなかった。下級生だろうか、知らない顔だ。背は低いし痩せているけれど、目が大きく鼻筋が通っている。

「そんな言うなら貸してやればいいじゃん。あんたたちも持ってないの?」

「おい、早く行こうぜ」

 少年の後ろから友人らしき男子生徒が呼びかける。しかし、少年は意に介さない。

「ぶつかってごめん」

 目の前に手を差し出してきた。戸惑ったまま動けないでいると、強引に手をつかんで立たせる。

「あ、ほんとだ。濡れてる」

 少年は屈託なく笑った。ポケットから青いハンカチを取り出し、自分の手を拭き始める。

「なにこいつ」

「妙法寺のウワサ知らないの?」

 気分を害した様子の女子が口々に言う。少年の友人は、焦ったように早く行こうと急かす。

 けれど当の少年は、その全員が存在しないかのように言う。

「はい、これ」

 今まで使っていたハンカチを突き出す。そうして当然とでも言うような、ごく自然な流れだった。

 白い電車の絵が描かれたそれをどうしても受け取ることができない。今までに受けてきた仕打ちを考えれば裏を読みたくもなる。そんな葛藤を無視して、少年は無理やり押し付けた。

「んじゃ」

 彼が歩き出す。廊下の向こうへと通り過ぎていく。そのあとを、ほかの男子が焦ったように追った。トイレの入り口に立っていた三人組は興ざめした様子で、そそくさと散っていく。

 皆が去っても、ひとりでその場に立ち尽くした。

 右手を見る。綺麗に折りたたまれた柔らかいハンカチが、くしゃりと握られていた。洗いたてのシャボンの香りがする。澄んだ青色に、先ほどの少年の顔を重ねた。

 そして気づく。ハンカチの下部分に黒のマジックペンで、じかに『海士坂』と書かれていた。

 ――なんて読むんだろう。

 読めない名前を指でなぞる。直前まで彼が持っていたという事実がくすぐったい。

 心に淡い光が灯った。


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