第7話 マジカル☆フォックス
鈴鹿とマコトを乗せた軽自動車が、静かにエンジンを回すとゆっくりと走り出した。
行き先は夜行探偵社、マコトと鈴鹿が世話になっている場所である。
「……あれ? そういや鈴鹿さんって、免許……」
「もちろん持っとるよ、アオが用意してくれたさかいな」
問題は、そこではない。
マコトと鈴鹿の戸籍や名前は、鈴鹿が『アオ』と呼ぶ、夜行探偵社の所長である草壁蒼一郎が、偽造して用意してくれたものだ。
鈴鹿が小さなポーチから取り出してマコトへ見せた免許証も、完全に偽装されたものだった。
そのためマコトは鈴鹿がちゃんと運転ができるかどうかを心配したのだが、その時鈴鹿の足がアクセルもブレーキも踏んでおらず、両足を揃えて座っていることに気がついた。
その視線に気づいた鈴鹿がクスクスと笑い、マコトに微笑みかけた。
「今頃気付いたん? 昨夜かてウチ、ハンドル触っとっただけなんよ。この子は付喪神の『テンちゃん』ゆうんや」
「付喪神?」
「なんやマコト、付喪神も知らんのかいな。付喪神ゆうんはな――」
『付喪神』とは、長い間使われた器物に神や精霊が宿ったものとされる、物質と妖怪の中間にあるような存在である。大事にされた器物には他者に友好的な、粗末にされ続けた器物には他者に悪意を持つような付喪神となる。
マコトは鈴鹿の説明を聞きながら、自身が妖怪の内部にいることに驚きはしたが、発進と停止のスムーズさや揺れの少なさという快適な環境の方により驚いていた。
そしててんとう虫に似た外観からテンちゃんという名前がつけられたと聞き、丸っこい外観を思い出し納得する。
「じゃあこの車は大事にされてきたってことなんだな。でも車まで妖怪だというのは、ちょっと予想外だったよ。……よろしくな、テンちゃん」
マコトは驚きながらも挨拶をすると、カーラジオが勝手に動き出し『ザザッ』と音を立てた。
「テンちゃんは会話できひんけど、ザザッてゆうたら『はい』で、ザーゆうたら『いいえ』らしいんよ」
マコトはテンが返事をすることと、一口に妖怪と言ってもいろいろな者が存在することに驚いていた。
そして道具などを大事に扱うことで、付喪神という存在が生まれることを知り、マコトは物を粗末にしないようにすることを心に誓う。
やがて二人を乗せた車は大通りに出て、大きな交差点を超えた直後のことだった。
たった今通り過ぎた交差点の方から、けたたましいブレーキ音と重い衝突音が響き、マコトは驚いて振り返った。
するとそこには対向車線を走っていた外国産乗用車が横倒しになり、その底面に一台のスポーツカーが突き刺さっている様子が見えた。
上を向いた乗用車の左側が大きく破損していることから、横からスポーツカーに突っ込まれ横を向いたところに、止まりきれなかったスポーツカーが更に突っ込んだのだろう。
マコトは横倒しになった車の後部座席に女性が二人いるのを見つけ、助けに行くことを提案すべく鈴鹿を見る。
しかしその視線を受けるより早く、鈴鹿が目を伏せながら小さくつぶやいた。
「……テンちゃん、脇道入ってんか」
二人を乗せた軽自動車は鈴鹿の言葉に応え、脇道に入って小路をジグザグに少し進むと、人気のまばらなビルの隙間に止まった。
「鈴鹿さん?」
「ごめんなあ、真琴ちゃん……突っ込まれた車に、真琴ちゃんくらいの子が乗っとるのが見えたんや。それと突っ込んだ車から煙上がっとるのも見えたさかい、今すぐ助け出さな。……真琴ちゃんはこのまま探偵社へ行って、アオに説明してくれへんかな?」
「その姿で行くつもりか? 人化してると、大した妖力が使えないんじゃなかったっけ?」
鈴鹿が一人で行こうとしていることで、マコトは気付いてしまった。鈴鹿はここで妖怪本来の姿になり、人を助けるつもりなんだと。その鈴鹿の腕を、マコトは反射的に掴んで止める。
いくら妖怪は映像に残らないといっても、ここは人目につき過ぎるし、何より逃げ切れない可能性が高い。
「見てしもうたもんはしゃあないやんか、子供は見殺しにしとうないんよ……。遠くからちょっとだけ妖術で手助けするだけやさかい、見逃してんか?」
「ダメだ、万が一見つかったら鈴鹿さんじゃ逃げ切れない。だから……オレが行く」
素早く車を降り周りを見渡したマコトは人がいないのを確認し、リュックから一枚の護符を取り出すと、すぐ近くのビルの壁へと貼り付けた。
人避けの護符。
貼り付けてからおよそ十分間は付近への人の立ち入りを阻害し、効果が切れると塵になるという妖術符だ。
しかもその効果は人避けだけにとどまらず、一定範囲にいる人の視線を、護符が貼られた辺りに向けさせないようにする効果もある。
「オレは鈴鹿さんに救われた。そのオレが人助けをするんだ、それなら間接的だけど鈴鹿さんが救ったことにもなるだろ?」
そのままマコトは鈴鹿の返事を待たずに、自分の胸へと手を当てる。
「変身! マジカル・フォックス!!」
その瞬間マコトの中からタマの力が溢れ出し、全身を包み込む。
今のタマ自身は、妖力をほぼ使えない。
しかしマコトが仲介することによって、一部ではあるが力を使うことができる。
その力をマコトが自由に使うために、タマが出したたった一つの条件――それが、変身だった。
タマが以前見た魔法少女モノのアニメに影響されたらしいのだが、マコトにとってはいい迷惑でしかない。
間もなくマコトの髪の毛は長く伸びて銀色に光り、服装は胸元の大きく開いた白衣と赤いミニスカートへと姿を変える。
変わらない身長を除いて美しい女性の姿へと変貌したマコトは、ミニスカートから伸びて銀色に輝く三本の尻尾を揺らし、頭上に生えた一対の耳を立ててピコピコと動かす。
変身を終えたマコトは心配そうな表情を浮かべる鈴鹿を見て一つうなずくと、ビルの屋上目掛けて跳びあがり、そのまま屋上伝いに跳んで事故現場へと向かうのだった。
「誰か硬いもの持って来い、フロントぶち割るぞ!!」
「ダメっすよ離れてください先輩! 爆発します!!」
「馬鹿野郎、まだ間に合う! 離せ!!」
事故現場に近づいたマコトは、怒声と喧騒を耳にする。
見ると突っ込んだスポーツカーは既に無人となっており、フロント部分から炎が上がっていた。そして横になった乗用車の中には、血で汚れたフロントガラスを必死の形相で叩く、壮年の男性の姿が見えた。
どうやら右側のドアは車の下敷きになり、上を向いた左側のドアはひしゃげているため、脱出できなくなっているようだった。
その場には路肩に何台もの車が止まり、多くの人が事故車を遠巻きに囲んでいた。
中には事故車に近付こうとしている中年の男性や、その男を取り押さえている男もいるが、皆一様に為す術もないようで、悲痛な表情を浮かべていた。
マコトはそこへビルの屋上から飛び降り、静かに降り立った。
一瞬静まり返ったあとマコトに聞こえてくる、無数のシャッター音。
マコトに向けられた携帯やスマートフォンのカメラレンズの数、そして開いた胸元や短いスカートから伸びる足へ向けられた無数の視線に、マコトはその場を逃げ出したくなるものの、一度大きく頭を横に振って気持ちを切り替える。
「な……そ、そこのコスプレ女、車から離れろ! 死にてえのか、爆発するぞ!!」
その罵声をマコトに浴びせてきたのは取り押さえられていた中年男性だったが、マコトはその声を無視して乗用車へと近付き、血のついたフロントガラスを素手で突き破った。
途端に周囲の喧騒が止み静寂に包まれる中、マコトはもう一度拳を突き立て、開いた二つの穴に両手をかけると、割れにくいように加工されているであろうフロントガラスを、思いっ切り引き剥がす。
マコトは運転席にいた男性に目に見える怪我が無いことに安堵し、エアバッグの残骸を押しのけて壮年男性を引っ張り出そうとするが、予想外の抵抗にあった。
横向きになっている車は左ハンドル車で、男性は体に食い込む運転席のシートベルトを外すことができず、ぶら下がっている状態だったのだ。
「わ……私より、後ろの娘たちを……」
「必ず助ける。でもまずはあんただ」
後部座席には高校生くらいの少女が二人、事故の衝撃のせいか朦朧とした様子で、シートの影で支え合っているのが見えた。顔はよく見えないが二人とも青みがかった綺麗な黒髪をしていることから、姉妹だと思われる。
だがマコトにはそれをよく観察するような余裕はない。スポーツカーが上げる炎はこの車の腹を炙っており、いつガソリンタンクが爆発してもおかしくないのだ。
時間がないと判断したマコトはタマの妖力の一つ、身体強化の段階を上げてシートベルトのバックルを破壊し、壮年男性を運転席から引っ張り出して振り返った。
「コスプレ女、こっちだ!」
そこには先程マコトに罵声を浴びせた中年男性が、運転手を渡せと言わんばかりに手を伸ばしていた。
青い顔をして恐怖を必死に抑えているのであろうその男に、マコトは笑顔を一度向けると運転手を引き渡す。
そしてすぐに踵を返して車の中へと足を踏み入れ、後部座席にいた二人の少女を両脇に抱えて車を飛び出す。
そして一足先に運転手を連れて離れていた、中年男性の近くへ着地したその瞬間だった。
後ろから聞こえた『ドン!』という鈍い爆発音に振り向くと、直前までいたマコトがいた車内が一瞬にして炎に包まれ、黒煙をもうもうと上げていた。
直後湧き上がった様々な歓声に包まれながら、マコトは大きく深呼吸をする。
「危なかったな、コスプレ女……間一髪だったぜ」
「……あんたの勇気のおかげだ。オレ一人じゃ、多分間に合わなかった」
その言葉に偽りはなかった。
恐らくだがマコト自身は炎に包まれても、火傷はしても死ぬことはないと思っている。だが後部座席にいた二人の少女は違う。タマの治療の力を使っても、重度の火傷や骨折などは治せない。
そして娘二人を抱きしめ咽び泣く壮年男性を見て安堵したマコトは、その運転手のジャケットが血で汚れていることに気がついた。
そのとき事故車両のフロントガラスが血で汚れていたことを思い出したマコトは、運転手の男性に目をやるが、怪我をしている様子は見られない。
よく見るとその血は中年男性のもので、恐らくマコトがしたようにフロントガラスを突き破るため、拳で殴りつけていたのだろうと想像できた。
それに気付いたマコトは中年男性に握手を求め、右手を伸ばす。しかし何やら戸惑った様子で拒否する男の手を無理矢理掴んだマコトは、癒しの力を流し込んだ。
骨が折れていなければいいけど、と考えていたその時、中年男性が口を開いた。
「俺は山崎大介、捜査一課の刑事だ。コスプレ女、あんた名前は」
「刑事っ!? えーっと、その……マジカル・フォックス?」
名乗るつもりは無かったのだが、刑事と聞いて焦ってしまったマコトの口から、マコトにとってはありえない単語がこぼれ出てしまった。
直後顔に感じる激しい熱から逃げるように、刑事の手を振り払ったマコトは、ビルの屋上目掛け大きく跳び上がる。
真下から聞こえる刑事の大声と多くの感嘆の声を背に、ビルの屋上に降りたマコトは右手を自分の胸に当て、自分の中にある妖怪の力へと意識を向ける。
「リリース……べとべとさん……」
直後透明になる、マコトの体。
自分なら逃げられるだろうと思っていた理由の一つ、それは先日ドレインで奪った、べとべとさんの妖力があったからだった。
その妖力を自分に対して開放し、べとべとさんの妖力『透明化』を用いたのだ。
自分の体のみならず影すらも消えたことを確認したマコトは、その場を離れて車に戻る。
車の横に着地すると同時に透明化を解いたマコトは、そのまま変身も解除して元の姿へと戻り、車から降りて待っていた鈴鹿へ微笑みかけた。鈴鹿はその姿を確認すると同時に、飛びかかるようにマコトへと抱きついた。
「真琴ちゃん堪忍な、ウチの我儘につきあわせてもうて……あら、血がついとるやないの! ど、どこ怪我したん? 包帯、いやまず消毒や!」
鈴鹿はマコトの右手とブラウスの胸元に付いた血を見つけると、真っ青な顔でマコトの体をぺたぺたと触り始めた。
右手の血は山崎と名乗った刑事と握手したときに付いた血で、透明になる際にその手で自分の胸を触ってしまったせいで、ブラウスにも付いてしまっていただけだ。
「……大丈夫、これはオレの血じゃないし、被害者の血でもない。それに運転手も後ろに乗ってた二人の女の子も無事だから、舌出すのやめて?」
「真琴ちゃんは、無事なんやね? ……んもう、こないな気持ちになるんやったら、自分で行った方がマシやったわぁ……」
傷口を見つけ次第舐めようとしていたのか、舌を出しながら鼻を近付けくんくんとマコトの匂いをかいでいた鈴鹿は、舌をしまって安堵したかのように息を吐くと、もう一度マコトを強く抱きしめた。
「大丈夫だって。もし怪我しても少しくらいならタマの力で治せるし、そもそも鈴鹿さんが言い出す前から、オレ自身が助けに行きたいって思ってたんだから」
「……せやけどなぁ……」
「てーか過保護すぎだろ……そうだ、そんなに不安なら戦い方教えてくれよ。オレが強くなれば、多少は不安も紛れるだろう? それにどっちみちオレは男の姿に戻るため、タマの殺生石を探す。……殺生石探してる妖怪もいるんだろ? 場合によっては奪い合いになるし、そうなったら危険度は、人助けの比じゃないよな」
謀らずも駆け引きのようになってしまった言葉に、マコト自身が驚いて慌てるが、これもまたマコトの本心だった。
「それにほら、ヒーローみたいで格好いいじゃん?」
誤魔化すようにおちゃらけたマコトだったが、その時マコトの体からタマが現れ、鈴鹿の頭に乗ってニヤニヤしながらマコトを見下ろし口を開いた。
「ヒーローじゃなくて、女の子だからヒロインだよね! ぷーくすくす!! ねえちょっと鈴鹿聞いてよー! マコトったら自分で『マジカル・フォックス』って名乗っちゃったのよ―!! ぷーくすくす!!」
「うわああああああ!! だ、黙れタマ! あ、あれは動揺して、つい……うわああああああ!! ちくしょおおおおお!!」
失言の代償は、マコトにとっては非常に痛い精神攻撃として、マコトへと降りかかるのであった。