第41話 境界線上の二人
ご無沙汰しております。
間を空けすぎてしまい申し訳ありませんでした。
「なんかフォックスちゃんとは気が合いそうだし、良いお友達になれそうなのよねぇ。ねえ、考え直さない?」
「……気のせいだし、考え直さない。いくよ!」
即答できないだけの逡巡があるマコトではあったが、気の迷いを振り払うように身体強化の度合いを上げると、エイジへと間合いを詰める。
しかしその拳はまるで動きを読んでいたかのようなエイジの、丸太のように太い腕に阻まれてしまう。
「あら残念……きゃあっ!?」
小柄なマコトの細腕から放たれた拳は、身長差が五〇センチほどもあるエイジの巨躯を弾き飛ばしていた。
振り抜いた拳を戻し構えるマコトは、驚愕に目を見開いていたエイジの表情から、ふざけた雰囲気が消えたの感じ取った。
直後地面を蹴ったエイジが、長いスカートを翻しながらマコトへと迫る。
そして鈍いエイジの右フックがマコトの頬を捉えると、二つの鈍い打撃音が重なり合って辺りに響いた。
「ぐっ……」
「かはっ!?」
マコトと同時に苦悶の声を上げたエイジの腹に、マコトの拳がめり込んでいた。
マコトはその場で足を止め、真っ向から迎え撃っていたのだ。
「や、やるじゃない……ワタシと真っ向勝負だなんて、女の子にしておくのは勿体ないわねえ」
「……女の顔を本気で殴りに来るなんて、やっぱりあんたは完全に男を辞めているんだな」
「ふふふ、男だとか女だとか関係ないって言ったのは、フォックスちゃんじゃない?」
そう言ってウインクしたエイジに、マコトは口の端から流れる血を拳で拭うとニヤリと笑い返し、更に一歩前へ踏み込んだ。
「そう、だったわね!」
マコトの拳が、再度エイジの腹へとめり込んだ。
しかし同時にエイジの拳も、マコトの腹部へと激突する。
互いに苦悶の表情を浮かべながら一歩も引かず、その場で何度も拳を叩きつける。
それはまるでお互いを理解し合おうという、儀式のようでもあった。
そして数分にも及ぶ殴り合いの末、先に一歩下がったのはエイジだった。
「はぁ、はぁ……やるじゃない……それにフォックスちゃん、怪我治ってない? ちょっとぉ、ずるいじゃないのよ~!」
「エリザベスこそ……人間のままでその力って、異常じゃない?」
マコトは殴られた部位をさすって治療しながら、メイド服の腹部が破け分厚い腹筋が剥き出しになったエイジに目をやる。
どこか嬉しげな笑みを浮かべているエイジは、妖怪としての力を使わず人間としての力だけで戦っていた。マコトは肌に感じる妖気からその事実に気付いており、エイジに対し敵ながら敬意すら感じていた。
「鍛え方が違うのよぉ? でも半妖だからかしらね、人並み外れてるっていう自覚は在るわ。ワタシって昔からちょっとでも動けば、動いた分以上に筋肉がついちゃう体質なのよねぇ……だからフォックスちゃんみたいに細くて小さい身体って、憧れちゃうわぁ」
「私もエリザベスのような身長や、筋肉が欲しかったわ。……お互い、無い物ねだりね」
男としてのマコトは、筋肉量や胸板の厚さに違いはあれども、今の姿とさほど変わりない体格なのだ。
その事実を思い出し軽くため息を吐いたマコトの目に、エイジのどことなく嬉しげな表情が映る。
「あらぁ、やっぱりフォックスちゃんとは気が合いそうだわぁ。ところで……そろそろお互い、本気でやりましょう?」
マコトはエイジとのやり取りに楽しさすら覚えており、もう少し続けたいという想いがあった。
しかしゆっくりしていられない事情を思い出すと、マコトはエイジの提案に乗ることにした。
「わかったわ。……ぶっ飛ばしてあげるから、そのあとゆっくり話しましょう」
「あらぁ、余裕じゃない? でもそれ……私のセリフよぉ? 鬼化!!」
エイジの言葉が終わると同時に、マコトは背中に冷水を浴びせられたような悪寒を感じ、その場から慌てて飛び退いた。
何かをされたわけでもなければ、周囲に変わった様子もない。
ただ、エイジから感じる気配だけが変わっていた。
「くっ……鬼化だって?」
「そうよぉ、最近できるようになったばかりなんだけど……フォックスちゃんには特別に、見せてあ・げ・る♪」
その言葉の直後エイジの体が膨れ上がり、既にボロボロになっていたメイド服が内側から弾けた。
急激に高まるエイジの妖力に気圧されながらマコトが目にしたのは、全身を包む真っ赤な筋肉で二回りほど大きくなったエイジの巨躯と、その頭から真っ直ぐ上に伸びる鋭いツノだった。
赤鬼。全ての悪心の象徴とも言われる、最も有名な妖怪の一つである。
その赤い肌は血に塗れたような艶めかしさがあり、マコトの狐火に照らされたその様は、まるで鮮やかな真紅の輝きを放っているかのようでもあった。
「うふふ……この姿、どう?」
「……肌艶もあって、とても綺麗な色ね」
マコトはエイジから感じる妖気の濃さを感じながら、軽口のように見たままの返答を返した。
想像以上にエイジが強敵であることを、マコトは妖気から感じ取っていたのだが、それを口にするのは憚られたための軽口であった。
すると黒のブーメランパンツ――もとい、やたらと面積の少ないレースをあしらった女性物のショーツ一枚のエイジが、内股で体をくねらせながら満面の笑みを浮かべていた。
「あら……うふふ。この姿、ホントはあんまり好きじゃないのよねぇ。でも、ちょっと好きになれそう♪ ありがとうね、フォックスちゃん」
その時マコトの目が、エイジの股間を捉えた。
小さな布の内側に、いったいどれだけのものが詰められているのか。そこは今にも内側から弾け飛ぶ寸前だったのだ。
「待ってエリザベスその格好……」
「鬼化よぉ。ほら、ワタシって半妖じゃない? だから妖怪化した自分の姿をしっかりイメージして、体の奥から迸るリビドーを開放しないとこの姿になれないのよねぇ。フォックスちゃんはどうやってるのかしら?」
「そうじゃなくて! 動いたらパンツが破けそうなのよ!」
エイジが何を言っているのか一部理解できないマコトだが、それでも行動を起こすべく蜃の力を使う準備をする。
「あらやだ! 女同士でもそんなに見ちゃだめよぉ? 心配してくれるのは嬉しいけど、鬼のパンツは丈夫なのよ。そう簡単に破けたりしないわ!」
「そういう問題じゃなく……ああもう、わかったわよ。パンツが破けても、泣かないでね? ……リリース、蜃!」
マコトはエイジの股間を隠すために準備していた蜃の力を使い、幻で自分の分身を二体作ると、自身の左右に並ばせて構えを取る。
「あらぁ、面白い力ねえ。それじゃ第二ラウンド、始めましょうか!」
今度は正真正銘、手加減無しでの戦いであった。
マコトはカマイタチの力で風の刃を放ちながら、幻の二体をエイジに向かわせる。
しかし風の刃はエイジの筋肉に阻まれてわずかな傷しかつけることはできず、マコトの幻はエイジが軽く振るった腕の一撃で消滅した。
そしてニヤリと笑ったエイジの腕が、紅蓮の炎に包まれる。
「な、なんですってぇ!?」
それは幻のマコトの中に隠した、狐火の炎だった。
炎がエイジの腕を包み、肉の焼ける匂いが上がると、エイジの余裕の表情が一転し焦りに変わる。
そのエイジの懐に、マコトは一瞬で間合いを詰めると左手を伸ばす。
「悪く思わないでね。ドレイン!」
マコトの左手は、エイジのたくましい腹筋に確かに触れていた。
しかしドレインを発動した結果、驚愕に目を見開いたのはマコトの方であった。
「な……なん、で……?」
「あらあ、思ったとおりねえ? フォックスちゃんの吸収能力ってぇ、集中さえしていればワタシでも十分に抵抗できるみたいよぉ?」
ニヤリと笑みを浮かべたエイジの表情に、マコトは先程のエイジの焦りが偽りであったことに気が付いたが、すでに手遅れであった。
マコトにとって吸収能力は必殺とも言える能力である。しかしそれをいとも簡単に防がれてしまったことで呆然とし、大きな隙を作ってしまったのだ。
「が、はっ……」
マコトの腹にエイジの鋭い膝蹴りが突き刺さり、軽い体が宙へと跳ね上げられた。
「フォックスちゃんこそ、悪く思わないでね? ……ふんっ!」
エイジが気合とともに腕を大きく振るい、腕にまとわりついていた狐火の炎を振り払うと、宙に浮いたマコト目掛け左右の拳を連続で振るった。
「ふんふんふんふんふんっ!」
エイジの拳はマコトの体を浮かせ続けるように加減され、宙に浮かされたマコトは回避する手立てのないまま何発もの拳を受け苦悶の声を上げる。
しかし幸いというべきか、マコトはその衝撃のおかげで頭を切り替えることができた。
「ぐっ……リ、リリース・姑獲鳥!」
「え? あ、あらら?」
マコトが能力を発動した直後、マコトはエイジの拳を受けて高く吹き飛ばされた。そのせいで目標を失ったエイジの拳が空を切り、その風圧を受けたマコトの体が更に高く中を舞う。
姑獲鳥の能力である軽量化で難を逃れたマコトは、空中でシリュウとサイガに妖力を送り込み、無数の槍と短銃を出現させる。
「行け、シリュウ! サイガ!!」
両腕を交差して防御の構えをとったエイジへと、槍と銃弾が殺到する。
しかしエイジはその肉体で槍の穂先と銃弾を全て受け止めると、顔面を防御した腕を下ろして余裕の表情を見せた。
「あらぁ、思ったより軽い攻撃ねえ?」
「まだだ! 狐火・陽火! リリース・鎌鼬、火車!!」
マコトは鎌鼬の力で狐火に風を送り、更に火車の力で炎を操ることで、炎を巨大化させていく。
程なくしてその炎は渦を巻き、高さ五メートルを超える炎の竜巻が姿を表した。
「あらぁ、立派ねぇ。でもワタシもちょっとだけ火に強いから、これくらいなら……え?」
炎の竜巻が大きさをそのままに三つへと分かれると、エイジの顔にわずかな焦りが浮かんだ。
マコトは姑獲鳥の力を解除し着地すると、肩で息をしながらエイジを睨みつけた。
「はぁ、はぁ、はぁ……エリザベス、これが今の……オレにできる、全力だ!」
マコトは頭の中に浮かんだイメージ――タマの記憶の断片に従い、炎を操るべく右手を高く掲げる。
「リリース・タマ! ……開け八門、来たれ炎の龍! 八門遁甲・烈火!!」
マコトの声に呼応し三つの炎の竜巻が炎の龍へと姿を変え、エイジを中心に渦を巻くようにしながら鎌首をもたげた。
「ちょっと待って? う、嘘でしょ?」
マコトは掲げた右手を勢いよく振り下ろすと、直後『ギシャー!!』という奇声を響かせながら、三体の炎龍が中心に立つエイジ目掛けて殺到する。
「い、いやあああああああ!!」
迫る炎龍を避けるためエイジが真上に飛び上がるが、炎の塊である炎龍はまるで意思を持つかのようにエイジを追尾し、空中で一斉に激突した。
炎龍の突撃は物理的な衝撃を伴っており、空高く打ち上げられ巨大な火の玉と化したエイジの体は、辺りを照らす小さな太陽のようでもあった。
程なくして降下を始めた火の玉が、鈍い音を立てて地面へと激突したのを見届けたマコトは、間合いを詰めながらエイジを包む炎を消した。
そこには朦朧とした様子で大の字で横たわる、エイジの姿があった。
マコトはその姿を見て、焦げた様子一つ無いエイジのパンツの素材が気にかかったが、エイジが生きていたことに安堵し、軽く頭を振って気持ちを切り替え左手を伸ばす。
「オレ……いや、私の勝ちね。ドレイン」
エイジに触れた左手から、マコトは今度こそ妖力が流れ込んでくるのを感じていた。
また、妖力を失うに連れ人の体へと変化していくエイジの姿に、酷い火傷を負った様子もないことに安堵する。
しかしマコトには、勝利の余韻に浸る間は無かった。
エイジの妖力を吸収し始めて間もなく、車のドアが開く音がマコトの耳に飛び込んできたのだ。
「酒呑童子の力を持つエイジを、こうも簡単にあしらうとはのう?」
しわがれた男の声にマコトが視線を向けた先は、エイジたちが乗っていた車両だった。
その車両から、見た目の年齢の割には黒々とした口髭を蓄えた老人が、ゆっくりとした動きで降りてきていた。
その老人を見た瞬間、マコトの胸中に怒りと憎しみの感情が湧き上がる。
それはマコトの内に在る、タマの感情であった。
「芦屋……道満?」
タマから感じる憎しみの声が、マコトの口をついて出た。
それは平安時代に存在した、呪術師の名であった。
「ほっほう! 今ようやく確信したわい……久しいのう、白面。いや、玉藻前よ」
玉藻前、それは平安時代に現れた大妖怪、白面金毛の九尾狐。
タマが過去に使用していた名前であった。