第35話 無意識の力
マコトは初めて足を踏み入れた小規模なペットショップで、可愛らしい子猫や子犬を眺めていた。
目的は鈴鹿と鎌鼬に使うブラシと抜け毛を掃除するコロコロクリーナーなのだが、小さな動物を見て癒やされないわけがない。
「マコっちゃん、ここって地下にはモモンガとかハリネズミとか、犬猫以外のコーナーもあるんだよ。爬虫類とかもいるけど、マコっちゃんって平気だっけ?」
「蛇や蛙も素手で掴めるし、嫌いな動物はいないよ」
「それじゃあとで見に行こっか!」
田舎育ちでしょっちゅう山登りもしていたマコトには、嫌いな生き物なんていない。
強いて挙げるとするならば、スズメバチくらいなものである。
そしてマコトとイブの会話を聞いていた店員が気を利かせたのか、マコトへ『子猫を抱いてみないか』と提案し、マコトもまたそれを快諾して、店員が生後三ヶ月だという足の短い子猫をショーケースから出し、マコトの顔前に近づけて見せてくれた。
「可愛いなあ……おいで」
手を伸ばしながら言葉を発したその瞬間、マコトの顔と両足に軽い衝撃が加わった。
そしてマコトは顔面を覆うふわふわの毛皮と、膝下辺りに当たる硬めのしっかりした獣の毛皮を感じるが、何が起こったのか状況を把握できずにいた。
「うわぁ……マコっちゃん、それ大丈夫なん?」
マコトはイブのドン引きしているような声と、何匹もの犬猫があげる悲しそうな鳴き声を聞きながら、ようやく現状を把握すると顔に張り付いた子猫を優しく引き剥がし、慌てふためいていた店員へと渡す。
次いで両足にそれぞれしがみついている他の客の飼い犬を軽く撫でると、懸命に引き剥がそうとしていた飼い主に大丈夫であることを告げ、これも優しく引き剥がす。
そしてマコトは顔を上げて周囲を見渡すと、全ての子犬や子猫がマコトへと顔を向け、ケージから出ようというのか必死に前足を動かしながら鳴き叫んでいた。
「……イブ、行くぞ」
「うええ!? ちょ、待ってよマコっちゃん!!」
マコトは「バイバイ」と小さくつぶやきながら踵を返すと、檻の中や飼い主の腕の中にいる犬猫たちの鳴き声が止み、一斉にマコトへと悲しげな視線を向けてきた。
その視線を背中に受けながら、マコトは逃げるように店内を後にした。
早足で店から離れて路地に入ったマコトは、初めての現象に驚きを隠せずにいた。
犬猫たちの行動は、マコトの声に反応したとしか思えなかったからだ。
「なんかすごかったね、マコっちゃん。……動物にめっちゃ好かれる体質とか?」
「好かれるにしても限度ってものがあるよ……タマ、何か知ってる?」
追いついてきたイブと一緒に路地に入ると、マコトは声が聞こえる範囲に人がいないことを確認し、ブラウスの胸元を軽く摘んで空間を作る。
するとその隙間にタマが顔の上半分だけを出し、半目でマコトに視線を向けた。
「マコト、動物に好かれたいって思ってるでしょ?」
「……当たり前じゃないか。だって可愛いし」
今のマコトは女性だから、可愛い生き物が好きでも何の不自然もない。
そう考えたマコトは堂々と生きる第一歩として、動物好きであることを公言することにした。
しかしそんなマコトにタマが、呆れたような表情で頭を横に振った。
「妖怪には『魅了』って能力を持ってる存在がいるわ。相手を思い通りに操る能力なんだけど、解るわよね?」
「……まさかさっき、『おいで』って言ったから……?」
「そういうこと。マコトの祖先って魅了能力を持ってたんじゃない? といってもマコトのはせいぜい、相手の警戒心を和らげたり仲良くなりやすくなる程度の効果しかないわよ」
「もしかしてタマや鈴鹿さんが、オレに良くしてくれる理由って……」
自分の能力で、タマや鈴鹿の意思を捻じ曲げたのではないか。
そう思って戦慄したマコトに対し、タマは鼻で笑った。
「マコトのはただの好かれやすい体質と同じで、それくらいの魅了ならアイドルや芸能人で持ってる人多いわよ? それにわたしがそんなのに左右されると思ってるの? マコトが誰かに好かれるのは、マコトの行動が理由よ!」
「そうだよ! あたしがマコっちゃんを好きなのは、マコっちゃんがあたしを助けてくれたからだし、その後もあたしを心配して気にかけてくれたからだよ。普段はちょっと挙動不審だけど、いざとなったらチョーかっこいいし!」
「待てイブ、オレってそんなに挙動不審か?」
イブとタマが同時に深く頷いたのを見て、マコトは膝から崩れ落ちそうになる。
「でも全然マシになったと思うわよ? 少し前まではイブや他の女の子の胸を、しょっちゅう目で追ってたもんね!」
「あーね、チョーわかるそれ! でも最近は減ってきたし、普段の言葉遣いも変わってきたよね? なんか、柔らかくなってきたっぽい?」
「……気をつける……」
二人の会話に打ちのめされたマコトは、改めて女性でいる間だけは、女性らしくしようと心に決める。
更に先日タマにも「意識するから挙動不審になる」と言われたばかりなのだ。
半妖であることはもちろん男であることも隠さなければいけないのに、挙動不審で悪目立ちするのは危険すぎるし、当分の間は女性として生きなければいけないのだ。
「とにかく、だ。オレの魅了の力は、誰かの意思をオレにとって都合のいいように変えるほどじゃないんだよな。少し安心したよ」
「普通の妖力もなにもない動物には効くみたいだから、気をつけなさいよね!」
「ああ、ありがとうタマ」
マコトは一連の話を聞いて安心しつつも、不用意に動物に話しかける危険性について考えていた。
これまでそんな機会がなかったから良いが、もし野良猫を撫でようとして声をかけていたら、一歩間違えたら大騒ぎになっていたかもしれないのだ。
悪目立ちすることは避けなければいけないので、逆に動物に近づきにくくなってしまったことに気が付き、マコトはわずかに肩を落とした。
「ところでマコっちゃん、何買う予定だったの?」
「うちにイタチ……とかが増えたもんで、その分のブラシと掃除道具とか」
さすがに鈴鹿が火車という猫であることには言及しなかったが、マコトは鈴鹿の分のブラシも当然買って帰るつもりだった。
鈴鹿が隠し持っていたブラシは普通の猫用で、火車姿になった鈴鹿には小さすぎて大変なのだ。
「じゃさじゃさ、ちょっと広いほうのペットショップいこっか?」
「そうだな、こんどは話しかけないよう……我慢する」
マコトは先ほど訪れたペットショップの地下に後ろ髪を引かれながら、イブの案内で路地を出る。
そして百貨店の屋上にあるペットショップへと赴き、目的のものを全て揃えることができた。
ただし買い物帰りにイブによって、アパレルショップや小物雑貨店に連れまわされたマコトは、少しばかり目が回りそうに感じていた。
それでも女性として不自然なく生きると決めたマコトは、自分は女性だと自分自身に言い聞かせることで、マコトの知らない世界を楽しんでいるように装うことができた。
そして一通り回るとビル内のカフェへと入り、マコトは小さなテーブルでイブと膝をつき合わせ一息ついた。するとイブが様子を覗うような視線をマコトへ向けていた。
「何かついてる?」
「う、ううん、なんでもない。たださ、マコっちゃんってもしかしてこのビル入るの初めて?」
「ええ。田舎育ちだからね、人ごみにはまだ慣れないのよ」
駅前どころか自分の住んでいるマンションからも近いのだが、マコトが一人で買い物に出たのは閉店間際のスポーツ店くらいのものだった。
「えー、じゃあ服とか下着とかどこで買ってんの?」
「……全部、鈴鹿さんが用意してくれてる……」
「日用品とかは? その、あの日とかに使うのとか」
「……それも、鈴鹿さんが……」
マコトはあの日が生理を指していると理解したうえで、まさか「来ていない」とは言えず、ごまかすためにそーっとイブから目を逸らした。
するとすぐ隣りにいた見知らぬ女子大生までもが驚いた顔を向けていることに気付き、マコトは自らの非常識さに気がついた。
とはいえ一般的な女性の常識を、マコトが持ち合わせているわけはないのだが。
「でも基礎化粧品いっこも用意して貰ってないってのは、何でだろ? 帰ったらすずっちに聞いてみないとだね」
マコトはイブの口ぶりから、マコトの住むマンションまで一緒に帰るつもりであることに気付いてはいたが、イブなら鎌鼬とも仲良くなれるだろうと考えそのままにしておく。
しかしそこへ、イブから痛恨の一撃が放たれた。
「ついでだし一回うち寄って、使ってない基礎化粧品持ってくね! お風呂上がりに使い方とか教えるよ!」
マコトに訪れた、不審者を卒業するための試練であった。