第32話 マンションってペット可だっけ
帰宅したマコトは夕食の後、鈴鹿が隠し持っていた猫用のブラシで鈴鹿のブラッシングを行い、次いでイブからもらったブラシでタマもブラッシングする。
この際マコトより大きな虎姿の鈴鹿に抱きついて顔を埋めたり、タマの尻尾に顔をうずめたりしており、いろいろと吹っ切れたマコトは、二匹の毛皮と柔らかな幸福感に包まれていた。
その夜部屋に戻ったマコトは、今日一日の出来事を思い出しながら、内に流れる妖怪の力と向き合うため静かに目を閉じた。
妖怪、屏風のぞき。
奪った妖力から感じる力は、手と頭を大きくする能力と透明化だった。
妖怪、化け狸。
奪った妖力から感じる力は、下半身の一部分を伸ばしたり巨大化させたりして、さまざまな姿に変化させる能力だった。
妖怪、朧車。
奪った妖力から感じる力は、車輪を炎で包んだり回転速度を上げたりするというものと透明化だった。
そして、マコトにとってはここからが本番である。
まずは妖怪、鎌鼬。
貰った妖力から感じる力は、それは風を操り空気の塊や刃を作り出す力と、傷を癒す力だった。
次は妖怪、蜃。
奪った妖力から感じる力は、幻を作り出す能力だった。
最後は妖怪、火車。つまり、朱坂鈴鹿だ。
貰った妖力から感じる力は、火炎耐性と火炎操作だった。
こうして新たに得た妖力と向き合うことを終えると、マコトはゆっくりと目を開ける。
するとベッドで毛づくろいをしていたタマが気付き、マコトの肩へと跳び乗った。
「どうだった、マコトー?」
「鎌鼬と蜃と鈴鹿さんの力は使えるけど、他は使いみちがなさそうだ。特に屏風のぞきと化け狸は論外だな」
「もしかして頭とか玉袋とかおっきくする能力だったりして?」
「ああ、どう考えても使う機会があるとは思えないし、そもそも使いたくない」
特に化け狸の妖力については、いっその事廃棄したいという思いを抱きつつ、マコトは深く息を吐きながら頭を横に振る。
「流石にマコトがその能力使いたいとか言い始めたら、わたしが全力で止めるわよ。朧車はどうだったの?」
「車輪に炎をまとわせたり、回転速度を上げたりできるみたいだけど、やっぱり使い道が無いな。意外というか、火を吹く能力も無かったようだし」
マコトは朧車が火を噴いた際のガソリン臭さと、車内にあったポリタンクの存在を思い出していたが、すぐに興味を失って次の話へと切り替える。
「鈴鹿さんの力の一つは、体が燃えにくくなって火傷しないって能力だったけど……効果は自分の体だけで服は燃えるから、使う羽目になったらその後全裸だよ。鈴鹿さんみたいに猫に変身できるならともかく、オレが同じ目にあったら無事に帰れる気がしない」
「そうしたらマジカルフォックスに変身しておけばいいじゃない!」
「遠慮しておく」
マコトは全裸で幻術の服だけを纏う自分を想像し、頬を引きつらせた。
止むを得ない事情があるのならともかく、どう考えても化け狸の同類に含まれそうな気がしたためである。
「他の力については、夜行の地下でいろいろ試してみないとな。いろいろありすぎて楽しみだよ」
「ふーん。それにしてもマコト、妖力の扱いがずいぶん上手くなったわね。この様子だと自力で男に戻れるようになるの、思ったより早いかもしれないわね」
「そうかな……でもオレが自力で男に戻れるようになっても、タマの殺生石探しは続けるぞ。受けた恩は返したいからな」
「ふ……ふーん。まあ、わたしが力を取り戻して、マコトを男に戻すほうが早いと思うけどね!」
そう言いながらマコトの頭に顔を擦り寄せるタマの態度は、どう見ても喜んでいる者のそれであり、口元もまた締まり無くニヤけていた。
「オレもそんな気がするよ。オレの中にある妖力にも、よくわからないのがたくさんあるからな……多分それらを認識できるようにならないと、男に戻れないような気がするんだ」
この時マコトの中には、少なくとも18種の妖力が確認できていた。
しかしマコト自身が妖力を解析しているのは、能力を得られなかった黒鬼と下級鬼を合わせても13種類。つまりマコトの知らない妖怪の力が5種類もあるのだ。
マコトはその5種類のうち一つが自身の妖力だと思っているが、特定できずにいたのだ。
「どっちにしてもしばらくはこのままだ。……いろいろ覚悟を決めないとだな……」
マコトは妖怪側の自分は順調に進んでいると感じる半面、人間側の自分は苦難続きであることを思い出し、深い溜め息を吐き出した。
「覚悟って、女子トイレと女子更衣室のこと? もう、マコトったらほんとやらしいわね。マコトは女の子なんだから、堂々としていなさいよね! わたしや鈴鹿の毛皮を撫でる時と同じで、意識するから挙動不審になるのよ! いい? マコトは女の子なのよ!」
「……今は、だからな……」
マコトは不審者扱いされないためにどうやって堂々としていれば良いのか考えるが、程なくして答えの出ないまま眠気を感じて目を閉じる。
そしてベッドに横になったマコトは、胸の上に乗ってきたタマの毛皮の柔らかさを感じながら、睡魔に身を委ねた。
そして翌朝。
柔らかい風になびくレースのカーテン越しに、マコトは日の出の太陽を浴びて目を覚ます。しかしまどろみながらその場で薄く目を開けると、眼の前に広がる光景によって瞬時にして覚醒することになった。
眼の前で小さく胴体を上下させる、黄褐色の毛皮が三つ。
マコトの枕元で三体の鎌鼬が、気持ちよさげに寝息を立てていた。
そしてゆっくりと体を起こすと、胸の間に挟まって寝ていたタマを見つけ、その首根っこを摘んで持ち上げる。
それでも目覚める様子のないタマを鎌鼬が眠るベッドへ並べ周囲を見渡すと、ほんの少し窓が開いていることに気がついた。
マコトは窓をそのままにしてそっと着替えると、ジョギング用のベルトポーチに小物を入れ、物音を立てないよう静かに部屋を出る。
玄関を出た辺りで体の中にタマが戻ってきた感触を覚えるが、出てこないところを見るとまだ寝ているのだと判断し、マコトは日課のジョギングをするため井の頭公園へと足を向ける。
その時マコトのスマートフォンが鳴動した。
着信音は加奈からのメッセージあることを告げていた。
マコトは足を止め歩道の脇に寄り、ポーチからスマートフォンを取り出し操作を始める。
【鎌鼬三姉妹が行方不明らしいんだが、そっち行ってるだろ(´・ω・`)】
[よくわかったな、朝起きたら枕元にいて焦ったよ]
【だろうな、草壁と鈴鹿にはこっちから連絡しておいてやる。しばらくそっちで面倒みてやってくれ( ´Д`)=3】
[つーか何で鎌鼬はうち来てたんだ?]
【お前に会いたかったんだろ。それと桃恵も会いたがってたぜ、たまには顔出してやりな( ´∀`)b】
[桃恵さんが? わかった、今度会いに行くよ]
【モテモテだな。動物型妖怪に(*´ェ`*)】
マコトはどう返信して良いのか数秒悩み、その結果そのままスマートフォンをポーチへと戻す。
そして帰宅後に巻き起こるであろう騒動について想像するのをやめ、マコトは秋の訪れを感じさせる涼しい朝の風を切りながら、ジョギングを続行するのであった。
日課のジョギングを終え帰宅したマコトは、浴室前の廊下で鈴鹿と話し込み始めたタマをその場に残し、女性の姿では珍しく一人でシャワーを浴びる。
しかしこのあと学校があるためゆっくりは出来ず、いつもどおりに汗を流して浴室を出ると、タマと鈴鹿に加え鎌鼬の三匹も揃っていた。
「真琴ちゃん……この子ら、しばらくうっとこに住みたい言うてはるんやけど……どないしよ」
「マコト! わたしは反対だからね!」
「「「キュイ!」」」
「オレは別に構わないよ、加奈からも面倒見てくれって頼まれたし。でも今は学校に行く支度しないといけないから、詳しい話は帰ってからね」
マコトはそう言ってタマと鎌鼬三姉妹を軽く撫でると、部屋に戻り制服へと着替える。
そして朝食を食べにリビングへ行くと鈴鹿が虎姿で待機していたり、タマと鎌鼬三姉妹がくんずほぐれつの喧嘩を始めたりと、マコトにとって眼福な状況が出来上がっていた。
ふとマコトの脳裏にこのマンションはペット可なのかという疑問が浮かぶが、目の前にいるのは全てペットではなく妖怪なので、何の問題もないだろうと疑問を捨てた。
しかしもふもふ天国となったこの状況に、困れば良いのか喜べば良いのか悩んだマコトは、食後全員を一通り撫でつつ口を開く。
「みんな仲良くしてくれると嬉しいんだけどな……」
耳をピクピクと動かしながら目を逸らす5匹の獣達を見て、マコトは軽く溜め息を吐く。
そしてタマをつまみ上げ頭に乗せると玄関へ向かい、一列に並ぶ四匹の獣に行ってきますの挨拶をしてマンションを出る。
「おはよーマコっちゃん! あれ? なんか制服毛だらけじゃない?」
マンションを出て1分もしない内に走って追いついてきたイブの言葉に、マコトは軽く前に屈んで自分のスカートを覗き込む。
すると鎌鼬の黄褐色の毛や鈴鹿の赤毛が、マコトの全身いたる所にくっついていることに気がついた。
「イブ、あとでタマのブラシを買った店を教えてくれ」
「りょ! 今日の帰りにでも寄ろっか?」
「あー……そうだな、頼む」
ブラシと衣服用の粘着クリーナーの出費程度、今のマコトには特に問題はない。
それより学校帰りにイブと二人で買い物に出る状況に、ほんの少し鼓動を早めた。
しかすすぐに「これはデートではない」「女の子同士の買い物なんだ」と自分に言い聞かせ、淡い期待や邪な考えを頭から振り払おうとする。
「んじゃ帰りにペットショップね! そいえばマコっちゃんって、嫌いな生き物とかどうなん?」
「哺乳類爬虫類両生類鳥類全部好きだ。それよりペットショップか……オレ、入るの初めてなんだよな」
マコトはペットショップと聞いた瞬間、その頭からイブとのデートという考えは跡形もなく消え失せていた。
そこにあるのは、まだ見ぬ動物との邂逅に対する期待だけだった。