第1話 決戦とその結末
ボクは大きな岩の上に立ち、いくつものサーチライトに照らされる空を見上げて絶望していた。
周りにいるたくさんの人や妖怪たちもボクと同じように空を見上げ、ボクと同じように絶望した顔をしてる。
月の無い夜空には、一つの巨大な黒い球体が浮いていた。
それは『空亡』と呼ばれる古代神。
何もかもを喰らい尽くす災厄。
空亡の球体からは数千本という長くて黒い腕が触手のように伸びており、それは人や妖怪のみならず岩や木々など手当たり次第に掴んでは、腕を縮めて球体の中へと引きずり込んでいる。
ついさっきまで、ボクたちは勝利を確信していたはずだった。
しかし空亡討伐作戦の中心にいた『ACT』の土御門課長が倒れ、空亡が真の姿を現したことで、完全に流れが変わってしまった。
今の空亡には、どんな攻撃も通用していない。
自衛隊の戦車やヘリは真っ先に空亡に狙われて全滅、ボクの仲間も大半が空亡に食われ、戦意を失っている。
眼の前に広がる戦場だった岩場には、今回の作戦に参加した多くの人間や妖怪たちが、その場で立ち尽くしたまま遠い夜明けを待っていた。
夜が明けさえすれば空亡は勝手に消え、少しだけ生き永らえることができる。
空亡がいる限り、いつ無くなるかわからない世界ではあるが。
今もまた恐怖に耐えられなくなったのか、逃げ出そうと走り出した男がいた。
空亡には岩も木も生物も区別は無く、手当たり次第に喰っているだけらしいが、それは動かない場合だけだ。
逃げ出した彼の背に、丸太のような太さの腕が殺到した。
彼は悲鳴を上げながら握り潰され、引きちぎられ、飛び散った臓物の欠片すら残してもらえずに大きな手に捕まると、黒い球体へと運ばれていった。
そして球体に触れた遺体の欠片は一瞬にして干からび、ボロボロに崩れながら球体に吸い込まれるように消えていく。
上ってきた胃液を必死に抑え、鼻の奥の痛みに耐える。
でも妖力を使い果たし、足元の岩――殺生石に生命力を吸い取られ、意識を保っているのがやっと。
でも脚がふらついてしまったのを気付かれたみたいで、空亡の黒い腕がゆっくりとボクの方へ向かってきた。
ボクにはもう、それを避けるだけの力は無い。
そもそもボクはここで死ぬつもりだったんだから、足掻く意味なんて無いんだ。
ボクにはもう、何も無い。
ボクはボクの幸せを全て奪った元凶、空亡と一緒に滅ぶはずだった。
今の心残りは、空亡を道連れに出来なかったことだけだ。
そしてボクは死を待つため、静かに目を閉じようとした。
「「美琴!!」」
その時突然、聞こえるはずの無い声が響いた。
ボクを呼ぶ二人の声に振り向くと、殺されたはずのボクの幼馴染で婚約者の雄志と、その雄志を殺したはずの狐妖怪女の『マジカル・フォックス』が、並んでボクの方へ向かってきているのが見えた。
雄志とマジカル・フォックスに空亡の手が殺到しているけど、二人の後ろを仮面をつけて走るマジカル・フォックスの仲間たちが、光の盾やそれぞれの武器で空亡の手を弾いて二人を守っている。
「なん、で……?」
何で雄志が生きているのか、何で雄志とマジカル・フォックスが一緒にいるのか、何でここに来たのか、聞きたいことが山ほどあるというのに、口も頭も動いてくれない。
そしてボクの目の前まで来ていた無数の黒い手が、高く跳び上がった雄志の光る剣に斬られ、マジカル・フォックスに殴られ、完全に消滅した。
どんな攻撃も通じなかった黒い手が、いとも簡単に。
そして数メートルの高さがある殺生石の上にいるボクのところに、生身にしか見えない雄志が軽々と飛び乗ってきた。
「ゆー……じぃ……」
生きてまた会えた。そして抱きしめてくれた。
それだけでもう、ボクの視界は涙でぼやけてしまった。
「心配かけてすまなかった。あとは俺と……『シン』が、片付ける」
「え……?」
聞き間違えかと思った。
なぜ雄志の口からその名前が出るのか、意味がわからなかった。
すると巫女服のような姿をしたマジカル・フォックスも岩に跳び乗って来て、ボクに背を向けると銀色に光る七本の尾を揺らしながらしゃがみ込み、足の下にある殺生石に左手をついた。
「ドレイン! ……これなら行けるな? タマ!!」
その声と同時にマジカル・フォックスの姿がブレ、二つに別れた。
一つは大型犬よりも大きな金色の狐だったが、それはすぐに人の姿に変化した。身長が伸び髪の毛や尻尾が金色に変わっていて服装も着物に変わっているが、マジカル・フォックスに間違いない。しかもその尾は八本に増え、妖気が目に見えるほど立ち昇っている。
そしてもう一つの後ろ姿は、見間違えるはずがない。
「まさか……真……?」
「ああ。この姿で会うのは六年ぶりだな、美琴」
体を空亡へ向けたままこっちに目を向けている横顔は、ボクの知っている顔よりも少しだけ大人びているけれど、見間違えようがない。
そこに立っていたのは六年前に行方不明になった、ボクの家族。
『久瀬真』。
ボクと名前が似てて紛らわしいからって、雄志が『シン』と呼ぶボクの双子の弟。
「詳しい話は後だ。セリとユズとレンは戦えない奴らを後ろに下げろ!」
真の号令で、マジカル・フォックスとその仲間たちが返事をし散っていった。
それは全て聞き覚えのあるボクの友だちの名前と同じだったことが、ボクの混乱に拍車をかけた。
「全ての理不尽の元凶、災厄『空亡』はここで滅ぼす! まずは奴を空から引きずり下ろすぞ!! タマは妖術展開! イブは美琴を運んだらタマの防衛だ!」
「わたしまだ本調子じゃないんだからねー」
「りょ! 任せてマコっちゃん!」
イブという名前も、よく知っている。ボクが入院していたときに、さっき名前の出た三人と一緒によくお見舞いに来てくれた、ボクの友だち。
どういうことなのか、頭が全然ついていかない。
夢か幻覚でも見ているのだろうか。
そしてボクは答えを求め、ボクを抱きしめている雄志を見る。その漆黒の瞳はとても優しくて力強さを秘めていて、ボクが愛する雄志本人だってことを確信する。
「美琴、全部終わったら……今度こそ、俺と結婚しよう。だからもう少しだけ、待っていてくれ」
雄志の言葉に返事を返したいのに、ボクの口はもうボクの思い通りに動いてくれない。辛うじて動く首を縦に振ると、雄志がいつもの優しい笑顔でキスをしてくれた。
唇から伝わる熱とボクの頬を伝う雫の温度が、ボクにまだ生きたいという想いを呼び起こしてくれた。
死にたくない。
幸せになりたい。
雄志と結ばれ子供を産んで、今度こそ普通の幸せな家庭を築きたい。
そして雄志の顔がゆっくりと離れ、ボクはイブと呼ばれた人に預けられると、雄志は真の隣へ並んで剣を出した。
「待たせたな、シン」
「ユージ、お前オレの義理の弟になるんだから、兄貴って呼んでも良いんだぜ?」
「天地がひっくり返ったら考えても良いぞ」
「ハードル高すぎねえか!?」
世界の命運をかけた戦いだと言うのに、二人の会話の気楽さにボクの体から一気に力が抜けてしまった。
そして先程号令をかけた際の勇ましさと今の格好悪さというギャップに、昔と変わっていない真らしさを感じて涙が溢れた。
「まあいいや、そんじゃ早速天地をひっくり返してやるよ。話の続きは空亡倒してからな……妖化!!」
「シン、先鋒は俺がもらうぞ。……まずは美琴が流した涙の数だけ、空亡を切り刻む! ……顕現せよ、草薙の剣! はあっ!!」
真の全身が黒い膜のようなものに覆われ、頭に二本の角が生えた直後、ボクの霞んでいく視界が雄志の放った光で染められた。
この二人ならきっと何とかしてくれる。そう確信したボクは、そのまま意識を保つ努力を手放した。
目が覚めるとボクは、知らない天井を見上げていた。
痛む全身にムチを打ち上体を起こすと、どうやらここは病院の大部屋らしく、別のベッドの側に見知った三人の男女が佇んでいる。そしてそのうちの二人、北条芹奈と柚香の姉妹が、目覚めたボクに気付いて近寄ってきた。
「目が覚めましたのね、美琴さん……良かった……」
「空亡を滅ぼしてから、三日経っているのですぞ……。美琴殿は酷い衰弱と妖力枯渇状態だったのですぞ」
「ボク、そんなに寝てたんだ。……ねえ、勝ったんだよね? 二人共何でそんなに浮かない顔してるの? 真は? 雄志は??」
暗い顔をした二人が振り向いた先には三つのベッドが並んでいて、それぞれに誰かが寝かされているみたいだ。
その一つの横でチャラ男の池尻恋が、見たこともない悲壮な顔で椅子に座っていた。
空亡を知ってるということで、ここにいる三人共がマジカル・フォックスの仲間だったということは確信した。でももう一人名前が出ていたイブの姿がないことが気がかりだし、名前が出ていなかったもう一人のことも気になっている。
だがそれ以上に、真と雄志の姿がないことがただただ怖い。
嫌な胸騒ぎが止まらない。
芹奈と柚香の肩を借りてベッドから降り、三つのベッドに向かって歩く。
そこに寝かされている人の姿を見て、ボクの脚は震え、息が苦しくなった。
「なん、で……?」
そこに寝かされている二人の女性――ボクの友達である朱坂真琴と願念聖夜。そしてもう一人は、ボクの婚約者である土御門雄志。
真琴も雄志もイブも全身に包帯やギプスが巻かれて意識はなく、人工呼吸器を取り付けられている。
そもそも真琴は戦場にいなかったはずなのに、どうしてこんな大怪我をしているのか意味がわからない。
「ねえ……何があったの? それと真は? ボクの弟は、どこ!?」
みんな目を逸らしたまま答えてくれない。
苛立ったボクは、真琴の近くにいた恋の胸ぐらを掴んで締め上げた。
「恋、答えて。真は? ……あの後、何があったの?」
「……空亡は滅ぼした。だがその後、あの野郎がマコトさんを裏切って……喰らいやがったんだ」
一瞬、頭の中が真っ白になった。
直後ボクの視界は、激しい怒りで真っ赤に染まった。
「裏切った……? 誰が!? 誰が真を食ったんだ!! 答えろ、恋!!」
「美琴ちゃんも知ってる奴だ。あいつは九――」
『ギャーギャー騒ぐなよ、ここは病室だぜ?』
突然聞こえた機械音声に振り向くと、いつの間にか十歳位の小さな女の子が病室に入ってきていた。その少女はタブレット端末を手に、大人の頭くらいある巨大な二枚貝を抱えている。
『……マコトの居場所も、マコトがテメエの前から姿を消してからの六年間も、知りてえのなら全部教えてやる。テメエがすべてを受け止める覚悟があるのなら、だがな』
その声は女の子が持つタブレット端末の、スピーカーから出ているようだ。
恐らく通話状態なのだろう、本人が顔を見せないのは気に入らないけど今はどうでもいい。
「全部教えて。真の居場所ってことは、生きてるんだね? 真琴ちゃんとイブちゃんと雄志が何でこんな事になってるのかも、全部!」
『即答か、いい度胸じゃねえか。流石はマコトの妹だぜ』
「ボクの方が大きいんだから、ボクが真の姉だ。そんなことより、早く教えて!」
そう言ってタブレット端末を睨みつけていると、女の子は一度肩をすぼめると真琴が寝ているベッドの横へ歩いていき、持っていた巨大な貝を真琴のベッドに置いた。
『こいつは『蜃』といってな、幻を見せて人間を惑わす妖怪なんだけどよ。……読み取った記憶を幻覚で作り出し、まるで追体験するように見せるってこともできるんだぜ。これ使って、全部見せてやる……覚悟は良いな?』
「うん。早くして!」
何に対しての覚悟かは知らないけれど、教えてくれるというのならボクは全てを知りたい。
芹奈が用意してくれた椅子に座ると、ボクは雄志、イブ、そして真琴を順番に見る。頭の中が悲しみと悔しさと怒りでごちゃごちゃだ。
やがて蜃の貝が開き、キラキラと光る煙が辺りを包んだ。
そして目が回るような感覚のはて、気がつくとボクは病室ではないどこかに座っていた。
でも体は動かせないし声も出ない。それなのに体が勝手に動いているし、誰かの思考が頭の中に流れ込んでくる。
視界に入るボクの手足は小麦色で、明らかにボクのものではない。
これが蜃の見せる、幻覚なんだろう。
どうやら記憶の追体験とは、誰かに取り憑くようにして間近でそれを見るものらしい。
そしてボクは……真の記憶ではなく、どうして『彼女』の記憶を見せられているかわからず、少し戸惑っていた。
それでも全部見ればわかるのだろうと信じて、ひとまず幻覚に身を委ねることにする。
幻覚は六年前――ボクたちの運命が変わったあの日から二週間後の、吉祥寺から始まった。