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ドナ・クレストは困惑していた。
なぜか、朝からテッサ・フーパーが部屋の前で待っていたからだ。寮のドアを開けたドナに、とろけるような笑みを向けてくる。
「やあ、おはよう。良く眠れたかい」
「え、ええ・・・おはよう」
なんとか挨拶は返すものの、急な態度の変化にいぶかしさが募る。
「いったいどう・・・」
「まずは朝食にしよう。空腹では働く力も出ないからね。さあ」
尋ねようとした言葉は遮られ、手まで差し出されてしまえば、ドナに抗う余地は無かった。さすがに手を預けはしないが、促されるままに並んで食堂へと向かう。
食事中も、食事を終えて作業棟へ向かう間も、テッサのエスコートは続いた。
「何をしとるんだ、おまえさん」
始業時間には早いハンガーは、人影はまばらだった。そこへ現れた、ドナの腰に手を添えんばかりのテッサに、何やら作業していたリバルト・リズカミルは呆れたような声を出した。
「恋を、してしまったのさ」
対するテッサは、平然と答えた。
「片時も離れたくない。彼女の支えになりたい。そう思う気持ちが抑えられないんだ」
「そうか」
「えっ、それって『そうか』で流していいの?」
驚きに目を丸くしたエリカ・ロンバルディアが突っ込みを入れるが、それを制したのは班長であるアーセン・アングレイスだった。
「そういうことにしたい、ということだろう。真意を聞いてもいいか」
緩く笑みを浮かべたまま困ったように首をかしげるテッサに、アーセンは天井を指差してみせた。
「ハンガー内は、盗聴器の類がないことはチェック済みだ。防犯カメラと追加の監視カメラについては、事前に申し出があれば、その間は止められる。今は止めてあるから話しても大丈夫だ」
「正確には止めるんじゃなくて、ダミー映像を代わりに流してるんだけど」
「入り口にはセンサーを付けた。誰かが入ってくればわかる」
映像の切り替えシステムを構築したトバイアス・ラウキンと、趣味で電子機器の扱いをこなすカミサワ・アキトが、それぞれ補足する。
それを聞いたテッサは、ドナの事情を知る班員以外が周囲にいないことを確認し、口を開いた。
「まず重要なのは、妹さんの治療を続けてもらうことだと思うんだ。私たちに不正と脅迫を暴露してしまったと長官に気付かれたら、治療を打ち切られてしまうだろう? その秘密を長くもたせるために、私は監視者を特定しようと思う」
ドナに不自然に注目・接触してくる人物がいれば、それが怪しい。長官に利用される可能性のある人物像に当てはまれば、さらに疑惑は濃くなるだろう。テッサは、そんな人物をあぶりだすために、ドナに密着してもおかしくない状況を作ろうとした。
「それが、恋?」
「ああ! この上もなく自然だろう? 見つめていても、そばにいようとしても、それは恋ゆえだ。理屈ではない、心がそう言っているのだから」
「それ、さっきの監視者の条件と、たいして変わらなくない?」
力説するテッサに、腕組みをしたトバイアスは胡乱な目を向けた。
「そもそも、監視者がいるってはっきりしてるわけじゃないよね」
「それはそうだ」
その指摘に、テッサは気を悪くする様子もない。
「もし監視を付けているというのが長官のブラフで、実際にはいないのだとしたら無駄になるだろう。だが、少なくとも監視しているものが近くにいないとわかるだけでも、気は楽になるじゃないか。そうしたら、夜ゆっくり眠れるようになるかもしれない。それも充分な成果になるよ」
隣に立つドナに微笑みかけて、その目元をするりとなぞる。わずかに落ち窪んだそこは、目立たないが隈が出来ている。気付かれていると思わなかったドナは目を瞠った。
「どうして・・・」
「君を見ていると言っただろう?」
「あー、まぁ理由は分かった。風紀を乱さないよう、ほどほどにな」
テッサの演技とは思えない甘い声と表情に、アーセンが咳払いをして割って入った。
「裏切られたと長官が思えば、治療の停止だけじゃなくクレストくんと妹の身が危険にさらされることも考えられる。伏せられる間は伏せておくべきだな」
「自分も同感だ。だが、ばれたときのための手は打っとく必要があると思うぞ。何か取引できるといいんだがな」
アーセンの意見にリバルトが同意する。慎重な年長ふたりの反応に苛立ちを見せたのはトバイアスだった。
「そんなぬるい事言ってて、解決できると思えないけど」
「事を荒立てれば被害は増えるぞ。長官の狙いによっては、それを達成させてしまえば済む話かもしれん。まずはそこを探るべきだと言っておる」
「弱みに付け込むような相手に、そんな悠長な手が通じるとでも・・・」
リバルトは理を説いて落ち着かせようとするが、トバイアスはぎりりと歯を軋ませる。
「どうしたんだい、トビー。いやに性急でキミらしくないな」
「卑怯な手で仲間を傷つけられたら、怒るのなんて当たり前でしょ」
テッサが驚いた様子で声をかけると、トバイアスは憤りを宿した目で見返した。
「家族に手を出されて、黙ってなんていられない。差し出した希望を途中で取り上げるとか、許せるわけない」
示された強い意志にテッサは息をのむ。トバイアスは、そのままドナへと目を向けた。
「そうでしょう、チーフ」
ドナは、黙って目を伏せた。