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プシュッと空気の抜ける音がして、シミュレーターのハッチが開く。ハーネスを外したイザベル・ウォルフォードは、重い体を起こしてマシンを降り、壁際に備え付けられた洗面台へと向かった。
歩きながらヘルメットを取り、襟元を緩める。勢いよく出した水を手で受け、叩きつけるように顔を洗うと、大きく息を吐いた。そこへ差し出されたタオルに目を向けると、気まずそうな表情のトバイアス・ラウキンが立っていた。
「ありがとうございます」
礼を言って受け取るイザベルの息は荒い。吐くほどのダメージを受けることは無くなったものの、システムシミュレーションでの体力の消耗は依然続いている。大きく上下する肩を見つめたトバイアスは顔を歪め、苦しげな声を絞り出した。
「・・・もう、やめよう」
その声にタオルから顔を上げたイザベルと目を合わせることなく、床を見つめながらトバイアスは言った。
「このシステムは失敗作だ」
「失敗だなんて・・・まだ結果は出ていません」
「結果が出ないから問題なんだよ。それに、ボクの考えていたものとはどんどんずれて行っている。これがあなたの力になることは無いよ」
唇を噛み、何かを押し殺したようにトバイアスは低く呟く。
「無理を続けてあなたに取り返しのつかないことが起きてしまう前に。あなたが壊れてしまう前に、やめるべきなんだ」
それを聞いたイザベルは、困惑していた表情をスッと消してトバイアスに向き直った。
「・・・私はすでに一度、壊れています。機甲乗りとして、致命的に」
りんと背筋を伸ばし、イザベルは言った。前線で命のやり取りをすることに耐えきれず、後方へと転属することになった挫折をイザベルは忘れていない。
「でも、それでも私は諦められませんでした。バトルアームという存在に、どうしようもなく魅せられてしまっているから・・・たとえもう一度壊れても、また立ち上がってみせます」
「イザベル・・・」
「それに、システムの癖も掴めてきました。身体へのダメージも減っています。その証拠に、最初の頃とは違って、こうしてマシンを降りてすぐ会話が出来ているでしょう?」
「そう、だけど・・・!」
落ち着いた声音で語るイザベルに、トバイアスは大きくかぶりを振った。
「時間が無さすぎる。順応が間に合うかどうかなんてわからない。そんなギャンブルのテーブルに、あなたの身体を載せるわけにはいかないよ・・・!」
手にした端末を強く握りしめる。みしり、と軋んだのは端末なのか、自身の心か。トバイアスは揺れそうな声を必死で制御して言った。
「新システム導入は間違いだった。班長たちに、中止を伝えて来るよ。シミュレーターも元に戻すから、それまで休んでいて」
早口で告げて踵を返すトバイアスの腕を、イザベルはとっさに掴んで引き留めた。
「待ってください。この何日かを、無かったことにするのですか」
「そ、れは・・・ごめん。でも、今、決断しなくちゃ、もっと時間を無駄にすることになる」
「領域を限定しても駄目ですか?」
トバイアスが顔をそむけたまま引き抜こうとする腕を両手で掴み、イザベルは強く引いた。
「例えば、機体そのものの制御は現行のシステムのまま、射撃時の補正のみに機能を絞るというのはどうでしょうか」
トバイアスの反応は無い。だがイザベルは言葉を続けた。
「今の私に一番必要なのは、射撃の精度です。そこを重点的に補助するような形に、システムを縮小することは出来ませんか。現状の射撃管制プログラムは半自動制御で、パイロットの動作はあまり反映されません。かといって、全く頼らずとも精密な射撃をするには、私の腕ではまだ足りません。それに、足と腕のスパイクについて、連動を加味した修正を入れてもらってはいますが、やはり後付けなのでマッチングにずれを感じます。これらを新しいシステムで一本化して、射撃管制ではなく射撃補正プログラムとして入れ直すことが出来ればと思うのです」
熱心なイザベルの説明に、トバイアスはわずかに顔を上げた。イザベルはトバイアスから手を離し、自身の胸元に添える。
「私の射撃の癖から命中率を下げている要因を抽出して、照準動作に先んじて修正をする・・・そんな補助プログラムにすることは出来ませんか?」
今まで、寝る間も惜しんでシミュレーションを続けたことで、データはすでに大量に蓄積されている。足りない所は、以降も射撃をメインにシミュレーションに掛け、データ収集を行えばいい。同じ行動を反復することでシステムへの身体の慣れも期待できるかもしれない。イザベルは説得を続けた。
「もともとのコンセプトとは変わってしまうと思いますし、このようなことが可能なのかもわかりませんが・・・それでも、この数日の努力を未来へ繋げたいと、そう思います。どうか貴方の力を貸してくれませんか?」
差し出された手に、トバイアスは既視感を覚えた。それは、たった数日前の光景だ。ゆっくりと顔を上げれば、真剣なまなざしと目が合う。
自分が諦めたものを、彼女はまだ必要だと言ってくれる。それなら、協力してもいいかもしれない。
数日前は取れなかったその手に、トバイアスは持ち上げた右手を重ねた。
「わかった。やってみる」
「ありがとうございます。お願いします」
「いや、もとはと言えばボクのプログラムのことだし・・・」
深々と頭を下げるイザベルにトバイアスが戸惑うと、そこに明るい声が響いた。
「あれー、何してんの、ふたりとも?」
シミュレーションルームの入り口から顔をのぞかせたのは、建造部のエリカ・ロンバルディアだった。トバイアスは慌ててイザベルから手を離して数歩下がった。
「エリカさんこそ、どうしましたか。ここに来るのは珍しいですね」
「うん、ちょっと相談したくて」
とことこと部屋に入ってきたエリカは、イザベルの前で手にした端末を開いてみせた。
「あのね、考えたんだけど。ペイント弾を2種類にするのはどうかなって」
「2種類? やはり塗料と粘着液を分けたほうがいいということですか?」
「ううん。そうじゃなくて、2種類の液体を反応させて粘度が上がるような仕掛けを考えてみたの」
いくつかの薬品の組み合わせと、その効果についてリストアップしたものを端末に表示する。
「最初っから固いと飛び散らないでしょ? でもユルイまんまだと動きを止めたりとか出来ないし。だから、ある程度の粘度のペイント弾を撃った後に、それをもっと固くする薬剤を入れたペイント弾を撃ったらどうかなと思うんだよね」
空気に反応して固くなるのもあるけど、反応速度との兼ね合いが難しすぎるんだもん。エリカはそう言って鼻の頭にしわを寄せた。
「親方が、弾は作れるけど、あとはパイロットの好みだろうって言うから訊きに来たの。どう思う?」
イザベルを見上げるエリカの横へ、トバイアスが一歩出た。
「ちょっと待って。エリカは相手の機体をひっくり返すギミックを作ってたんじゃなかった?」
「うん。でもB班の機体、重さを考えると持ち上げるのすっごく大変だし、それこそ爆薬くらいのパワーがいるでしょ。だから、あたしのアイデアだとちょっと無理かなって。だったら別なことで役に立とうと思ったんだ」
あっけらかんと告げるエリカの様子から、それは本心であるとわかる。呆然とするトバイアスにニコッと笑ってみせると、エリカはイザベルに向き直って2種反応タイプの利点を説明し始める。
「最初に着弾した範囲のどこかに次の薬剤が当たれば反応が始まるから、少しぐらい狙いがズレてもなんとかなるよ。ちょっとずつ固まってったら、すぐに動かなくなるよりも、油断したり無理に動かしたりして壊れてくれるかもしれないし。どうかな?」
「そうですね。この場合・・・」
ふたりは額を寄せ合って端末を覗き込んでいる。ふたりの顔は、疲労はあれど力強い意欲に満ちていた。
トバイアスは自身の手にした端末に目を落とした。
「・・・仕事、しよう」
そして何かを振り払うように頭をひとつ振り、シミュレーターへと歩み寄った。




