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台風と姉と僕

作者: 十五夜



「……和也。今夜はおねえちゃんの部屋で寝よっか?」


 夕食のあと、テレビのニュース番組を観ていた姉が振り返った。

 誘うように口元をあげて微笑んでいる。


 居間から廊下に出たお母さんがせわしく雨戸を閉めはじめた。


「ちょっと綾音。和也。テレビの前で寝転がってるなら手伝いなさい」

「はーい、わかった。ねぇ和也も手伝って」


 元気よく立ち上がった姉に続いて僕も身体を起こした。

 それから扇風機のスイッチを切って廊下に出る。


「おねえちゃん。予報どおりこっちに向かってるみたいだね。ウチの家って古いから風で飛ばされないかなぁ?」

「う~んどうだろ? もしそうなったら和也は軽いから家と一緒に夜空へ飛ばされちゃうかもね」

「なにそれ。風で飛んだりなんかしないよ。でももしそうなら、おねえちゃんは重いからきっと大丈夫だよねー」


 雨戸に指をかけた姉を見上げながら、ちょっと嫌味っぽく腕を組んでやった。吹き込んでくる風が姉の長い髪をあおる。


「あー言ったな。このスリムな身体のどこが重いのよっ」

「いててて。つねったら痛いってば」


 耳たぶをつまみ上げられた僕は、いたずらっぽい姉の顔には手がとどかない。繰りだすパンチはわき腹に触れるだけ。


「コラ二人とも! 早く閉めないと暴風で窓ガラスが割れるでしょう」


 あわただしく廊下を往復しているお母さんの怒る声が割って入った。

 思わずシュンとした気分になってしまう。

 姉は口笛を吹いて平然としていた。


「だって、おねえちゃんが……」

「だって和也がー」

「マネすんな!」


 もう一発パンチしてやろうとげんこつを構えた瞬間、姉に手首をつかまれてしまう。

 いくら僕が男でも八歳年上の高校生である姉にはかなわなかった。


 もう片方の手首も持ち上げられ、バンザイの体勢にされてしまった。

 力負けしてることが悲しい。


「なにすんだよ」

「おねえちゃんにケンカ売って勝てると思ってんの? ひ弱な和也なんてこうしてやるっ」

「痛い痛い。引っ張ったら腕がとれる!」


 ぐいぐいと両手首を上へと引き上げられ、痛みに顔をしかめながら何度もかぶりを振った。

 年上でも女の子に力で負けてることと、やり返せない自分の弱さに涙が出そうになる。


「きみケンカ弱いっすねー。もっと引っ張ってやろうかしら。おらおら」


 何度も上げたり降ろされたりして遊ばれている自分がみじめになり、もう我慢ができなくなった……。


「やっぱ和也って身体が軽いわ……って、あれ?」


 腕を持たれたまま、僕はうつむいていた。顔を上げることができなかった。

 見つめている廊下の板目と足元がゆらゆらと動き、ぼやけてくる。


 無言になった僕を変に思ったのだろう。

 姉は伏せた顔をのぞき込もうとしゃがんで膝を抱える。

 僕は顔をそむけながら腕で目元を隠した。


「どしたー? もしかして、おねえちゃんやりすぎちゃった?」 


 泣いてることを知られたくなかったけど、鼻水をすする音でばれてしまう。


「あーごめんごめん。もうしなからさ。ほらっ泣かない泣かない」


 何度も優しく僕の頭をなでて、心配そうな声色でなだめてくる姉。

 そんな姉が、今どんな表情をしているのか気になった。

 でも、まだ腕を目元から離せるほど涙はおさまっていない。


「ごめんね。おねえちゃんが悪かったわ。和也がさ、かわいいからつい遊びたくなっちゃうのよ」


 そう言いながら僕の身体は姉は胸へと抱きかかえられ、そっと両手で頭を包み込まれた。

 僕は腕の力が抜けてだらりと下がった。


 甘い石鹸の香りと、女の子らしい良い匂いが鼻に入ってくる。

 涙でぬれていた頬には押し返されるようなやわらかい感触があたっていた。

 姉が着ているTシャツの向こうには、きっと女の子のふくらみがあるのだろう。


 匂いと感触にうっとりとした気分になり、いつの間にかさっきまでの悲しみが消えていた。


「もう大丈夫? 痛くない?」


 胸からそっと顔を離される。

 姉は、さっきまでのいたずら好きな表情から打って変わり、優しい微笑みを向けてくれた。

 吐息がかすかに鼻にかかった。


「うん……。痛くない」

「そう。良かった」


 ホッとして胸を撫で下ろしている姉の姿になんだか可笑しくなり、仲直りの印として二人で笑いあう。


「ねえ和也。今晩、風が騒がしいから、おねえちゃんの部屋で一緒に寝ようよ」

「え……?」


 廊下でしゃがみ、唇に指をそえた姉が、色っぽい視線で僕をじっと見つめてくる。

 姉の瞳の中に真顔になった僕が映っていた。

 心臓がドクドクと高鳴りはじめる。


「あ、うん……でも僕……」

「ん? どうしたの? おねえちゃんと寝るのはイヤ?」

「いやじゃないけど……あの」


 顔面がほっこり熱くなってきた。それは蒸し暑さのせいだけではなかった。

 なんだか目線のやり場に困ってしまう。


「……ぷっ」


 突然、姉の頬がふくらみ、こらえていた笑いを開放するように声をあげた。


「あはっ、冗談に決まってるでしょ。ジョークよジョークっ」

「ええ? なにそれ。もう! おねえちゃんひどいよ!」


 顔の熱さがさらに高まってきた。

 きっと今の僕の顔はりんごみたく真っ赤なんだろうな……。


「本気にしちゃってさ。ほんと和也ってピュアでカワイイ」


 笑いながら廊下を走り出そうと姉が背中を向けた。

 その時、庭から吹き込んできた突風が、開けっ放しになっていた雨戸を通り抜けた。

 風は姉の足元からスカートをぶわりと浮き上がらせる。


「あっ、水玉……」


 目に飛び込んだ模様を、僕は思わず口にしてしまった。

 内股になった姉は、空気にはらんだスカートをあわてておさえこむ。


 風がおさまったあと、互いに目が合った。


「見たのね……!」


 おさえた姿勢のまま、鼻のあたりを赤くしている姉。

 僕はぶんぶんと首をふった。


「し、知らないよ」

「うそ。いま水玉って声に出したじゃん」


 怒ったようにこっちを睨んできたから、僕はすぐに顔をそらした。

 正直に答えずにしらんぷりしてる態度がいけなかったらしい。


 戻ってきた姉のゲンコツが頭の上に落ちてきた。

 まるで稲妻のようだった。


「痛いよ。そんなにつよく叩かなくてもいいのに」

「素直に白状しない和也がわるい」


 ぷりぷりと怒りながら、姉は雨戸も閉めずに廊下を歩いていく。


「あとはよろしくね。えろ和也」


 そう言ってふり向いた姉が、いたずらっぽく舌を見せた。


「あーひどい。おねえちゃんも手伝ってよう」


 僕が走っていくと、姉はそれ以上の速さで逃げていこうとする。


 いつまでも遊んでいる様子に腹が立ったのだろう。

 お母さんの注意する声が飛んできた。 

  


 その後、いっしょに夕飯を食べて寝る時間となった。

 もうその頃になると、台風はどんどん勢いを増して、暴れる風で家ががたがたと揺れた。

 雨もたくさん降っているのが布団の中に潜っていてもよく分かった。


 だけど僕はあまり怖くなかった。


 なぜなら今、僕のそばにはかけがえのない温もりがある。

 甘くて優しい匂いに包まれ、あったかくて柔らかい感触に満たされながら、僕はこれから眠りに落ちるのだ。


「おねえちゃん、まだ起きてる……?」


 ふくらんだ胸から顔をはがして、そっと声をかけてみた。


 頭の上から静かな寝息が聞こえていた。



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