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それから更に二週間が過ぎ――、
ラーサーはランディール城を後にした。
レッドキャッスルでは既に新魔王・ラーサーの受け入れ準備が整っていた。
リュファスが座っていた玉座は新たにラーサーの為に新調され、
リュファスとの戦いで破壊されたサロンも修復された。
牢に閉じ込められていた者も全員救出され、ラーサーが魔界に戻ったその日に即位式が行われ、
そして、魔王としての忙しい日々が彼を待っていた――。
◆ ◆ ◆
ラーサーはユウリがいないこの魔界での生活にも懸命に慣れようとしていた。
だが、漆黒の闇が訪れる夜にはユウリの事を思い出さずにはいられなかった。
「またユウリの事を考えているの?」
そして今日も、ラーサーが窓の外を見つめていると不意に背後から声がした。
「セシリアか……どうしたんだ? こんな時間に」
既に日付も変わり、城の中で動いているのは遅番の兵士と使用人達くらいだ。
そんな時間にセシリアが訪ねて来るのは珍しい。
「部屋の灯りがドアの隙間から漏れてたから、まだ仕事してるのかと思って……、
ノックしたんだけどユウリの事を考えてて気付かなかった?」
「……」
「そんなにユウリの事が忘れられないのなら、セオドアから奪い返しに行けばいいのに」
「だから、そんな事……」
「『そんな事をしても何もならない』って言いたいんでしょ?」
セシリアはユウリの話をする度にラーサーが口にしている台詞を被せる様に言った。
「ユウリだってラーサーが来てくれるのを待っているかもよ?」
「それはないだろ」
ラーサーはフッと軽く鼻先で笑った。
「そんなのわからないじゃない?」
「ユウリは、じきに女王となる人物だぞ? セオドア殿との結婚だって決まっているし、
だいたい、そんな事をしてシジスモン様が黙っている訳はないだろう?
やっと唯一の跡継ぎであるユウリが戻ったのに」
「跡継ぎならセオドアにだって王位継承権はある筈よ?」
「それを言うなら君だって同じだろ? だけど、俺を態々魔界に戻したのは
王位継承権第一位の血族を絶やす訳にはいかないからだろう?」
「まぁ、そうだけど」
「シジスモン様だって同じはずだ。それに……何度も言ってるだろ? 俺とユウリは兄妹なんだ。
どんなに想っていても……」
「じゃあ、もし兄妹じゃないとしたら?」
「そんな筈はない。君だって俺の父とユウリのお父上の背中に同じ紋章があったという話を聞いていただろう?」
「えぇ、そうね。でも、それだとテオドール王はあのアントレアの丘にあるお墓には眠っていない事になるわ。
あなたはそれをクレマン様に確かめてはみたの?
あなたを助け、テオドール王とジュリア様のお墓を建てて下さったあの方ならご存知の筈よ?
あの場所にテオドール様が眠っているのかどうか」
「……」
「怖くて訊けない……て、顔ね?」
「……」
ラーサーはセシリアから視線を外した。
「それとも、ユウリの事を諦めるなら“兄妹だから仕方ない”って自分に言い聞かせた方が楽だから訊かないのかしら?」
「……訊く必要がないから訊かないだけだ。
俺とユウリが兄妹じゃなくても諦めなくてはならない事に変わりはない」
ラーサーはそう言うとセシリアに背を向け、再び窓の外に目を向けた。
「じゃあ、私が直接クレマン様に訊いたとすれば?」
「え……?」
ラーサーは思わずセシリアを振り返った。
「クレマン様と話したのか?」
「えぇ、リュファスを倒してランディール城に戻ってから、あなたが目を覚ます前にクレマン様にお訊きしたの」
「何故、そんな事……」
「あの時、“ラウル様とテオドール王が同一人物じゃないか?”って言ったのは私だから。
それが切欠であなたとユウリが異母兄妹だという話になった。
でも、本当にそうなのか私はずっと疑問に思っていたわ。
確かにテオドール王とラウル様の背中には同じ紋章があったのかもしれない。
だけど、私はどうしても納得がいかないの」
「どうしてだ?」
「テオドール王とラウル様の背中の紋章をこの目で見た訳じゃないから。
それはあなただって同じでしょ?
テオドール王の背中の紋章は見ているけれど、ラウル様の紋章は見ていない。
その逆も然り、ユウリだってラウル様の紋章は目にしているけれどテオドール王の紋章は見てはいないわ」
「……そうだな」
「だから私はクレマン様に確かめたのよ。
テオドール王が本当にアントレアのお墓に眠っているのかどうか。
それと……、テオドール王の背中に実際に紋章を刻んだという紋章術士を見つけたわ」
「っ!?」
「その人は昔からこの城に仕えていた宮廷紋章術士でクーデターが起きた時、
牢に入れられてからずっとその中でなんとか生き延びていたの。
それでこの間、助け出されてからようやく少しずつ喋れるまでに回復したらしいわ。
だから、私……明日、その人に会ってくる」
「明日……」
「その紋章術士の口からテオドール王の紋章について訊けばはっきりするわ。
テオドール王とラウル様が同一人物なのかどうか。
あなたとユウリが本当に兄妹なのかどうか……ラーサー、あなたにその事実を聞く勇気はある?」
セシリアはそう言うとじっとラーサーの目を見据えた。
ラーサーはごくりと息を呑んだ――。
◆ ◆ ◆
――翌日。
ラーサーとセシリアはレッドキャッスルの敷地内の中にある塔に足を運んだ。
其処は城に仕える魔術師や紋章術士が合成や研究などを行っている場所だ。
七階建ての塔には地下に合成室と研究室、一階はサロン、二階は資料室、図書室、
三階から上は魔術師や紋章術士達のそれぞれの私室になっている。
そしてその最上階の部屋にラーサーとセシリアは向かった。
ラーサーはとある部屋の前に立つと深呼吸をした。
……コン、コン……――、
ノックをして中からの返事を待つ間さえも長く感じる。
「……どうぞ……」
少し弱々しい声が聞こえ、ラーサーはその声にもびくりとした。
ドアを開け、最小限の家具しか置かれていない決して広くはない部屋の中、
声の主を捜すのに何秒も掛からなかった。
ベッドには白髪に髭を蓄えた老人が寝ていた。
「テオドール様……?」
老人はラーサーの顔が視界に入ると驚いた。
「いや、俺は……」
「……っ! もしや……、ラーサー様?」
ラーサーが否定しようと口を開くと老人はハッとして体を起こそうとした。
「そのままでいい」
ラーサーはまだ体を起こすのも辛そうな老人の体を支え、再びベッドに横たわらせた。
「申し訳ありません」
「いや、気にする必要はない。突然来たのはこちらの方なんだから」
ラーサーはそう言うと老人の体にシーツを掛け直してやった。
「今日は訊きたい事があって来たんです」
そして、話を切り出したのはセシリアだった。
「何でしょうか……?」
「テオドール王が即位した時、王の印である紋章をテオドール様の背中に刻んだのはあなただとお聞きして……」
「はい……、確かに私です」
老人はゆっくりとした口調で言うと頷いた。
ラーサーとセシリアは顔を見合わせた。
「その王の印は……その名の通り、新しく王が即位した時にだけ刻まれるものなんですよね?」
「はい」
セシリアの質問に老人がはっきりと答えたとおり、ラーサーも即位式の後、
直ぐに宮廷紋章術士によって“王の印”を背中に刻まれた。
「……では、その王の印が王以外に刻まれる事はないのですね?」
「はい、その通りです」
老人のその答えにラーサーの表情が曇った。
「では、あの……ラウルという方について……、何かご存知じゃないですか?」
セシリアは恐る恐る老人に訊ねた。
「……ラウル様ですか? その方なら……此処だけの話ですが……」
老人は何かを知っているかのように、しかし、重大な秘密があるような口ぶりで話し始めた。
「……テオドール様の影武者だったお方です」
「「っ!?」」
ラーサーとセシリアは驚き、言葉を失った。
(影武者……?)
「実は……テオドール様がジュリア様と共に魔界を出て行ってしまわれた後、
当時の『龍将』の纏め役であるグラン様がラウル様を私の所に連れて来て王の印を背中に刻むように言ったのです。
……しかし、王の印はその名の通り、王にしか刻む事ができません。
ですから、私は王の印と同じ様な紋章をラウル様の背中に刻んだのです」
「……ちょ、ちょっと待って下さい。
テオドール王がジュリア様と共に魔界を出て行かれたって……それじゃ、
ジュリア様が出て行かれてからはラウル様が玉座に座っていたと言うのですかっ?」
「はい、そうです」
「……で、では……、父と、そのラウル様は……まったくの別人……?」
ラーサーは驚きを隠せないでいた。
「はい、ですがテオドール様とラウル様は本当によく似ておられました。まるで双子のように……。
血族同士ではない筈のお二人でしたがグラン様は以前、ラウル様を偶然城下町でお見かけして
それからテオドール様の影武者にと密かに考えていたようです。
ですから、テオドール様が魔界を出られたすぐ後にラウル様をテオドール様の身代わりに玉座に座らせたのです。
……その事は私とグラン様、そしてラウル様だけしか知りませんでしたが……」
「そうですか……なるほど、これで全てが繋がったわ」
セシリアはそう言うと、ラーサーに視線を移した。
「クレマン様は確かにテオドール王とジュリア様の亡骸をアントレアの丘に運び、お墓を建てたと仰っていたわ。
テオドール王のお顔もその時に拝見していて、あなたによく似ていたから間違いないそうよ」
「じゃあ……」
「テオドール王は確かにあの丘に眠っているわ。ジュリア様とご一緒に……。
母はテオドール王はジュリア様の事が忘れられずに魔界を捨てたんじゃないかって言っていたけれど、
私は何故、二年も経った後に行動を起こしたのかずっと不思議だったの。
だけどテオドール王がジュリア様と共に魔界を出られたのなら納得が行くわ」
「しかし……父の背中には一度だけだが死を免れる紋章が刻まれていたのだろう?
十年前、リュファス達に殺され、クレマン様が墓を建てて下さった後に生き返った……、
なんてオチは考えられないのか?」
「……それは有り得ません」
再びゆっくりと口を開く老人。
「王の印は確かに一度だけ死を免れる事が出来ます。
但し、それは千年に一度だけ蘇ると言われているドラゴンの魂によってです」
「「ドラゴンッ?」」
ラーサーとセシリアは声を揃えて訊き返す。
「はい……、そのドラゴンを倒す為には火の耐性が高いとされる魔族の王である事と、
且つティアマトの力が必要なのです。
魔王様とティアマトの体を一体化させて戦うそうなのですが、ドラゴンに止めを刺した後、
魔王様とティアマトの体が再び離れる際にティアマトの魂は神獣界に還り、屍となった体は祠に還ります。
魔王様の魂も天界へ昇り、屍だけがそこに残る事になるのですが……、
王の印の『一度だけ死を免れる』という本当の意味はドラゴンに止めを刺すと同時にその魂を引き寄せ、
魔王様の御体に宿るよう力を封印してあるのです。
……この事は代々の宮廷紋章術士にしか語り継がれていない事ですので、リュファス達は知らなかった筈です」
「じゃあ、リュファスの手下がユウリの家族を襲ったのは……殺した筈のテオドール様が
王の印によって生き返ったと勘違いして、きっとラウル様をテオドール王だと思ったのよ。
だから、あなたとユウリは兄妹なんかじゃないのよ」
ラーサーはセシリアの言葉を聞くと安心しながらも苦しそうな表情をした。
“それとも、ユウリの事を諦めるなら兄妹だから仕方ないって自分に言い聞かせた方が楽だから訊かないのかしら?”
昨夜、セシリアが言った事はまさしくその通りだった。
兄妹ならば仕方がないと思える気がした。
しかし、兄妹ではないとわかった今、嬉しい反面、ラーサーは自分の感情をどうすればいいのかわからなくなっていた――。