第7話 森と村
今日はアキとナディアが森に入り、狩りをする日である。
初回の狩りから何度か狩りを成功させてから、ナディアの村内でのヒエラルキーは若干の上昇を示した。
それ故か朝からナディアの感情がおかしい。
「ふふふふ~ん。ふふふふ~ん。にゃにゃにゃにゃ~にゃ~」
変な歌と、踊りを踊っているナディア。その様子を影から見つめる2人がいた。
「ばあちゃん、母さんがいつもよりおかしいみたいだけど。」
「爽やかな朝にあんなもの見せられたら矢を射ってもいいっていう掟があってね…」
「ちゃんと聞こえてるんですから!!ネコ人族の聴力、侮らにゃいで下さい!」
ツッコむ方向が明後日な相変わらずなナディア。諦めてアキはナディアに問いかける。
「何かあったんですか?母さん。」
「だって今日はアキとの狩りの日にゃんですよ?楽しみで楽しみで夜も十分に寝ることが
できませんでした。あっ、でも体調が悪いって訳ではにゃいですからね。ちゃんと朝ご飯も美味しくいただきましたし。お通じもばっちりです。ただもうひと眠り出来ればいうことにゃいんですけどね。最近アキはわたしのこと起こしに来てくれにゃいですし、日に日にリリさんのわたしへの扱いが雑ににゃっている機もします。わたしだってちょっと寂しいにゃぁ~にゃんて思ってたりもするんですよ。アキ!もっと母さんに構っても大丈夫にゃんですからね。でも、今日はアキと2人きりで狩りに行けるじゃにゃいですか!だからこの際に親子の関係をさらに深く強固なものにするにはいい機会だにゃって思っていたんですよ。だからこの日を迎えられるのをずっと心待ちにしててで「アキ、ちょっと手伝ってくれる?」」
《あっはっは!アキの母さん最っ高!!》
頭の中で詩がうるさい。ディラが詩に勝つためゲームで特訓している間することがなく暇なのである。ともあれ、居間で盛り上がるナディアを後目にアキはリリに連れ出される。
「今日、森に行ったら薬草の採集にも気を配って頂戴ね。」
アキの目の前に並べられた薬草は採集予定の薬草の見本だった。
「わかりました。師匠。」
アキとナディアが森に入って1時間が経とうとしていた。アキは先ほどから薬草を見つけては摘んで袋にいれている。しかし、2人は獲物の痕跡を全く見つけ出すことができずにいた。
正確にはいくつかの痕跡があったもののそれら全て古いものだった。
「アキ、上に登りにゃさい。」
ナディアの雰囲気が変わる。それを感じ取ったアキは素直に木に登り枝の上で待機した。
一方、ナディアは木の頂上まで登り一面に広がる森を見渡す。
静寂が続く。時間にして10分程。だが言い知れぬ緊張感がその長さを何倍にも感じさせた。
ナディアが森を注視する。
北西の方角で多数の鳥が一斉に飛び出す。距離はまだかなり遠い。
さらにナディアは鳥の行方を注視すると、
「アキ!!!村に帰るよ!!!」
アキに怒鳴るような声でそう告げると、村の方角に駆け始めた。
アキは訳もわからぬまま、なんとかそれについていく。幸い今日は薬草しか採っていないので、荷物が軽い。ナディアについていくことは難しくなかった。
アキたちが木の上を駆けているのは、前世ではパルクールと呼ばれる方法に近い。常に周囲を観察し、安全かつ、最短、そして最も静かに走ることができるルートを判断し枝から枝、幹、地面それぞれを行き来するのだ。今回に限っては消音を完全に度外視しての復路であるが、まさに詩先生の指導の賜物である。詩が調子に乗るので、アキは絶対に言葉にしないが、胸の奥でひそかに感謝する。
(どう思います?)
《森が静かすぎる。こりゃ奇襲を受ける前の感じにそっくりだな!!》
<…大地の揺れ。間違いなく生物の大移動…。>
(氾濫ですか。)
スタンピート。氾濫。どちらも村で最も危険視されている生物群の暴走である。ナディアはそれに気付き、村に危機を知らせるため、今のアキが付いていける最大の速度で走っていた。
アキたちが村に着くと、ナディアがアキに指示を飛ばす。
「アキ、リリさんにスタンピートだと伝えて。わたしは鐘をにゃらしに行く。」
アキの返事も聞かぬまま、ナディアは村の中央に向かって走っていく。
村の鐘は非常事態を告げるもの。村のだれもが叩くことが許されているが、もし遊びで叩いた場合、厳しい罰を課せられる。アキが知る限りは一度も叩かれてはいない。
アキは家に誰もいないのを確認すると、薬屋に駆け込む。
リリとパザンがいつものようにいつもの場所で話をしていた。
汗が右目に入り上手く目を開けられないが、アキは気にせず叫ぶ。
「ばあちゃん!!!森で[カーーン!カーーン。カーーン。カーーン]」
アキが驚いている2人に声を掛けたところで村中に鐘の音が響き渡る。慌てて言い直す。
「ばあちゃん!スタンピートだ!」
リリとパザンの目が見開く。前回のスタンピートはアキがこの村に来た少し前の出来事だ。
村にも少なくない被害と死者も出た。アキの言葉を聞いた2人の反応は早かった。辺境の村に長年住んでいる者だけが得ることのできる危機対応能力だろう。
入り口にいるアキを押しのけて外に出るパザン。
店の奥に駆け込むリリ。
アキはリリの後に追従する。
「スタンっ!!!!ピーートだああぁ!!!」
店の外からパザンの耳が割れんばかりの声が聞こえてくる。鳴り続けている鐘の音よりも遥かに大きい。
「弓と矢、食糧、水だけ持って他の荷物は全部置きなさい!!!」
「麻痺毒、睡眠毒、持てるだけ詰め込んで!!」
リリの指示が矢継ぎ早にアキに下される。
「あとこれも!!」
そう言って手渡されたのはアキの腕の長さほどの短剣。リリが床下の隠し扉を開け取り出したものだ。初めて見る武器らしい武器に戦いの気配を実感し、アキは少し足がすくんだ。
アキたちが店から出ると、村は当然のことながら大騒ぎになっていた。皆、家の重要な荷物を持ち出し、行動の早い者は既に屋根の上に登り始めていた。
リリは店の戸締りを厳重にし、壁に梯子を立てかける。
直ぐに大きな荷物を抱えたナディアが駆けつけて来た。
「リリさん、家の封鎖終わりました!」
ナディアの言葉を聞くと、リリは店の上に登るように2人を促す。
アキたちが登り終えた時には、村の皆も既に登り終えた頃のようだった。
アキは周りを見渡す。
《里と同じだね。どこもかしこも、胸糞悪い!》
<…戦士の数が少ない…>
詩が悪態をつく。確かにディラのいう通りこの村には若い男や中年の男の数が圧倒的に少ない。男といえば、アキのような子供と、パザンのような年寄りばかりである。
(詩、どういうこと?)
《はぁ!?決まってんだろ!!戦争だよ。戦争。こういう村はいくつも見てきたんだ。みんな国に持ってかれたんだろ!!》
詩が「連れていかれた」ではなく「持ってかれた」と言うことで国に対しての侮辱をあらわにする。
アキもとてもではないが、リリたちに事実を確認することはできなかった。
アキたちが屋根に登ってからしばらくが経つ。隣の鍛冶屋の屋上に避難したパンザ一家も含めて誰も声を出さず、沈黙が先ほどから村を支配していた。
《この空気。いくさばと同じだな。》
<…イクサバ?…>
《あぁ…。戦争だよ、戦争。》
<…なるほど。確かに…>
アキの頭の中では2人の能天気な会話が繰り広げられていた。
彼女らによれば詩は、隠密として全国を巡る中でいくつも戦争は見てきたらしい。先達に付いて桶狭間の戦いも観戦していたという。
ディラも言葉を理解してから、詩が聞いてみたところ、ネイティブアメリカンとしてイギリスの植民地支配に抵抗しており、ゲリラのような反抗作戦を何度も展開していたという。
彼女らがなぜアキの頭の中に居を構えているかは3人ともまだわかっていないが、少なくとも3人の中で彼女ら2人は戦闘経験が抜きんでていた。
アキも彼女らの会話に耳を傾けることで若干ではあるが、この緊張感から抜け出すことができていた。
しかし、他の子がそうであるとは限らない。
ふっ、ふえぇぇぇぇぇぇぇん。
パザンの孫のパダイである。遂には泣き出してしまった。普段であればパダイを抱っこするパダイの母親も今だけは何もしない。弓を力強く握っている。
「来たよ!」
リリが叫び、ネディアが小さく頷き、矢を番える。アキや周りの村人もそれに倣う。
視界にある森の木々の一部が揺れ始め、足からは確かな振動を皆が感じていた。
(神様……)
この世界でアキが祈った最初の瞬間である。