第2話 アキと少女ら
アキは今までの成長の遅れを取り戻さんとするかのようにすくすくと育っていった。
アキがよちよち歩きをマスターする頃には、ようやくだが少しずつ現地語を理解し始めていた。というよりもリリが不在中、ナディアがこっそり「マ~マ、ママ」と刷り込みをしてくるのだ。
ちなみにいつもリリが寝ている藁のベッドを指さして「バ~バ」と教えてくれるので、アキは2人が揃ったところで「マ~マ」と「バ~バ」を披露することにした。
「っ、リリさん、聞きました?今ぁ、ワダシのことママってぇ~」
「えぇちゃんと聞きましたよ。聞き逃すもんですか。一体誰が教え込んだんでしょうね?」
鼻声でアキのことを抱きしめ喜んでいるナディアは後ろにいる満面の笑顔の白夜叉に気付いていない。その後アキは「バ~バ」と呼ぶのを躊躇うのだが、その理由はナディアの頬の色が証明していた。
アキは2歳になった。とはいうものの、実際の誕生日など知りえないのだから、ナディアがアキを拾ってからの年月である。この頃になると、赤ん坊の若い脳のおかげか、簡単な異世界語は理解することができていた。
その日は朝からナディアは夕食用の食材を確保するために狩りに出かけており、家にはリリとアキの2人だけ。この村では誕生日だけは、一日2食から3食に変えお祝いをするようだ。
アキがお昼寝をしている傍らで、リリは日々大きくなるアキのために編み物に勤しんでいた。
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「ほらっ!もっと腰を落とすんだよ!」
そう言って発破をかけるのは高校生くらいの女の子。身長は140cmほど。純日本人の顔つきで、肩までの黒髪がよく似合う可愛らしい少女である。
「いいか!潜入するときってのは立っていることよか低姿勢でいる時間のほうが圧倒的に重要なんだ。今のうちに自分の目線の高さを把握しとくんだよ!」
既に訓練が始まって2時間が経過していた。いつも詩と名乗るこの少女の特訓はアキにとって楽なものではない。歩行術から始まり、走行術、戦闘術、潜入術、そして陰形術と前世のアキには縁が無かったことばかりを教えこもうとしていたからだ。
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彼女らと初めてアキが対面したのは、アキが約1年前にこの世界に意識を取り戻した日の夜であった。リリとナディアとアキ、決して広くない寝室に3人川の字になって寝ていた深夜。深い眠りについていたアキの頭の中に響く声があった。
「お~い。お~い。」
声のする方に意識を向けると、真っ白な空間に2人の女の子が立っている。1人は古来の日本の着物、もう一人は以前テレビ見たことのあるネイティブアメリカンの格好をした少女である。着物の女の子が尋ねてくる。
「なあ、お前言葉わかるか?」
戸惑いながらも、アキはコクコクと頷く。今の自分の体は1歳児である。見上げていると首が痛い。
「お~。よかった。よかった。実はな……。」
彼女の話をまとめるとこうである。彼女こと詩は室町時代に朝廷に仕える隠密だったそうだ。
だが人一倍好奇心が強い彼女はその前衛的な思想から仲間内で疎まれ始め、そして最期には仲間に裏切られて死んだはずだと。
しかし、ふと目覚めてみると彼女は真っ白な空間にいた。とりあえず歩き回れることができたので、フラフラしていると空間の切れ目を見つけたそうだ。興味本位でその空間をのぞき込んでみると、そこにもう1人のネイティブアメリカンっぽい女の子が立ち尽くしていたとのこと。
言葉が通じず、身振り手振りで説明してみたものの断念。なんとか突破口を探していたところ、自分が入って来た切れ目とは別の切れ目を見つけて2人で入ってきたら、気持ちよさそうに寝ているアキを見つけたとのことだ。
「お前、しゃべることはできるか?」
と、聞いてくる詩に、アキはどうなのだろうと思いながら試すと
「あ~あ~、あっ大丈夫みたいですね。」
となんとか会話できそうなことを伝える。詩の隣で1歳児がしゃべっていることに驚き、なんとも言えない顔になっている女の子がいるのだが。
元くノ一の詩。20歳。そしてディラと名乗るネイティブアメリカンの女の子。自己紹介しか満足に出来なかった。
次の日の朝、アキが目を覚ますと隣ではまだ2人は寝息をたてていた。壁の隙間から外の様子を窺うもまだ日は昇りきってはいないようだった。
アキは昨夜対面した2人を思い返す。夢としては鮮明に覚えていた。
《お~、なんか変な感じだな~。》
アキの頭の中で聞き覚えのある声がする。詩の声だ。
詩によるとあのままアキといた空間に留まっていたところ、アキの感覚の一部を共有できるようになったようだと教えてくれている。おそらく今、彼女らが見ている景色は自分が見ているものと同じなどであろう。
この日を境にアキたち3人はリリたちが話す言葉を教材として、この世界の言葉を学ぶことを最優先にして情報交換を行った。
どうやらやはりあの白い空間は夢の中の世界らしく、最初に各々がいた部屋がそれぞれの所有する空間であることがわかった。そして自分の空間では自分のイメージした通りに空間を創造できるらしく、当初は3人共文字通り夢中で模様替えを行っていた。
結果、詩は豪華な大名屋敷を創造し、1人用住まいにアレンジし暇なときは天気を操作し軒先で日向ぼっこするのがお気に入りらしい。
ディラは贅沢な物は好まないようで、アメリカにあった自分の集落をそのまま再現し、日中は弓矢の練習を楽しんでいた。
アキは、ハリウッドスターばりに豪華な部屋を創造し、広いリビングに重厚なソファー、壁一面のガラス越しに富士山を眺めることができるように改良に全力を注いだ。また、前世の記憶に関しては、忘れていた記憶であっても引き出しから物を取り出すかのように出し入れができることを発見し、大型スクリーンを創造してからは、映画やドラマのDVDを再現することに時間を費やした。
後日談ではあるが、アキの部屋からは時折家具家電が紛失しており、なぜか大名屋敷には不釣り合いの大型ソファーやDVDプレイヤーが設置されていたという。
アキがさらに不運に見舞われたのは、自分の姿さえも夢の中では変えることができることがわかってからである。その頃になると、詩は体を動かすことに飢えており、目の前にいる美味しそうな鴨を見逃すことは出来なかった。
「おい、アキ。特訓すんぞ!槍持て。」
夜が更けてアキが眠りにつき、夢の世界に赴くと、詩は待ってましたと言わんばかりに声を張る。隣にはディラがテレビにしがみついて顔が菓子パンである主人公の子供向けアニメを見ている。
はぁ、とアキはこの毎晩の出来事に小さなため息をつき体を前世の10代後半だった姿に変身させる。そして増設したウッドデッキにでて数時間もの間、ひたすら鍛錬を行うのだ。
夢の世界で行うこの修行、意識しない限り疲れも感じることもなく、真剣で斬り合っても怪我することもないのだが、それが余計に詩の戦闘欲を刺激していた。
目を覚ましてからアキはリリと手遊びをして遊んでいると、夕方になりナディアが帰宅する。ウサギを2羽抱えている。
まだ固形物は厳しいんだけどな。とアキは思いながらもウサギを抱えたナディアの満足そうな顔に幸せを覚えるのだった。