触れた温度
執筆者:雪村夏生
最近の寒さにはかないません。だからといって、手袋をすると本が読めません。
だから雪村は、いつも片手だけ手袋をしています。
「手が冷たい人は、心があったかい」
哲学書を読みながら、やつはあたかも一般的な定義のように言った。肩をすくめる。
「それ読みながら言えば、説得力があるとでも思ってる?」
「そう思っていた方が、少なくとも穏やかになれると思わないか?」
「何が?」
「心が」
センチメンタルか。
小説を書く上で哲学の知識が欲しかったから、大学内の哲学学科の人間と接触した。全世界の哲学関係の人間には申しわけないが、哲学学科の人間は誰を取っても変人ばかり。小説を書いている自分もかなり変だと思っていたけれど、彼らは違う次元で常人とは隔たりがある。だから仲よくなるにしても、難儀だった。
唯一お近づきになれたのが、この男。哲学学科生の皮を被った、センチ野郎。
「あんたさ、ほんとに哲学学科生らしくないよね。なんで哲学なんてやろうと思ったわけ?」
明日誕生日の友人のためにブレスレットを作りながら、とげとげしく言い放つ。
「リアルを追及できなかったら、夢なんて見られないだろう」
ワイヤーに黄色のビーズを通す手を止めた。顔を上げる。こちらはこたつであちらは窓際に寄せた椅子に座っているものだから、どうしても目の高さでは負ける。相変わらず、哲学書に目を落としている。ブックカバーがついているから、題名まではわからない。
「何いきなり変なこと言ってんの?」
「哲学学科生らしからぬ言動が多いと言い出したからだろ」背表紙を支えていた手で、挟むようにして本を閉じる。目が合った。やつが立ち上がる。
「手が温かい人間は、心が冷たいともいう。哲学学科生の手は温かい。反対に、君のような人間の心を繰っている者の手は、冷たいはずだ」
「はあ? じゃあ触らせてよ」
やつはさっさと隣で片膝をつく。お手をどうぞ。気取った声音で手を差し出した。手に持った分のビーズをワイヤーに通してから、テーブル上に置く。わざわざこたつから出て、差し出された手の平の上に、自分の手を乗せる。瞬間、ぐっと引き寄せられた。
「じゃあ、ちょっとノートを買ってくる」
やつは立ち上がり、リビングを出た。冷え切った手と唇に、触れられた温かみが残っている。あいつの心は、たぶん温かい。