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2 恋の女神

「あの、佐東さん……」

「葉月って呼んで!」

「えっと、葉月……?」

 おれの呼び掛けに、彼女は大きく首をかしげる。

「誕生日、おめでとう。急な話だったから、誕生日プレゼント用意できなかったんだけど……」

「いいのよ。ぜんぜん! 劫介くんが来てくれただけで葉月は幸せなんだから」

 彼女は本当に、心から嬉しそうな笑顔を浮かべる。なんていい子なんだろう。おれは心臓をがっしり掴まれたような感動を覚える。

「でも、なにかプレゼントしたいから……欲しいものがあったら言ってね?」

 高いものは無理だけど、と続けかけたのを慌てて飲み込んだ。あえて言わずとも、高校生の財布事情くらい察してくれるだろう。期待通り、葉月はおれの微妙な顔色を読んで、クスリと笑った。

「じゃあ劫介くん。プレゼントの代わりに、葉月のお願い聞いてほしいな?」

「お願い?」

 まさか、そんな提案をされるとまでは予想していなかった。葉月は小首を傾げるおれの手を引いて、パタパタと駆けていく。眼前には目的地である遊園地。彼女は駐車場のフェンスから身を乗り出し、上方を指差して言った。

「この遊園地はね、恋の女神さまがいるのよ。全てのアトラクションを一緒に回ったカップルは、女神さまに祝福されて永遠に幸せになれるんだって」

 葉月の指し示す先には、大きな女神の像があった。遊園地の中央よりやや右奥に堂々とそびえ立つ、コンクリートでできた像。女神と言われなかったら、天使と思ったかもしれない。大きな翼を背中に背負い、燭台のようなものを手に持っている。

 カップルを呼び込むために、遊園地側が仕掛けた噂話だろうか。いかにも女の子が好きそうな、有りがちな話。男のおれにはくすぐったくて、まともに取り合いたくない類いの話だが、葉月は典型的な女子なんだろう。女神像を見てキラキラと目を輝かせ、その目のままおれに焦点を戻した。

「だから、アトラクション全部、葉月と一緒に回って欲しいの! いいかな……?」

 洗練された上目遣い。赤らめた顔と合わせて、破壊力充分。こんなの、断れるはずがない。

「うん、もちろんいいよ」

 おれは全面的降伏の白旗を振り回す気持ちで、そう即答した。

 高価なプレゼントを要求されたって、断れるかどうか怪しいのに。こんな可愛いお願いをしてくるなんて、本当にいい子だなぁ。

 この時おれは感動すら覚えていて、今が夕方であることをすっかり忘れてしまっていた。

「やったぁ! 約束したからね!」

 葉月は歓喜の声を上げ、おれの腕に手を回す。肩にぴたりと付けられた頭から、花のようないい香りがして、おれの心臓は飛び出しそうなほど脈打った。

「じゃあ、行こうか」

「うん!」

 おれたちは、そう示し合わせて歩き出す。

 向かったのは、入園ゲートはこちらと書かれた看板の矢印の方向だ。

 夕染アイランドは、陸からわずかに離れた小島の上に建設されていた。島までは短い橋が一本、専用駐車場から、遊園地の入園ゲートまで延びている。

 橋の向こう、夕闇に浮かび上がる遊園地は、とても幻想的だった。背の高いゲートとコンクリートの塀のため、中はよく見えなかったが、大樹のような形をした時計塔と、白い女神像、観覧車が下方からぼんやりと照らし出されているのが特に印象的だ。

 先ほどの葉月が言っていた伝承が、自然と思い起こされる。女神さまの祝福を受けられる遊園地。たしかにここは、そんなファンタジーも信じたくなってしまう魅力がある。

 だけど……。

 コンクリート製の橋を、コツコツと足音を響かせながら歩くおれたち。波の音と、心地よい海風が耳元を通り抜けるのを感じながら、おれはそこはかとない違和感を覚えていた。

 人里離れた土地特有の、耳が痛くなるほどの静寂。わずかな音を求めて意識を泳がせても、捉えることができるのは波の音と、自分たちの足音だけ。

 遊園地の前にしては、いやに静かだと思った。こんな時間だ、逆方向を歩く客とすれ違ってもいいはずなのに、周りには全く人影がない。そういえば、さっきの駐車場には一台も車が停まっていなかった。

 流行っていない遊園地なのかもしれない。こんなに素敵なデザインなのに。夏休み真っ只中、しかも祝日にもなったこの日に客が集まらないのは相当な問題だと思うのだが、この遊園地、経営は大丈夫なのか?

「どうしたの? 劫介くん」

 不安が顔に表れていたのか、葉月が心配そうに尋ねてくる。

「あ、ああ。実はおれ……遊園地って初めてなんだ。それでちょっと緊張して」

 おれは慌てて笑顔を作り答えると、葉月もあははと笑って言った。

「そうなんだ。でも、遊園地で緊張なんて、劫介くんおもしろい!」

 おれはホッと胸を撫で下ろす。なんとか誤魔化せたらしい。葉月がせっかく誘ってくれたんだ、どんな場所であろうと、楽しまなくちゃ。たとえ潰れそうな遊園地であっても、つまらないアトラクションでも、記念すべきおれたちの初デートなんだから。

 ゲートにたどり着いたおれたちは、早速入園手続きに向かう。入るにはチケットをゲートの下にいる受付に渡して、半券を切ってもらえばいいようだ。

 受付には、青い制服を着た女性が一人立っている。おれたちは各々カバンからチケットを取り出し、彼女のもとに向かった。

 葉月のチケットが切られ、半券とパンフレットが手渡される。次に女性がおれのチケットに手をかけた、その時。おれはギョッとして、思わず手を引いてしまった。

 空を掴んだ女性は首をかしげて、おれを怪訝そうに見ている。

「す、すみません」

 おれは謝り再度チケットを渡し、差し出された半券とパンフレットを受け取った。

「どうしたの? 劫介くん」

「なんでもない、ごめん」

 おれは先で待っていた葉月に追い付き、笑顔を作ってそう答えた。

 ちらりと横目で、受付を見やる。

 ……さっきのお姉さん、大丈夫かな。ずいぶん骨ばった手をしていた。ガリガリに痩せ細って、ミイラみたいにひび割れた手。顔色も土器色で、今にも倒れそうな感じだったし。

 失礼なことに、さっきおれは彼女の手に驚いて、手を引っ込めてしまったのだ。

 病気? いや、過剰なダイエットでもしてるんだろうか、あの人。あのミイラみたいな腕、接客業には向いてないんじゃないかな。心臓に悪すぎる。

 気を取り直し、パンフレットを読もうと手元に目を落としたところで、おれは再びギョッとしてしまった。

 パンフレットは、受け取った直後であるにもかかわらず、すでにボロボロだった。何度も雨で濡れ、乾いた結果だろう。半分が滲んでヨレヨレになっているし、張り付いてしまって開かない。受け取ったときに気が付かなかったのは、受付スタッフ本人に気をとられていたからか。

「ちょっと待って。パンフレット、替えてもらってくる!」

 さっきのお姉さん、見た目だけじゃなく、視力もおかしかったのか。こんな汚いものを渡すなんて。もしかして、体調が悪いのかもしれない。ちゃんとご飯食べなよって言ってあげた方がいいのかも。そんなことを考えつつ、きびすを返して受付に戻ろうとしたおれは、腕に絡まる華奢な手に引き留められた。

「劫介くん」

 振り返ると、葉月がおれを見上げている。

「パンフレットなんてなくても大丈夫よ。わたし、この遊園地のこと詳しいから」

「そ、そう?」

「はやく行きましょ、劫介くん。葉月、はやく乗り物に乗りたいの」

 葉月は、駄々をこねる子供のように、おれに懇願の目を向ける。腕にはかなりの力が籠っていて、簡単には離してくれなさそうだ。

 なにをそんなに急いでいるんだろう。そう不思議に思ったとき、ようやくおれは空の赤みに意識が向いた。

 そういえば、この遊園地、営業時間は夜の八時までだっけ。たしかチケットにそう書いてあった。

 つまりおれたちに残された時間は、あと一時間半しかないのだ。あと一時間半で、全てのアトラクションに乗り切らないといけない。無謀な計画に思えたが、おれは先ほど約束してしまった。たとえ無理だってわかっていても、出来る限りの努力をしないと、不誠実だ。

「そうだね。急がないといけないね」

 おれはそう答えて、受付の方向から爪先をそらすと、葉月の腕の力が緩む。

「そうよ。行きましょう。とりあえず、あっちに行きましょう」

 葉月は嬉しそうに言い、おれの腕を引く。彼女は目の前の広場から分岐する、右側の道へとおれを誘った。道中のゴミ箱に葉月はパンフレットと半券を放った。おれもそれに倣って、薄汚れた紙切れを投げ捨てる。

 どうせ片っ端から乗らないといけないんだし、パンフレットなんて必要ないよな。葉月が乗りたいものに付き合ってあげればいいや。

 彼女はどこかに向かっているようだ。迷いない足取りに身を任せて、おれは周囲に目を向けた。

 園内は思いの外、たくさんのお客さんがいた。関東や関西のテーマパークに比べたら全然少ないんだろうけど、入り口の閑散とした光景からは想像できないほど、園内には人がごった返していた。みんなおれみたいに車じゃなく、バスで来たのかな。それか入り口はふたつあって、もうひとつの入り口に大きな駐車場があるのか。まだアトラクションのようなものは見当たらないが、恐らく並ばないと乗れないだろう。アトラクション自体は数分で終わるだろうが、並ぶ時間を合わせると、ひとつ乗るのに一体どのくらいかかることやら。

「お客さん、いっぱいだね」

 おれは急に心配になり、葉月にそう言った。しかし彼女はあっけらかんと答える。

「そうね。お盆だもの、いっぱいよ」

 お盆か。確かに、夕染市は田舎だから、お盆と正月には里帰りする人で人口が増える。近くのデパートとか、その時期だけは大変な賑わいなのだ。特に葉月は不安がっていないので、おれはその話題を取り止めた。客が多いことを言い訳にしても仕方ない。

「葉月。はじめは、なにに乗りたいの?」

「メリーゴーランド!」

 おれの問いかけに、葉月はキラキラした瞳で即答した。

 その乗り物は、あまりにも有名だ。いくら遊園地に興味のないおれでもよく知っている。

「メリーゴーランド……って、あの、馬が回るやつだよね?」

「そうだよ! わたし、大好きなの!」

 ド定番といえばド定番だが。子供向けのアトラクションだろ、あれ。年齢制限とかないのかな。不安になりつつもおれは葉月に引っぱられるまま足を進める。そしてついに目の前に現れたのは、想像通りのファンシーな乗り物だった。

「これに乗るの? 子供ばっかりだよ? ……ちょっと恥ずかしいな……」

 柵の前に出来ていた列は小さな女の子ばかり。当然、おれくらいの年頃の男は全くいない。あまりのキラキラ具合に尻込みしていたおれの背中を、葉月は容赦なく押してくる。

「ぜんぶ乗らなきゃダメなんだから、ね?」

 そう言われてしまえば抵抗できない。おれは黄色い声をあげる女の子たちの列の最後尾に、しぶしぶながら足を運んだ。



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