あたくち幼女、かわええ (再掲載版)
ロリコンオチです。
ロリコンダメ絶対の方は『戻る』にて退避ください。
◇
リリーベル・アンドレルノートンという自分の名前を聞いて、まずは瞳を瞬かせた。
幼い頃から「リリ」と呼ばれていたので、てっきり『莉々』とか『凛々子』とか『璃々菜』とかそんな名前なのだと思っていた。
ぼんやりと、日本にしては洋風過ぎる部屋だな~とは思っていた。
日本ってどこ?
その疑問には、自然と『故郷』だと思った。
でも、自我がはっきりして、喋れるようになればなる程、あれ、ここ、日本じゃない? と強く思うようにもなってきた。
‥‥‥だけど、なんだか聞き覚えがあるんだよね、この名前。
ばあやが寝物語で聞かせてくれる創始創世とか、英雄や、女神さまの話とかも、なんかどこかで聞いたことがあるんだよな~という妙な感じ。
頭に出てくるざっくばらんな喋り方。
ついばあやにしてしまったら、こっぴどく叱られてしまった。
「アンドレルノートン伯爵家のご令嬢の言葉遣いではございません!!」
と。
わたしは、自分の手をじっくりと見た。
真っ白なインクにほんの一滴だけ美しい薔薇色を垂らしたような、淡い薄紅色の小さな手。
紅葉と言うよりも、焼く前のパン生地のようなぷにぷにした手。
視界に映る髪の毛は漆黒というには少し茶色がかっている。
ばあやとたくさんの使用人に囲まれて、桜色のドレスを身に着けた幼女が鏡に映っている。
――― 誰?
わたしが瞳を瞬かせると、鏡の幼女も瞳を瞬かせた。
ほっぺたをむにーと抓ると、鏡の幼女もむにーと抓った。
――― あ、わたしか。
人間、驚くと声が出ないというのは、わたしにとっては、知りたくない真実だった。
◇
お洒落をして、四頭立ての豪奢な馬車に乗って辿り着いた先は、これまた豪勢で立派で煌びやかしいお館だった。
うん、中で殺人事件が起きそうなおどろおどろしさがあるけどね。
「今日は、カーディナルフューム侯爵家のローゼリーナさまと初のお目合わせなのですからね。お嬢さま、心して臨んでくださいまし」
ばあやがわたしを膝に抱いてそう言う。
「では、お嬢さま、もう一度復唱です」
「リリーベル・アンドレルノートン。今年で七歳になります。以後お見知り置きを」
よしっと思って顔を上げれば、ばあやがわたしの頭をなでなでしてくれる。
嬉しくてついつい笑顔が浮かぶ。
でも、その笑顔はカーディナルフューム侯爵家のローゼリーナさまとやらに会って、霧散した。
あたし、この子で二次やったことある。
とは言っても、一冊ぽっきりだけど。後輩との合同本で、夏のイベントで出しました。
はい。昔はあたしって言っていたよ。
社会人になってから懸命に『わたし』って言うようにしたけど。
「あたくしのことは、ローゼリーナさまとお呼びなさい」
あたくちのことは、ろーぜりーなちゃまとおよびなちゃい。って聞こえます。
‥‥‥かわええ。
まあ、実際は七歳なのでもう少しちゃんと喋っていたけれど。
ええと、混乱してきたぞ。
わたしは、この子をネタにして本を出したことがある。薄い自費出版だ。
わたしは、社会人だったはずだ。
でも、今はこんなチビになっている。
そして、ここは二十一世紀の日本ではない。
‥‥‥ああ、なんか大量に溢れ出る記憶なのか情報なのかわからない物のせいで思考が纏まらないので、目の前のあたくち幼女を眺めよう。
ブルネットの髪を上部を耳元で大きなリボンで二つに纏めている。髪の毛は綺麗にチョココロネのように巻かれているので、リボンをつけたトイプードルのような愛らしさだ。
年齢に似合わない、赤薔薇のような真紅のドレス。
まだ小さいのに化粧も施されている。
あちゃー。
七歳なのにけばい。
可愛いけど可愛くない。
正直、もったいないとしか言えない。
わたしは、つかつかと近づくと、「リーナとお呼びしてもよろしくて? あなたのような可愛らしい方は、可愛い名前でお呼びしたいわ」と微笑んだ。
ローゼリーナは顔を真っ赤にさせていた。
あたくち幼女、かわええ。
―――行動は、無意識だったけど。
◇
あはは、困ったね。
わたしは帰りの馬車の中で、心の中では頭を抱える。
どうにかというか、なぜかローゼリーナの取り巻きに選ばれたけれど、今更だけど選ばれない方がよかったんじゃね? という気持ちでいっぱいだ。
わたしには、以前の記憶がある。
前世かもしれない。
もしくは部分的な記憶を注入されたのかもしれない。
全部は思い出せないから。
覚えているのは、日本語。これは、羽ペンと羊皮紙で書いてみた。ばあやは不思議がっていたけれど、お母さまの真似がしたいと駄々をこねてもらった。
書きにくかったが、けっこう覚えていた。
それから今ではない過去の出来事。
今日、さらに増えたけれど。
ローゼリーナを主人公に、後輩と同人誌を自費出版してイベントで売った。
普段は、母親が大学生の頃に遊んだという超絶マイナーなRPGでイベントは出ていた。
年齢は社会人になっていたし、なんだか部下もいたような感じなので二十五歳は過ぎていると思われるが、はっきり言って、自分自身のことはぼんやりとしか覚えていない。
明確に覚えているのは、生い立ちに近しい部分と、この世界に関するほんの少しの知識だけ。常識と呼ばれる部分はなんとなく身についている。
リリーベルとしての記憶もしっかりあるので、ここは、区別を付けるべきかもしれない。
よし、前世だかなんだかわからん前の記憶は『過去のわたし』だ。
で、今の七歳お子ちゃまなわたしは『現在のわたし』と区別しよう。
まず、過去のわたし。
社会人。たぶん、二十五歳以上。
同人誌を作っていた。でも、だいたいは好きなゲームのギャグパロディばかりで、GLとかBLとか男女カプとかにはそれ程描く方としては興味がない。読むのはなんでもOK、どーんとこーいだった。
関係がないけど、どうもNLという言葉は好きになれない。
健全ってなに? と考え始めると頭がオーバーヒートしてしまうから。男女での漫画でもそれで鞭とか蝋燭とか使ったら、それはノーマルではないと思うのだ。
わたしは、ギャグパロばかりしていた。
読むのもカップリング臭がしたとしてもギャグ本ばっかり。
発行していたのは、ゲームのシーンでのツッコミばかりのほのぼのギャグ路線。
夏と冬、後はGWの大きなイベントで関西の方で行動していた。住まいは関西ではなかったと思う。だって、いつもホテルで前日を過ごしていたような気がする。
東京の超有名なイベントは遠慮していた。マイナージャンルこそ出た方がいいと後輩に言われたけれど、あれは過去のわたしにとっては舞踏会と一緒で、遠くで眺めてうおーすごいーと言うものの気がしていたのだ。
情景はぼんやりと思い出せるので、推測でしかないけれど。
性別は女。
仕事ははっきり思い出せない。たぶん、社内に一日いるような仕事。毎月末が忙しかったような気がする。
後輩やイベントで知り合った友達とたまに合同誌とか出していた。ゲストとかも意外と呼んでもらえたので、流行りのジャンルは気をつけていたし、目も通していた。
ローゼリーナを書いたのも、後輩に勧められてちょっとゲームしてハマったのだ‥‥‥設定に。
彼氏はいなかったと思う。
ゲームやったりアニメを見たり、漫画を描いたりする時間と自由を手に入れるために働いているような感じだった。けっこう稼いでいたみたいで、好きなアニメのDVDとかはあまり躊躇せずに買っていた気がする。
でも、そのアニメの名前は一切思い出せない。
後輩の名前も思い出せない。顔はぼんやりと浮かぶが、似顔絵は描けない。あんなに似顔絵が得意だったこのわたしが!!
そして、なによりも、自分の名前すら思い出せない。
今いるこの世界に関連すること以外はぼんやりとしていて推測するしかないのだ。なので、悩んでも仕方がない。下手な考え、休むにへたりだ。(似たりではない)
次にこの世界について。
ここは、『過去のわたし』が遊んだゲームの世界に似ている。もしくは一緒だ。
ゲーム名は‥‥‥薔薇のなんちゃら‥‥‥思い出せない。
とにかく、キャラクターの名前に花や薔薇の名前がついているのだ。
たぶん、スタッフが命名するのが面倒になったのだろう。
リリーベルは鈴蘭だし。正確には鈴蘭は英語だとリリー オブ バリーになるんだけど、これだとちょっと女の子の名前にはならないから、スタッフが適当に和製英語も混ぜたのだろう。
女の子の名前は花の名前。
男の名前は薔薇の品名もしくは品名に使われている人物名から‥‥‥だった気がする。
国名は自分でつけられる。デフォルト名は覚えていない。
ゲームの主人公は性別も選べることができる。
荒れた大陸を緑‥‥‥というより薔薇で満たす、育成ゲームの形をした乙女ゲームだ。
今思えば、薔薇一種で満たすのはどうかと思う。ああ、薔薇で観光客を誘致して、香水とかジャムとか薔薇水や薔薇のオイルを特産品にするつもりだったのかもしれない。
なんかやたらキャラクターがいて、攻略本や同人誌も見せてもらったけれど、後輩一押しのカップリング中心だったから、ほとんど覚えていない。
主人公は、後輩にとっては脇役の一つでしかなくて、ほぼ脇役狙いでゲームを勧めていた。恐ろしいことにこのゲーム、性別関係なく相手を落とすことができた。
攻略キャラによって多少の差はあるけれど、セリフが微妙に変わるのとスチルが微妙に違うくらいで、けっこう手抜きだったと思う。
追加ディスクとか、2とかも出たらしいけれど、後輩はその頃には次のジャンルに移っていたので詳しくは知らない。
‥‥‥しっかり・はっきり覚えているのは、後輩が‥‥‥
国名に『おたく』
主人公名に『兄貴』
と、つけていたこと‥‥‥
後輩、いろいろなゲームでこういう阿呆なことしてたんだよね。
ばあやに聞いて、国名はスカーレットナイトだと聞いてほっとしたものだ。おたく国の○○です、なんて名乗りたくない!! 過去のわたしはおたくだったし、おたくに誇りも持っているけれど、おたくは隠れてつつましく生きていたいのだ!! 堂々と名乗るのは、申し訳ないけれどわたしにはできない。
「おはよう、兄貴。今日も君の髪は朝日を浴びて宝石のように輝いている」
「兄貴。おたくの成長具合はいかがですか? 私は、あなたのおたくを一緒に大事にしたいと思っているんですよ‥‥‥私の愛しい兄貴」
後輩と大爆笑しました。ごめんなさい。
そんな、ゲームをほとんどやったことのないわたしがパロ本を作ったのは、ひとえに後輩に勧められた男女カプの設定が好みだったから!!
気の強い侯爵令嬢と、ふんわりほのぼの少し腹黒風味近衛騎士とのカップリング。
侯爵令嬢には第二王子との婚約話が持ち上がっていたのだけれど、侯爵令嬢は年の離れた王太子との結婚を狙うような腹黒で、でもゲームの主人公に邪魔をされて苛々していた。
そんな気が強いうっかり腹黒VSふんわり腹黒のボケボケばかりの二人が可愛くて可愛くて!! ええ、マイナーでしたとも!!
でも、後輩が貸してくれた本でものすごーくいい話があって、その本を読んですってんころりとハマりましたともさ!!
なので、わたしのこのゲームの知識は簡易攻略本と、後輩と一緒にやった一回と、動画サイトでみたスチルと、後輩秘蔵のレリーチェ・ヴァンダーレン×ローゼリーナ・カーディナルフューム、長いので略してレリ×ロゼ本でしか得ていないのだ。
あかん。
ダメなパターンや。
って、気分です。
役立つ情報が少な過ぎる。
‥‥‥気分を切り替えよう。
次は、現在のわたし。
リリーベル・アンドレルノートン。伯爵家の末の長女だ。上は男ばかりで三人いる。
この名前はローゼリーナの取り巻きの一人だったと思う。確か。
でも、後輩がやっていた『おたくと兄貴』の時にはいなかったような気がする。
後輩が、主人公が男か女かで幾人かメンバーが違うと言っていたような気がする。うろ覚えだが。もう、『気がする』しか言いようがない。
わたしが読んだパロ本には、リリーベルが出ていないことが多かった。
そりゃ、レリ×ロゼ本でリリーベルの存在は邪魔でしかないだろう。出さない二次作家の気持ちもよくわかる。
リリーベルの兄は三人とも十歳以上年上で、わたしは物凄く甘やかされて育てられた。でも、ただ甘やかされるのがなんだか気持ちが悪くて、甘えきれない冷静な子供だった。
内心が二十五歳を超えていたら、そういう反応になるのも仕方がないなあと今なら思う。家族は対処しづらかっただろうと今更ながら気の毒に思えてきた。
長男はすでに結婚していて、その長男嫁はアンドレルノートン家よりも格式が上のお嬢様だ。
見た目、ローゼリーナよりも悪役令嬢が相応しい。
ただ、長男のアビゲイル兄さまは努力を貴ぶ人で、その堅苦しいところに長男嫁のノルディアさまは惹かれたらしい。完全な押し掛け女房で、アビゲイル兄さまは今でも戸惑っているようです。そりゃあ、絢爛豪華な『陽の色の薔薇乙女』(注:ノルディアさまの二つ名だ)が自分に夢中って早々は信じられないと思う。
次男のレメンブランス兄さまは騎士団で頑張っている。嫁は……現在募集中だ。
三男のグラハムトーマス兄さまは侍従として王宮で勤めている。そろそろ婚約者のアレキサンドラさまとの結婚が整う時期だ。こちらもアレキサンドラさまのが結婚に乗り気だ。
侍従として王宮にいる期間が多い兄のため、女官として自分も伺候しようかと本気で考えている方だ。十七歳で結婚って早過ぎじゃないか? ああ、まあレメンブランス兄さまのようになる前にさっさと身を固めるのは有りなのかもしれない。
ああはなっちゃあかん。
自分の兄に対してあれな言い方だけど、次兄のようにはなっちゃあかん。
両親は仲が良く、この二人を見ていると過去のわたしのように「結婚なんてするもんじゃない」っていう感想は浮かばないだろう。
祖父と祖母はいるけれど、同じ屋敷では暮らしていない。
今、同じ屋敷にいるのは父母と私、離れに長兄夫婦。王宮の傍の下士官寮に三男、騎士団寮に次兄がいる。
アンドレルノートン家は貴族にしては珍しく全員がきちんと働いている。
そこは好ましい。
労働があるからこそ、贅沢できる。なにごとにも対価は伴うものだ。支払いが潤沢であればある程、精神的な労働が勝るのはどんな業界でも一緒。
なので、リリーベルは自分が七歳で働きに出ることも納得済み。
卵も小麦粉も乳製品も、この国では高級品だ。
一日一食でも腹がくちくなるほどに食べられれば、それは恵まれているという世界だ。むにゃむにゃな次兄に現実を見せられた。日本人、恵まれている。心底そう思った。
今日の朝食もおいしかった。
だから、あたくち幼女の相手も頑張る。
働かざる者、食うべからずを座右の銘にするリリーベルは小さな拳を作った。
◇
ローゼリーナ・カーディナルフュームは侯爵家令嬢で、甘やかされて育てられた。所謂、正統系なツンデレだ。
到着したら、綺麗で贅沢で豪奢で煌びやかな彼女の部屋が凄惨な状況になっていた。
あーあ、乳製品の汚れって取れないのに。
こちらの洗剤ではほぼ役に立たない。
中でわめく『あたくち幼女』。
スープがぬるいやら、パンがパサついているやら、鶏肉の焼き加減があーだこーだ。
足元に落ちている昼食だったであろう残骸を見れば、彼女の理不尽な暴れっぷりが想像できる。
わたしと同じように呼ばれた少女たちは顔を青褪めさせていた。
ローゼリーナの両親は、この状況を見ても、わたし達が彼女の味方足り得るかを見たいのだろう。
自分の表情筋が動きを止めたことに気が付いた。
アンドレルノートン家として、これをしたらまずいだろう。
でも、まだ、今なら子供がしたことと許されるかもしれない。
よく、言うじゃない?
鉄は、熱い内に打てって。
「リーナ、これはどういう状況ですの?」
わたしは近付いてやさしく問い掛ける。表情筋にはなんとか働いてもらった。
「‥‥‥リリーベル。あ、あたくちは悪くないわっ」
まず第一声が自己肯定ですか。
「給仕のみなさんが悪いとでも言うの? それとも料理人?」
「みんなよっ、みんな悪いの!!」
彼女は神経症でも患っているのだろうか。
「みんな悪いがどういう意味なのか、わかるように説明してくださらない?」
「‥‥‥みんなよ」
ローゼリーナは俯くとぼそぼそと何がどう悪いかをブツブツブツブツと指摘始めた。要約すると、なにもかもが気に入らないということだ。
話しているうちに興奮してきたのか目が爛々と輝いて、白目が大きくなってきた。
「リーナ、話す場所を変えましょう」
このままではまずい。
わたしは興奮し出したローゼリーナに手を差し出して恭しく引いていく。副執事のお兄さんに目的地を尋ねれば、彼は走り出して執事を呼びに行ってしまった。あーあ、でもこういう非常事態に上司の判断を仰ぐのは正解だ。
わたしは侍女さんに頼んでとりあえず庭を目指す。
その後、駆け付けた執事に穏やかに場所を尋ねれば、彼は暫し沈黙した後に丁寧に案内を始めてくれた。
目的地はまずは台所。ローゼリーナは不愉快そうに顔を顰めつつも、瞳には好奇心が溢れていた。
「リーナ。これがあなたが放り出した料理の元になる食材です。鶏肉などはこれ程にふくよかにするためには大量の飼料が必要です。合鴨などは猟師が特別に捉えてきますし、野菜や穀物もたった年に数度の収穫に合わせて大事に育てられます。貴女の毎日の食事は、ここで働く料理人たちの一ヶ月以上‥‥‥いいえ、下手したらそれ以上の価値がある物で作られているのです」
「あたくちは‥‥‥侯爵の娘でちゅもの」
「侯爵閣下の娘なだけですよね?」
「え?」
ローゼリーナはぽかんとしている。
「あなたが下げさせるだけなら、あの食材は彼らの昼食になったのに、なんてもったいない。乳製品が付いた敷物は異臭を放ちます。もう取り替えるしかない。たった手のひら大にも満たない汚れが付いただけで、あの部屋の敷物を総取替え‥‥‥なんていう愚かな浪費」
「ぶっ無礼なっっ」
あたくち幼女は顔を真っ赤にさせた。
「頭がいい人とは、少ない情報から想像ができる人のことです。あなたは、その点では大変頭がよろしくない!」
「!!」
顔を真っ赤にさせて、口をパクパクさせる幼女を引き連れて裏庭にある小屋を目指す。
「入っても大丈夫ですか?」
「大丈夫です。話は通してあります」
「ありがとうございます」
執事に確認を取った後に入った小屋は薄暗く、入り口は狭いが中は広く天井も高い。二つの扉を過ぎると左右前後から機を織る一定間隔の音が響いている。並ぶ機織り機。
灰色が覆い、やや饐えた匂いのする場所にローゼリーナは震え始めていた。
「あらあら、執事さん。どうしたの? それにしてもお子様が来るなんて今は昼間なのかい?」
でっぷりとした女性がゆっさゆっさと体を揺らして近づいてくる。
「お仕事中に邪魔して申し訳ありません。この子が広間の敷物を汚したの。罰として機織りをさせようと思って‥‥‥みなさまが使う日用品の織機を貸していただけないかしら?」
「‥‥‥ふーん‥‥‥まあ、いいわ。あたいたちの製品の織機は絶対近付くんじゃないよ」
「わかっております。一回でも間違えれば商品にならないのは重々承知しております」
部屋の中にいる女性たちは案外若い。
知識として知ってはいたが、実際に目にすると驚くものだ。
「あれを使いな」
指差された先には、わたしたちと同じ年頃の少女が黙々と機を織っていた。
杼が経糸の間を通り緯糸を通す。
ぱったんぱったんと小気味いい音が響く。
「タチャーナ、ノアール、二人ともそのお嬢さん方にやり方を教えてやってくれ。そうしたら、彼女たちが終わるまでは外で他のことをしていていい」
「「本当?」」
外に出れることを喜ぶ二人の少女に簡単に織り方を聞く。わたしは知っているけれど、ローゼリーナは初めて聞くようで戸惑っていたが、隣のわたしが順調に織り出したのを見て、敵愾心が生まれたのかあっという間にコツを掴んで織り出した。
ぱったんぱったんぱったんぱったん。
暗い小屋の中。
小さなろうそくの明かりだけ。
陽を入れないのは日焼けさせないため。
織物は繊細な商品だ。
無言で織り続ける。
ぱったんぱったんぱったんぱったん。
半刻程は経っただろうか‥‥‥慣れない作業でローゼリーナは目を擦っていた。
「喉が渇いたわ」
「この部屋は飲み物持ち込み禁止です」
「わたくちに乾き死ねと言うの!?」
「騒ぐんじゃないよっ! 気が散るだろう!?」
背後から怒鳴られて、ローゼリーナは体を強張らせた。
騒いだら鉄拳制裁しようと思っていたが必要なかった。
そんな彼女に小さな声で問い掛ける。
「リーナ、見てください。わたしたちは単純な織物なので杼をただ通すだけで進められますが、彼女たちが織る商品として取り扱う織物は柄が複雑で目を凝らして集中しながら織る必要があります。織物の戦力は十代から二十代の女性達。その年代は子供を産む年代でもあります。どう両立させているか知っていますか? 彼女たちが織っている複雑な織物が完成するまでには年という時間がかかります。それも知っていますか? なぜこんなに部屋の中が暗いのか、知っていますか? わたしは、知っています」
振り返った先には大きな織り機。
壁に向かい合うように置かれた大きな織り機は天井まで木材で組まれて、もうすでに三年以上織り続けている織物が飾られるようにされていた。複雑な宗教文様。豪華絢爛な植物文様。似た色を上手に使い分けて流れを作り出す流水文様。
暗い部屋の中でも、この大作は王宮に収めるか、隣国の王族や高級貴族に買われるだろうことがわかる。
織り手の心が込められた、長い年月をかける織物。
彼女が昼食をぶち撒けた部屋の敷物もこの作品と同質の物だ。客の目に留まる部屋はカーディナルフューム領の豊かさを誇示させるために最上級品を用いている。
「何も知らないあなたが贅沢をすることを、この部屋の人間が望むと思いますか?」
「‥‥‥っぅ」
「後、一刻したらいったん解放されます。それまでは罰を受けなさい」
わたしは静かにそう続けて、織り機に目を戻す。
織った布は明らかにがたついていた。商品になる状態ではない。もともと使用人たちが使うものだからいいのだが、素人が遊びで手を出せば、半年や一年のみんなの努力が泡と消える世界なのだ、織物の世界は。
隣のあたくち幼女は、えぐえぐと泣きながら織物を続けていた。
すると、背後からやさしい歌声が聞こえてくる。
トントンカラカラ
トントンカラカラ
綺麗な織物 出来たらさ
遠くに出ている 恋人が
綺麗な飾りを 胸にして
あたいを迎えに 来てくれる
トントンカラカラ
トントンカラカラ
トントンカラカラ
トントンカラカラ
ローゼリーナは泣きながら、歌いながら、手を止めることなく織り続けていた。
◇
「お嬢様方、屋敷でご領主さまがお呼びです」
「わざわざ呼びに来てくださり、ありがとうございます」
次の人が使いやすいように杼を置くようにローゼリーナに指示をして彼女の手を取る。
嫌がられるかと思ったが、ローゼリーナはわたしの手を振り解くことなくおとなしくしていた。
あー、これでこのお屋敷での奉公は終了だろう。
でも、いい。
わたしは、食べ物を粗末にするのと、働かないのと、無知・無恥を誇る人が嫌いなのだ。いや、憎んでいると言ってもいい。
なので後悔はない。
「リリーベル嬢、貴女まで付き合う必要はなかったと思うのだが‥‥‥だが、本来なら親がしなければならないことをさせてしまってすまないね。小さな淑女に敬愛のくちづけをしてもいいかな?」
カーディナルフューム侯爵はわたしのような小さな子供に跪いて、恭しく手の甲にくちづけた。
「光栄です、閣下」
このおじさん、凄いわ。こんな子供相手にきちんと淑女と同じ態度を示すことができるなんて。
「ローゼリーナ。明日から父と勉強をしよう」
「‥‥‥え?」
「嫌か?」
「っいいえ! いいえ! いいえ!! わたくち勉強しますっ」
顔を真っ赤にさせてローゼリーナは父親に勉強すると繰り返していた。
子供の我儘は構って欲しいからだ。
友情を育む前に、親の愛情を与えるべきだ。
そう執事に進言したのは、わたし。
この家の環境は凄まじい。
七歳の子供の要求に迅速に対応したのだ。
本来ならあり得ない。
だが、この侯爵家はあえてそれをした。
知っていたのだろう。わたしが兄たちに連れられて幼い頃からいろいろな場所に出掛けていることを。騎士団にすら見学に行っている。
社会見学しかしていないが、アンドレルノートン家の末娘は聡明だという噂は又聞きで聞いたことがあった。ということは、侍女選びも最初から結果は決まっていたのだろうか。
彼らが望んでいる物が何かわからないが、屋敷さえ出なければ無理は聞くはずだと判断して調理室と機織り小屋への案内を依頼してみたら、やはり予想通りだった。
「リーナ、侯爵さまにお話ししなければならないことがあるでしょう?」
微笑ましい親子の姿だが、わたしは容赦はしない。反省は、謝罪までがセットです。
「お父しゃま、あたくちが絨毯を汚してしまったの。ごめんなしゃい」
スカートを小さな手が握り締めている。
ぺこりと下げられた頭。
「侯爵閣下、あなたも娘を放置し過ぎです。水をやらなければ、どんな植物だって枯れ果てます。せっかく植えたものを放置するなど、阿呆の所業です」
カーディナルフューム侯爵は目を見開くと困ったように笑い、そして娘に向き合う。
「ローゼリーナ、私こそお前をずっと構ってやらなくてごめんな。今日は私と一緒に寝よう」
「ぇええ」
ローゼリーナはあまりのことに目を白黒させていた。
そんな娘を抱き上げて、父親らしい顔を浮かべてカーディナルフューム侯爵は彼女の背中をあやすようにぽんぽんとやさしく叩いていた。
うん、美中年が美幼女を抱き上げている様は目の保養になりますな。
カーディナルフューム侯爵はタイプど真ん中です。自分が七歳なのが口惜しい。
「父上、よろしいですか?」
少年の声が聞こえたので振り向けば、そこには二人の美少年。
凄いな、侯爵家。
関係者すべて美形なのだろうか。
一人は明らかにカーディナルフューム侯爵家の血筋とわかる。
もう一人は‥‥‥あ、レリーチェ・ヴァンダーレンさまだ。
ううむ。なぜか『さま』を付けてしまうキャラっているよね。
「ああ、アンソニーメイアン、レリーチェ。紹介しよう、ローゼリーナの師匠のリリーベル嬢だ」
「初めまして、わたくしはリリーベルと申します」
淑女の礼をしつつ、頭の中は(なんですとーーっ)が鳴り響いてる。
ちょっ、おっさん、テキトー抜かすな!!(好みだけど容赦しないよ。無茶振りする中年はわたしの中じゃおっさん扱いだっ)
「リリーベル嬢、七歳で表情をここまで崩さないって凄いね。初めまして。私はローゼリーナの兄で、アンソニーメイアン。アンソニーと呼んで欲しいな。よろしく」
「リリーベル嬢、初めまして。レリーチェ・ヴァンダーレンと申します。お見知り置きください」
おほほほ、よろしくしたくないですって言ってもいいですか?
あはは、困ったね。アンソニーメイアンって攻略対象がいた気がするよ?
確か既に爵位を持っていて伯爵だった。
あああ、そういえばアビゲイル兄さまも子爵位を持っていて普段はそちらを名乗っていたはず。
うふふふふ。
師匠なんてなにをほざくんですか、侯爵閣下。
あああああ、実感。乙女ゲーム転生するなら、ゲームののめり込んでなくちゃダメだ。
後、ナチュラルに働かない人がいても心許せるおおらかさが必要だと思った。
貴族社会って怖い。
そうだよね、確か貴族って働かないのが美しいんだよね? あんまり知らないけど。
◇
その後、わたしはローゼリーナの取り巻き令嬢の一人を続け、気が付いたら彼女がお馬鹿をやらかすとすっ飛んで行って鉄拳制裁を加える習慣が身についていた。もはや、早寝早起きと同じレベルだ。
『オート・ジャスティスハンマー』
などという阿呆な二つ名も付いてしまっている。
‥‥‥なんじゃ、それ。
そして、態度から過去の記憶というか情報を持っている特殊人間だとバレて、いつの間にやらアンソニーメイアンさまの婚約者に祀り上げられていた。
「あの、わたくしではなく、もっとご身分に合った方を伴侶になされた方が‥‥‥」
「先代も先々代も、ちょっと奥方が高位過ぎたから、周辺との均衡がおかしくなっているんだ。このあたりで下位の家柄を入れないとあらぬ疑いをかけられてしまう」
確かにバランスを取るのは大事だ。
やってみればわかるが、八方美人は想像以上に難しい。
「年が明ければ貴女も十三歳。もう結婚してもおかしくない年頃だね。本当の夫婦になるにはまだ待たなければならないのは承知しているが、私は蕾が硬いところからやわらかくなるのをゆっくりと眺めるのが好きなんだ」
などとさらりと好色発言をされて、ビックリタマゲタ。
幼女シューーーミーーーーがーーーいーーまーーすーーー。
「まあ、リリーベルがお義姉さまになるのなら、わたくし大歓迎だわ」
にっこりと微笑む、ローゼリーナは二次の頃に描いたような高慢な表情はしていない。
十歳年上のレリーチェさまに、淡い初恋を抱いている乙女になっていた。
そう、アンソニーメイアンさまとレリーチェさまは御年二十二歳。いやいや、もっとお年が上の素敵なご令嬢たちを見ましょうよ。
そう訴えたけれど、聞いてはもらえなかった。
大事に大事にされて、丁寧に扱われて、普通のご令嬢ならこの世の天国かと思われるような状態で結婚式を迎えた。
そして、しないと断言されたけど、迎えた初夜。
旦那さまになったアンソニーメイアンさまが寝台の上で微笑んだ。
「おはようからおやすみまでじゃないけれど、貴女が少女から乙女に羽化し、淑女に育つのを間近で見ることができるのは、この上ない僥倖だ」
と、耳元に囁いてきた。
‥‥‥。
「‥‥‥は?」
「わたくしって言うのが『あたくち』って聞こえて、出会った頃からずっと可愛いと思っていたんだよ。貴女は幼女の頃から可愛い。ゲームじゃ攻略対象になっていなくて、どれだけ悔しかったか」
「へ?」
「俺には、なにも隠し事しなくていいからね」
「ふぇ?」
「大事な武器は隠すべきだよ、貴女は素直過ぎる。でも、そんなに素直なんだから、きっとこれからの反応も素直なんだろうな」
「へ、」
ヘンタイだーーー。
叫ぶ前にすでに態勢を整えられ、嬉しそうにわたしを抱きかかえた旦那さまは、それはそれは嬉しそうにわたしを蕩けさせた。
確かに最後まではしなかったが!!
しなかったけれど!!!
やっぱり、あたくち幼女は可愛くない!!!
おしまい