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「オキ……ニス……?」
オキニス。とても美しい黒猫。
所作は優雅で美しく、食事をする姿も毛づくろいをしている姿もどこか気品に満ち溢れている。
今思えば、人間の言う言葉も理解していたように思える。
時折、オキニスとアイリス王女殿下を重ねたりもした。
「……なぜっ……なぜ、私は気づかなかったのだろう……。」
ずっと傍にいたのに。
オキニスは私が、ユルーリット辺境伯に来てからずっと傍にいてくれたのに。
どうして、オキニスがアイリス王女殿下だと気づかなかったのか。
あれほど、傍にいたのに。
長い間傍にいて、ずっとアイリス王女殿下のことをお守りしていたのに。アイリス王女殿下の影武者としてずっとアイリス王女殿下の所作を真似しながら育てられてきたというのに。
私は、傍にいたアイリス王女殿下のことにこれっぽっちも気づいていなかった。
「……もしかしてっ。」
バルトさんも私の言葉で思い至ったのだろう。
「……ええ。おそらく、オキニスはアイリス王女殿下ですわ。」
私は確信をもってそうバルトさんに伝えた。
「……そう、だったのか。こんなにも近くに……。私としたことが……。」
バルトさんは私の言葉を聞くと顔を両手で多い、身体を後ろに反らせた。そうして、
「ふははははっ……。まさか、猫の姿になっていただなんて……。」
そう言って仄暗く笑った。
どこか嬉しそうでどこか狂気を持ったバルトさんの笑い声に私は背筋に冷たいものを感じた。
「……バルト、さん?」
声を絞り出して彼の名を呼ぶ。
「君が……君がアイリス王女殿下だとずっと思っていたのになぁ。でも、君のことをずっと見ていてよかったよ。アイリス王女がどこにいるかわかったんだからねぇ。ふはははははっ。私は実に運がいい。本当に私は運がいいっ!ふはははははははっ。」
狂ったように笑うバルトさんの姿はどこか悍ましく、私は一歩後ろに下がった。
「ああ~。君には、もう用はないよ。でも、君を始末する前に、アイリス王女を始末しないとねぇ。また姿を変えて逃げられてしまうと困るしねぇ。」
「……バルト……さん。なに、を……。」
バルトさんの眼光が鋭く光る。
それだけで私の身体はその場に縫い付けられたように身動き一つできなくなった。
それを見て嬉しそうに口端を上げたバルトさんの姿は溶けるようにその場から消えた。
後にはさわさわと風に揺れる木々の葉が擦れる音色だけが私の耳に響いた。
人の気配はもうしない。
それなのに、私の身体は指先一つ動かすことすらできなかった。
「にゃあ。」
このままでは、バルトさんにアイリス王女殿下が害されてしまう。
早く、アイリス王女殿下の元に行かなければと焦る私の耳にオキニスの愛らしい鳴き声が聞こえてきた。




