26
ユルーリット辺境伯様は知っていた。
本当は私が誰であるのかを。
そのうえでユルーリット辺境伯様は私に事実を知らせないでいた。
「……知っていたのに、なぜ……?」
なぜ、私が誰かを知っていたのにユルーリット辺境伯様は教えてくれなかったのか。
私は、ユルーリット辺境伯様に問いを投げかける。
ユルーリット辺境伯様は穏やかな笑みを浮かべた。
「記憶を失っているのに、無理やり記憶を思い出させようとして何になると言うのだい?君は、真実を知ってしまえば記憶を思い出せないことを思い悩んだことだろう。君の身体はボロボロだったんだよ。無理はしてほしくなかった。こんな時くらいすべてを忘れてゆっくり静養して欲しかったのだよ。」
「ですが……。私は、お役目を……果たせなかった……。」
「大丈夫ですよ。ミスティア。あなたの代わりに私たちがアイリス王女殿下の行方を密かに探しております。まだ見つかってはおりませんが……。」
目の端の皺をくしゃりと歪ませて、ユルーリット辺境伯様はそうおっしゃった。
「……ありがとうございます。ユルーリット辺境伯様はアイリス王女殿下を保護してくださるのですか?」
「ああ。そうだね。正直なところ、リユーナイン王国のシャガ王子殿下が王位を継承されてはこちらとしても困ってしまうんだよ。シャガ王子殿下は傲慢で我が儘だからねぇ。うちの国にも火の粉がいつ飛んでくるかわかったものではない。対して何度かお会いして話をしたアイリス王女殿下は民のことを第一に考える聡明なお方だった。このお方がリユーナイン王国の時期王となられるのであれば、我が国も安心していられると思ったものだよ。」
「……そうでしたか。」
シャガ王子殿下の悪評は隣国まで届いていたようだ。
まあ、とは言ってもまだ私も記憶を思い出したわけではないので、シャガ王子殿下がどのような人物かわかっていないのだけれども。
隣国まで届くような悪評がある時点であまり好ましい人物ではなさそうだ。
「アイリス王女殿下の行方はまだわからない。すまない。」
「いいえ。いいえ。アイリス王女殿下をお探しくださりありがとうございます。」
「いや、これは我が国にもかかわる問題だからな。ああ、そうだ。そう言えば、バルトが君の物だと思われるドレスを保管してある。後でバルトに見せてもらうといい。」
「……ドレス、ですか?」
「ああ。ドレスだ。おそらく君の物ではないかな。バルトが森で拾ったと言っていた。」
「は、はあ。」
バルトさんが、森で拾ったドレス?
それが私の物?
ユルーリット辺境伯様の言っていることが理解しがたかった。
私は瀕死の重傷を負っていた身だ。その時着ていたドレスというわけでもなさそうだ。
瀕死の重傷を負うような緊急事態にドレスなどを持ち歩いているだろうか。
にわかに信じがたい。
まあ、森で目が覚めるまでの記憶がないから状況が良く理解できていないけれど。おそらく私のものではない。そんな直感がした。
「バルト。小屋に案内してやってくれ。」
「はい。」
ユルーリット辺境伯様が声を部屋の外にかけると、バルトさんが返事をした。
どうやらバルトさんは部屋の外で待機していたらしい。
「ミスティア。さあ、バルトに案内してもらうといい。」
「……ありがとうございます。確認してきますわ。」
私はそう言って部屋を出て、部屋の外で待っていたバルトさんに声をかけた。
「よろしくお願いします。バルトさん。」
「ああ。ミスティアちゃん。こっちだよ。」
まだ多少気まずい空気が流れるものの、バルトさんは素直に私を案内してくれた。
バルトさんが案内してくれたのは、馬小屋から見えたあの小屋だった。
「ここに、洗濯してしまってある。けれど、あちらこちらボロボロになっていたし、すべての汚れを落とすことはできなかったんだ。」
「ああっ……。これは……このドレスはっ……。」
バルトさんが見せてくれたドレス。
それは実に覚えがあるドレスだった。
そのドレスを見た瞬間に失っていた記憶がとめどなく溢れだした。




