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「アイリス王女殿下……。」
そう言って私を引き留めたのは、商人風の男性だった。
どこかくたびれた表情をしている男性はまるで私に助けを求めるような視線を向けている。私はそれに身に覚えがなくて身構える。
けれど、男性が発した【リユーナイン王国】という国の名が私の中でひっかかった。
「……人違いだと思いますわ。私は王女などと呼ばれるような身分ではありません。」
無下にするわけにはいかず、丁寧に人違いであることを伝える。
「いいえ。あなた様はアイリス王女殿下でございます。アイリス王女殿下に生き写しでございます。」
「……あなたはアイリス王女殿下に拝謁したことがあるのですか?」
「はい。私は、リユーナイン王国のアイリス王女殿下に直接お会いし商品を購入していただいたことがございます。」
「……そう。そんなに私はアイリス王女殿下に似ているのね。」
「はい。本当にアイリス王女殿下ご本人ではないのですか?」
目の前にいる商人はアイリス王女殿下と直接お会いしたことがあるらしい。
商人と言えば人を見る目が肥えていることが多い。
わざわざ嘘を言って王家を敵に回すことも考えにくい。
「……私には過去の記憶がありません。」
「なんとっ……。」
商人の目は嘘をついているように見えなかった。
だから、私は記憶がないことを伝えた。
どうせ、私のことをこの街の人に訊ねればすぐにわかってしまうだろう。私が記憶を失っていることなど。
「……私はただのミスティアでございます。アイリス王女殿下などとそんな恐れ多いこと……。」
あの方はとても聡明で誰にでもお優しく勇気を持った方だった。
私も何度もあのお方には助けられてきたのだ。
そんなお方と私が間違われるだなんて……そんな恐れ多いこと……。
「……そうでしたか。ですが、あなた様はアイリス王女殿下に本当によく似ておられる。」
「……そうですか。身に余る光栄ですわ。」
違うものは違うのだ。
私は記憶を失っているが、これだけは違うと本能が告げている。
「……リユーナイン王国は今、疲弊しております。国王陛下が病に倒れ、実権をシャガ王子殿下が握ってからは税が重くなるばかりで……。民たちは圧政に苦しんでいるのです……。」
「そうは言われても……私にはなんの力もありません……。」
「あなた様が記憶を失っておられるのは承知いたしました。ですが、心のどこかに留め置いていただきたいのです。そして、いつか……記憶が戻ったら必ず……どうか、リユーナイン王国のことをお助け願えます。リユーナイン王国を助けることができるのは、国王陛下と亡き王妃殿下のただ一人のお子であられるアイリス王女殿下だけなのです。」
「……仮に記憶を取り戻したとしても、私はアイリス王女殿下ではないと思います。ですが、国を憂うあなたのお気持ちは理解いたしました。」
「ありがとうございます。ありがとうございます。」
商人はそう涙ながらに行って去って行った。
私は去って行く商人の姿をジッと見つめていた。
できればリユーナイン王国の皆を助けたい。
けれど、私には何の力もない。
私が誰かもわからないのだから。
私にあるのは、先ほどわかった剣術の腕だけだ。民を導いていくような力はないだろう。
私は、どうすれば良いのだろうか。
「にゃあっ!」
「いたっ!?」
深い思考の渦に捕らわれた私は、オキニスの渾身のパンチで現実に引き戻された。
「お、オキニスっ!?」
「にゃーーーっ!!にゃあ!!にゃあ!!」
オキニスはどうやら怒っているようだ。
尻尾でぺしぺしと私の足を叩いている。全然痛くないけど。
「ご、ごめんっ。お肉だよね。早くお肉食べたいよね。ごめんね。オキニス。」
きっと早くお肉が食べたくてオキニスは怒っているのだろうと、私はオキニスを腕に抱えて家路を急いだ。
アルファポリスにて先行公開してます。




