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「そういえば遠駆けに連れて行ってくれるのではなかったでしたか?」
歩きながらバルトさんと街の中を散策する。
田舎なだけあって、緑が多く生い茂っている。
それに、一軒一軒の距離がずいぶん離れている。
街とは言っているが、村と言っても差し支えないのではないかと思えるほどだ。
「覚えててくれたの?嬉しいなぁ。」
「いつ連れて行ってくださいますの?」
「そうだねぇ。ミスティちゃんが、買い物が終わって引っ越しも終わって落ち着いたら、かなぁ。」
「楽しみにしてますね。」
バルトさんは考えながら答えた。
「すぐに行こう!」と言わないのはバルトさんの優しさだと思う。
足が治ったとは言え、療養中はほとんど屋敷の中で過ごしていたのだ。まだ遠駆けするだけの体力がないだろうと判断してくれたのだろう。
でも、私としては今すぐにでもシルヴィアに乗って遠駆けしたいんだけどね。
「……あの、馬小屋から見えた小屋はなんだったんですか?足の怪我が治ったら教えてくれるって……。」
もう一つバルトさんと約束をしていたことがあった。
あの小屋の謎だ。
途中まで教えてくれたのに、そのあと秘密にされてしまうとどうしても気になってしまう。
約束では、怪我が治ったらという話だったので尋ねてみる。
「そうだっけ?私は怪我が治ったらと言ったけど?」
「ですから。私の怪我が治ったら、ですよね?」
「ちょっと違うかな。あの小屋の中にはね、ある人が眠っているんだ。とても傷ついていてまだ目を覚まさない。その人の怪我が治ったらミスティちゃんに紹介するよ。」
「え?」
そう言えば、確かにあの時バルトさんは「怪我が治ったら」とは言ったが、「私の怪我が治ったら」とは言わなかった。
わざとじゃないか……とじろりとバルトさんを見つめる。
「あははっ。そんなに怖い顔をしないで。私は嘘はついていないよ。」
「そうですね。嘘はついておりませんね。言葉足らずだっただけで。」
軽薄そうに笑うバルトさんに、思わず冷たく言い放つ。
本当にバルトさんは優しい笑顔の裏で何を考えているのか私にはまったくわからない。
「あー。そうだ、オキニスのバッドでも買う?ミスティアちゃんの家には猫用のベッドは用意されていなかったと思うから、買ったらオキニスがきっと喜ぶよ?」
バルトさんは話題を反らすように、急にオキニスの話題を振ってきた。
私はそれに首を傾げる。
「オキニスの……ですか?でも、オキニスはユルーリット辺境伯家で飼われている猫ですよね?なぜ、私の家に……?」
「あれ?オキニスも連れて行くんじゃなかったの?てっきりオキニスも連れて行くんだと思ってた。君たちとっても仲が良かったし。」
「それは……オキニスが一緒にいてくれたらとっても嬉しいですが、ユルーリット辺境伯家の猫なのに、私が連れて行くわけには……。」
オキニスの姿を思い浮かべて一瞬笑顔になるが、すぐに視線を落とした。
オキニスはとても美しくてとても可愛くてとてもお利口で、いつも私のことを気にかけていてくれる。それに撫でると嬉しそうにゴロゴロと喉を鳴らすのもとても可愛い。
一緒にいれたらどんなにいいことだろうかと思う。
「あれ……?ミスティアちゃん知らなかったっけ?オキニスはね、ミスティアちゃんが屋敷に来る3日ほど前に急にやってきた猫なんだよ?怪我はしていないようだったけれど、とっても衰弱していてね。まあ、衰弱と言ってもまともにご飯を食べていなかったことと疲れていたことが原因だったみたいだから、ユルーリット辺境伯家でたっぷりご飯を食べて、たっぷり眠ったら元気になったけどね。言わなかったっけ?」
「そんなこと、聞いていませんが。」
「ははっ。そっか、言ったつもりでいたよ。オキニスはミスティアちゃんのことが大好きみたいだったし、ミスティアちゃんとオキニスがユルーリット辺境伯家に来たのも同じくらいの時期だったし、もしかしたらオキニスはミスティアちゃんの飼い猫じゃないかって皆で噂してたんだよね。」
「……それも、全然知らなかったわ。」
バルトさんから初めて聞かされるオキニスの身の上にびっくりする。
まさか、オキニスが元々ユルーリット辺境伯家で飼われていたわけではないだなんて思いもしなかったのだ。
オキニスは私にとっても懐いているのなら私が飼っていた猫なのだろうか。
でも、私にはその記憶が一切ない。
それにもしそうだとしたならば、私はいったい何日間森の中で気を失っていたというの……?
怪我をした状態で森の中で無防備に気を失っていたら、早速獰猛な動物たちのご飯になっていただろうに。
私はそのことに思い至ってゾッとした。
「だからね、ミスティアちゃんが望むならオキニスと一緒に暮らすこともできるよ。ミスティアちゃんが望まないなら、今まで通りユルーリット辺境伯家でオキニスは暮らすことになるけどね。」
バルトさんの言葉に私は嬉しくなって思わず笑みが零れだす。
まさか、オキニスと一緒に暮らせるとは思ってもみなかったのだ。
オキニスと離れ離れになることは、それはとてもとても寂しいことだと思っていた。けれど、オキニスにはユルーリット辺境伯家に行けばいつでも会えるのだからと自分に言い聞かせていた。
それが、オキニスと一緒に暮らせることになるだなんて。
「ありがとうございますっ!ありがとうございます、バルトさん。私、とっても嬉しいわ。」
「ははっ。そんなに喜んでくれるとはね。オキニスは幸せ者だね。ああ、幸せついでに私もミスティアちゃんと一緒に住んでいいかな?こう見えても、私は護身術に長けていてね。ミスティアちゃんくらいなら守り通せるよ?」
バルトさんは軽薄そうな笑みでそう言った。
「バルトさんは不要です。」
バルトさんの言葉は冗談だとはっきりとわかったので、私もきっぱりとお断りしてそっぽを向いたのだった。
だから、困ったように笑うバルトさんに私は気が付かなかった。




