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「アイリス王女!ご覚悟をっ!!」
月の光に照らされて兵士が頭上に掲げた剣先が光る。
剣を振り上げているのは、アイリス王女の腹違いの弟であるシャガ付きの兵士である。
「お逃げくださいっ!アイリス王女っ!」
アイリス王女の護衛騎士が剣を抜いて兵士と対峙した。
兵士の鋭い一撃をアイリス王女の護衛騎士が受け止める。
アイリス王女は青い瞳に涙を浮かべて護衛兵士を見つめる。
「嫌よっ!あなたを置いてはいけないわっ!!あなたも一緒に逃げるのよ!」
「……私は、後から追いつきます。必ずアイリス王女の元に後から追いつきます。ですから、アイリス王女はどうかお逃げください。」
護衛騎士は襲い掛かって来た兵士の剣を捌きながらアイリス王女に逃げるように伝える。
「ユーフェリアっ!嫌よ。私はっ!!!」
アイリス王女は首を横に振って護衛騎士の提案を跳ねのけた。
首を振るたびに太陽の神に愛されたかのようなキラキラと光を放つ金髪が揺れる。
「大丈夫です。アイリス王女。私が約束を破ったことはありましたか?」
窘めるように護衛騎士は告げ、アイリス王女を逃がそうとする。
「いいえ。ないわ。ユーフェリアはいつも私との約束を守ってくれたわ。」
「そう言うことです。アイリス王女。私は必ず後から貴女様の元へと駆けつけます。ですから、今はお逃げください。」
「……きっと。きっとよ?」
アイリス王女は瞳に迷いを浮かべながらも、ユーフェリアの緑色の瞳を覗き込み、ユーフェリアの言葉に嘘がないことを確かめる。
「はい。必ず。」
護衛騎士であるユーフェリアはそうアイリス王女に誓った。
アイリス王女は後ろ髪を引かれる思いでユーフェリアを置いて必死に逃げ出した。
ユーフェリアは強い。アイリス王女の護衛騎士の中で一番強いのがユーフェリアなのだ。
きっと、ユーフェリアなら大丈夫だとアイリス王女は信じて逃げ出した。
正当な王位継承権一位の資格を持つアイリス王女が腹違いの弟の手によって死ぬことは許されないのだ。
逃げていくアイリス王女の後ろ姿をみて、ユーフェリアはにこりと満足気に笑った。
「アイリス王女には指一本触れさせぬっ!」
ユーフェリアは剣を構え、単身で3人の兵士に向かって立ち向かって行った。
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ざらっとした生暖かい何かが頬を撫でた。
目をゆっくりと開ければ、私は見知らぬ森の中に横たわっていた。
「……ここは、どこ?」
上半身だけ起き上がって辺りを見回すが見覚えのない景色に首を傾げる。
景色に見覚えもなければ、なぜここにいるのかもわからない。
それに身体のあちらこちらが痛みを発している。
私はなぜ、怪我をしているのだろうか。
……わからない。
「にゃあ。」
甲高く甘えたような声が聞こえてきて、私は視線を声が聞こえた方に向ける。
するとそこには真っ黒な猫がいた。
艶やかな黒い毛は木漏れ日を反射してキラキラと輝いているように見える。
好奇心旺盛な金色の瞳が私を見つめていた。
「私の頬を舐めて起こしてくれたのあなたかしら?」
「にゃあ。」
問いかければ、黒猫はしっぽを緩やかに揺らした。
まるで、「そうだよ」と言っているように見えた。
「ふふふ。可愛いわね、あなた。……ねぇ、あなたのお名前を教えてくださるかしら?私の名前は……私は……だれ?」
そう黒猫に問いかけて私は「はっ……」と胸を押さえる。
自分の名前が思い出せないのだ。
何の冗談だろうかと深呼吸をして乱れる呼吸を落ち着かせる。
けれど、何度深呼吸をしても自分の名前を思い出せなかった。
「にゃあ。」
自分の名前が思い出せなくて焦る私に、黒猫は私を落ち着かせるように、その柔らかな身体を私の腕に擦りつけてきた。
「……ありがとう。」
黒猫の人間よりも少しだけ高い体温が私を安心させる。
すべすべとした手触りの良い毛なみもとても気持ちが良くて、焦る気持ちが次第に凪いでいく。
私が落ち着いたことを察知したのか、黒猫は立ち上がって優雅に歩き出した。
その後ろ姿を見ていると、私の視線を感じたのか黒猫は振り返り「にゃあ。」と鳴いた。
まるで私を誘っているかのようだ。
しばらくじっと見つめていると黒猫はさらに歩き出すが、しばらくすると振り向いて「にゃあ」と鳴くことを繰り返している。
その姿はまるで私についてくるようにと言っているようにも見えた。
私は痛む身体で立ち上がると、近くに落ちていた杖にするに丁度よい木の枝を取ると、ゆっくりと黒猫の後を追う。
黒猫は私が後を追いかけていることを察知してか、しっぽをピンっと立たせて今度は振り返ることなく優雅に歩いていく。
そのまま後をついていくと小さな村が見えてきた。
黒猫は私をこの村に案内したかったのだろうか。
黒猫が歩いていく後を木の枝で身体を支えながらついて行くと、村の中に入りさらにその奥の一番大きなお屋敷の前でピタリと黒猫が止まった。
「にゃあっ!!にゃあっ!!にゃあ~~~~!!!」
そして、今までとは異なる大きな声で黒猫が何度か鳴いた。
すると屋敷のドアが開かれる。
「あら。オキニスいらっしゃい。こんな時間に珍しいわね。」
そう言って現れたのは白髪の混じった女性だった。
この屋敷の使用人だろうか。
おっとりとした雰囲気の女性はとても優しそうに見えた。
「あら。あらあらあらあら、まあまあまあ。大変だわっ。今、旦那様をお呼びいたしますからね。」
女性は私の姿を見ると途端に慌てだして屋敷の中に引っ込んで行った。
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