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おれにはもっとふさわしい相手がいるんだとのたまうクズ婚約者から解き放たれ甘い香りに包まれた新しい日々で商品開発に取り組む〜魔女と呼ばれても気にならないけどいつのまにか好ましく思われていた〜

作者: リーシャ

「……ユージン、本当にそれでいいの?」


目の前で、ユージンは眉間に深いシワを寄せていた。


彼の足元には、数匹のミツバチが羽音を立てて飛び回っている。


「何が、だ?」


彼は苛立ちを隠さずに答えた。


蜂には気付いてない。


「あなたとの婚約破棄を公にすることよ。貴族社会は狭い。あなたの醜聞はあっという間に広まるわ。あなたの評判は地に落ちるでしょうね。もちろん、慰謝料はたっぷりといただくけれど」


涼しい顔で言い放った。


けれども、心の中でほくそ笑む。


「ふん、好きにしろ!どうせお前のような地味な女、誰が相手にするものか!おれにはもっとふさわしい相手がいるんだ!」


ユージンはそう言い放つと、目の前で腕を組み、ふんぞり返った。


態度は、彼の醜い本性をありありと示している。


「そう……なら、そのふさわしい相手とやらも、一緒に苦しむといいわ」


右手をそっと、彼の顔の近くに掲げた。


指先から、数匹のミツバチが彼の顔めがけて一斉に飛び立つ。


「な、なんだこれは!?」


ユージンは突然のことに驚き、顔を覆った。


ミツバチたちは彼の頬や鼻、目元にまとわりつき、羽音を立てていた。


刺すことはない。


ただ、不快にまとわりつくように指示を出しているから。


「うわあああ!……っ、やめろ!やめろフィ、フィリマリア!なんだこれは!?」


ユージンは顔をぶんぶん振ってミツバチを追い払おうとするが、ミツバチたちはしつこくまとわりつく。


「ねぇ、ユージン。私がどれだけあなたを嫌っていたか、知ってる?」


一歩、彼に近づいた。


ミツバチたちは、声に反応するようにさらにユージンの顔に群がる。


思わず笑ってしまいそうになる。


我慢しないとね。


「う、うるさい!離れろ!刺すぞ!刺すぞお前ら!」


ユージンの声が上ずる。


彼は本気でミツバチに怯えているようだ。


「あら、ごめんなさいね。でも、刺さないわ。ただ、あなたの醜い顔に、ちょっとお邪魔しているだけよ」


意地悪く微笑んだ。


「お前っ……!魔女め!」


ユージンは私を睨みつけた。


「ひうううう」


彼の顔はミツバチに覆われ、まるで怒っているのか泣いているのか、判別できないほどだ。


「魔女?ふふ。そうかもね。でも、魔女に、あなたは今まで散々苦しめられてきたのよ。これからもよ」


ユージンの後ろに立っていたカミュロに視線を向けた。


カミュロは、少しだけ目を丸くしていたが、すぐにいつもの冷静な表情に戻る。


「ユージン、あなたの新しい恋人たちは、あなたの顔がミツバチまみれになっているのを見て、どう思うかしらね?」


ニヤリと笑った。


ユージンの顔から、サッと血の気が引いていくのが分かった。


「それはっ……やめろ……!やめてくれ、フィリマリア……お願、おね、お願いしますっ!」


彼は初めて、私に怯えた表情を見せた。


「遅いわよ、ユージン。これも、あなたが蒔いた種だもの。せいぜい、たっぷり味わうといいわ」


言い放つとパチン、と指を鳴らした。


ミツバチたちは一斉にユージンの顔から離れ、私の周りを旋回し始める。


ユージンは、その場にへたり込んだ。


「あう、うううう」


彼の顔には、ミツバチが這い回った跡が赤く残っている。


「さあ、カミュロ。行くわよ。醜い男の顔なんて、もう見たくないからねぇ」


カミュロにそう声をかけ、ユージンに背を向けた。


カミュロは一瞬、ユージンに視線を送ったが、すぐに追いついく。


「あの……フィリマリア様、よろしいのですか?あのままでは、彼の評判は地に落ちます。まぁ、その」


カミュロが控えめに尋ねた。


「ええ、もちろんよ。それが私の望みだもの。彼は、私が今まで味わった苦しみを、もっと深く味わうべきだわ。それがいいってね」


振り返り、カミュロに微笑んだ。


目に、一切の迷いはなかった。


「ふふ、ねえ、カミュロ。これから、もっと面白いことがたくさん起こるわよ。乞うご期待」


カミュロの肩にそっと手を置いた。


カミュロは、少しだけ驚いたような顔をしたが、すぐにフッと笑みを浮かべる。



ユージンとの婚約破棄が公になった後も、ハチたちは大忙し。


彼らはユージンの周りを飛び回り、彼が新しい女性と会うたびに、そっと忍び寄って彼の顔にまとわりついた。


刺すわけではないが、その不快感は相当なものだったようで。


ユージンは、新しい関係を築こうとしては失敗し、社交界での居場所を失っていった。


「くそっ、まただ!何なんだ、虫どもは!」


ある日、偶然、街角でユージンの怒鳴り声を聞いた。


彼は、婚約していた頃よりもずっと痩せ細り、目には常に怯えの色が宿っている。


彼の隣にいたのは、見るからに裕福そうな商家の娘。


彼女は顔を引きつらせ、ユージンから一歩引いていた。


ふふ、いい気味。


「ユージン様、一体どういうことなのでしょう?こんな虫にまとわりつかれるなんて、わたくしはもう……嫌です!」


娘が悲鳴に近い声を上げた。


「違う!違うんだ!これは、おれを陥れようとする誰かの罠なんだ!フィリマリアの仕業に違いない!」


ユージンは焦ったように叫ん娘はもう彼の言葉に耳を傾ける様子はなかった。


もう、誰のせいという段階ではない。


彼女はユージンを置き去りにして、足早に去っていった。


虫嫌いならば、結果だけで十分な効果がある。


物陰からその光景を眺め、口元に笑みを浮かべた。


ユージンの憔悴ぶりは、想像以上だった。


彼にまとわりつくハチの噂は、瞬く間に貴族社会に広まった。


あっという間に。


人々は彼を「ハチの呪いにかかった男」と呼び、遠巻きにするようになった。


嫌だろうな、とわかる。


ハチを操っているのが私だという噂も、まことしやかに囁かれ始めた。


それは予想済みだ。


「フィリマリア様、本当にハチを操っていらっしゃるのですか?」


友人の侯爵令嬢が、興味津々といった様子で尋ねてきた。


「あら、どうでしょうね?でも、もしそうなら、あなたを困らせるようなことは決してしないわ。ご安心くださいね」


意味深な笑みを浮かべて答えた。


否定も肯定もしない。


その対応がさらに、噂を広める一番の方法だと知っていたから。


「まぁ、フィリマリア様ったら!でも、もし本当にユージン様にまとわりついているのがフィリマリア様のハチなら、わたくし、ちょっとだけ胸がすく思いですわ」


友人は、こっそりとそう打ち明けた。


くすくすと周りは笑う。


他の貴族令嬢たちも、同じように能力に興味を示し、密かにユージンの自業自得だと思っているようだった。


当然ねと、同意する。


ある晩、カミュロと二人で庭園を散歩していた。


満月が煌々と輝き、涼しい夜風が心地よい。


「ユージン様は、もうすっかり憔悴しきっているようですね」


カミュロが静かに言った。


彼の声には、僅かながら同情のような響きが混じっている。


「当然よ。あれでやっと、私がどれだけ苦しんだか、少しは分かったでしょうね」


冷淡に答えた。


死んでないだけ、よいことだ。


「ままでは、彼は貴族社会で生きていくことすら困難になるでしょう」


カミュロは顔を覗き込んだ。


何を今更。


「それが、私の望みよ。彼は、その醜い心に見合った報いを受けるべきだわ」


右手をそっと伸ばし、夜空に舞う一匹の魔ホタルを指先に乗せた。


魔ホタルは瞬き、再び闇の中へと消えていく。


「カミュロ。そろそろ、あの男に最後の仕上げをしてあげる時が来たようよ」


声は、夜の闇に吸い込まれていくように静か。


その中には、確かな決意が宿っていた。


必ず、報いを受けさせる。




翌日、ユージン家が主催する慈善舞踏会へと足を運んだ。


舞踏会は毎年恒例で、貴族たちが顔を合わせ、自家の威信を示す場だった。


今年はユージン家の評判が落ちていることもあり、例年より参加者は少ないと聞いていたが。


それでも、貴族の面子にかけて開催を、中止するわけにはいかなかったのだろう。


精神的にはガタガタだろうな。


会場に入ると、すぐにユージンを見つけた。


ニヤリと笑う。


彼は部屋の隅で、誰にも話しかけられず、ただ一人でグラスを傾けていた。


彼の顔には深い疲労が刻まれ、以前の自信に満ちた姿は見る影もない。


カミュロを伴い、ユージンへと近づいた。


カミュロは、相変わらず冷静な面持ちで隣を歩いている。


「ユージン。こんなところで何をしているの?」


びくりと肩を震わせた。


おやおや。


ゆっくりと顔を上げた彼の目は、こちらを捉えると、驚きと怯えの色を浮かべた。


「フィ、フィリマリア……なぜ君がここに……」


彼は言葉を詰まらせた。


順調にトラウマになっている。


「あら、ご招待いただいたもの。それに、あなたにお別れの挨拶をしようと思ってね」


私は優雅に微笑んだ。


その時、合図を受けてハチたちが一斉に舞踏会場に飛び込んできた。


彼らは会場の中央で、まるでスポットライトを浴びるように、円を描いて飛び始めた。


「な、なんだ!?虫だ!」


「ひええっ!」


会場の貴族たちがざわめき、悲鳴があがる。


ハチたちは誰も刺すことなく、ただ舞い踊るように飛んでいく。


彼らはまるで意志があるかのように、ユージンの周りに集まり始めた。


「ひぃいいい」


顔を真っ青にして後ずさり、壁にぶつかった。


ハチたちは彼の周りを飛び回り、やがて彼の頭上に大きな塊を作り始めた。


「ひっ、いや、いやだぁあああ」


まるで、彼の頭を王冠のように飾るかのように。


「あ、あああ……!うぼあああっ」


ユージンは言葉にならない悲鳴を上げた。


彼がどれほどハチを恐れているか、場の誰もが理解しただろう。


鳴き声も豊富だなと、笑う。


「ユージン。あなたは、自分の醜い心で私を傷つけた。その報いだわ。もう、あなたの居場所はどこにもない。私との婚約を破棄したことを、一生後悔しなさい」


静かな会場に響き渡った。


ハチの羽音だけが、耳障りに鳴り響いている。


「あなたがこれまで散々弄んできた女性たちも、今、あなたに恨みの目を向けているわ。あなたの人生は、今日で終わりよ」


言い合えて、パチンと指を鳴らした。


ハチたちは、一瞬でユージンの頭上から離れ、会場の窓から飛び去っていった。


まるで、最初からいなかったかのように。


男はその場に崩れ落ちた。


彼の目には、絶望の色が深く刻まれている。


周りの貴族たちは、恐る恐る見つめる者、同情の目でユージンを見る者、様々だった。


彼の自業自得だと思っているのは、皆同じだった。


カミュロに振り返り、そっと腕を組んだ。


「さあ、カミュロ。こんな醜い場所はもう見たくないわ。帰りましょう」


無言で頷いた。


共に去るために。


その場を後にした。


ユージンが崩れ落ちたままの舞踏会場を背に。



ユージンへの、最後の仕上げが終わってから、生活は大きく変わった。


呪いにかかったような状態が広まったことでハチの魔女という、不名誉な呼び名を囁かれるようになったが。


同時にそのハチを操る能力が、貴族社会でひそかに注目され始めているとか。


「フィリマリア様、もしやそのハチを使って、何か新しいことを始めてはいかがですか?」


提案してくれたのは、意外なことにカミュロだ。


「新しいこと、ですか?」


「はい。例えば、極上の蜂蜜を作るとか。直接ハチを管理すれば、きっとこれまでにない品質の蜂蜜ができるはずです」


彼の言葉に、ピンとくるものがある。


そうか、能力は復讐のためだけじゃない。


もっと生産的なことに使えるのだ。


すぐに蜂蜜事業の立ち上げに取り掛かる。


まず、広大な敷地を持つ実家の一角に、たくさんの巣箱を用意する。


ハチたちに、国のどこよりも美しい花々が咲き乱れる場所を探し、最高の蜜を集めてくるよう指示を出す。


ハチたちは驚くべき働きを見せた。


彼らが集めてきた蜜は、まさに黄金色に輝き、香り高く。


一口食べれば誰もがその芳醇な風味に魅了される。



最初の蜂蜜は、ごく少量を瓶詰めし、いくつかの貴族の茶会に贈った。


すると、そのあまりの美味しさに、瞬く間に評判が広まったので納得。


「これは、あのフィリマリア様が作られた蜂蜜だとか!」


「信じられないわ、こんなに美味しい蜂蜜は初めてよ!」


「まるで口の中で花畑が広がるようだわ!」


噂は噂を呼び、蜂蜜は「魔女の蜜」と呼ばれるようになった。


最初は少し不気味な響きが、美味しさが圧倒的だったため、むしろミステリアスで魅力的なブランドイメージとして受け入れられていく。


注文は殺到し、生産が追いつかないほど。


さらに巣箱を増やし、ハチたちに休みなく働いてもらう。


もちろん、彼らが健康でいられるよう、環境には最大限の配慮をする。


その莫大な売り上げは、財産を劇的に増やし、もらった慰謝料なんて、比較にならないほどの額が。


その頃、ユージンはといえば、相変わらずハチの呪いから解放されることはなく、社交界から完全に姿を消した。


彼の家は名声と財産を失い、見る影もない。


彼は、蜂蜜事業の成功を、どこか陰から聞いているのか。


もしそうなら、さぞかし悔しい思いをしていることだろう。


今、独立した事業家として、ハチを操る、特別な能力を持つ女性として。


貴族社会で、確固たる地位を築いている。


誰にも見下されることはなく、皆が一目置くようになった。


ふふふ、と思わず笑みが浮かぶ。


カミュロは、相変わらず護衛を務めてくれている。


彼は事業の成功を、誰よりも喜んでくれた。


「フィリマリア様、今日は新しい花の蜜が手に入ったようです」


カミュロが差し出す蜜蝋のサンプルは、今まで見たことのない、深い琥珀色に輝いていた。


ハチたちは、本当に最高の仕事をしてくれている。


甘い香りに包まれた新しい人生を、心ゆくまで楽しむ。


蜂蜜事業は、順調に拡大していく。


貴族社会の誰もが「魔女の蜜」を求め、その人気は留まるところを知らない。


ある時、カミュロが新しい提案を。


「フィリマリア様、極上の蜂蜜を使って、何か新しい菓子を作ってみてはいかがですか?」


カミュロはそう言うと、一枚の絵を持ってきた。


以前、気分転換に描いた蜂蜜ロールケーキの絵を趣味で描いたものを、彼はずっと大切に持っていてくれたらしい。


「ロールケーキ、ですか?」


「はい。蜂蜜の風味を最大限に活かせるような、特別なお菓子を。きっと、貴族の方々にも喜ばれるはずです」


カミュロの言葉に、胸が高鳴る。


蜂蜜の生産で手いっぱいの状態。


代わりに、カミュロが優秀な菓子職人を何人も見つけてきてくれた。


彼らは皆、蜂蜜の質の高さに驚き、その蜂蜜を使った菓子作りに意欲を燃やしていく。


試作を重ねること数週間。


ついに、理想の蜂蜜ロールケーキが完成。


しっとりとした生地は、自慢の蜂蜜をふんだんに使用。


ふわりと広がる甘い香りが特徴だ。


中のクリームも、蜂蜜と生クリームを絶妙なバランスで混ぜ合わせ、口の中でとろけるような滑らかさを実現した。


完成したロールケーキを、まずいくつかの貴族の茶会に贈る。


すると、蜂蜜と同様に、その美味しさは瞬く間に貴族たちの間で話題となった。


「まぁ!ロールケーキ、なんて上品な甘さなの!」


「口に入れた途端、蜂蜜の香りがふわっと広がるわ!」


「これこそ、まさに魔女の蜜を使った魔法のケーキね!」


特に女性たちからの人気は絶大。


蜂蜜ロールケーキは、すぐに品薄状態。


予約で数ヶ月先まで埋まるほどの大ヒット商品となった。


甘い香りと確かな未来を感じ取ったのだ。


事業は、蜂蜜だけでは収まらない。


蜂蜜ロールケーキの成功によって、さらに大きなものへと成長。


今や、国で最も成功した事業家の一人として、貴族社会で確固たる地位を築く。


これでもう、誰も「地味な男爵家の娘」とは呼ばないだろう。


ユージンのことは、もはや記憶の片隅にもありはしない。


彼が今どうしているのか、知ろうとも思わない。


周りには、信頼できるカミュロがいて、事業を支えてくれる優秀な職人たちがいて。


信頼の塊であるハチたちがいる。


目を開けて、目の前のやることに集中しなければ。


今は、甘い蜂蜜の香りが漂う工房で、新しい蜂蜜ロールケーキの試作に取り掛かっていた。


ハチたちが集めてきた、珍しい花々の蜜を使った、新しいフレーバーだ。


「フィリマリア様、こちらも素晴らしい出来栄えです!」


カミュロが嬉しそうに声をかけてくれて、笑みが浮かぶ。


彼の笑顔は、何よりも甘い報酬。


蜂蜜事業が順調に拡大する中、新たな可能性を模索した。


ある日のこと、蜂蜜の瓶詰め作業中に、ふと、甘く、心地よい香りを、もっと身近なものにできないだろうか、とひらめく。


すぐに、蜂蜜の香りを抽出する方法について調べ始めた。


いくつかの実験を重ねた結果、蜂蜜の持つ豊かな香りを損なうことなく、アロマオイルとして閉じ込めることに成功。


完成した蜂蜜のアロマオイルは、従来のフローラル系やシトラス系のアロマとは一線を画していた。


花々が持つ自然な甘さと、蜂蜜そのものの深みが混じり合った、唯一無二の香り。


癒す、甘い香りの出来上がり。


まず、親しい貴族の友人たちに、試作品の蜂蜜アロマオイルを贈った。


すると、彼女たちから次々と喜びの声が届く。


「まぁ、フィリマリア様!香りは、まるで花畑にいるかのようだわ!」


「一日の疲れが、甘い香りで癒されるようです」


「眠りが深くなった気がします」


たちまち、蜂蜜アロマオイルは貴族の間で大流行。


特に、日々のストレスに悩む女性たちからの需要が高く。


瞬く間に癒しの魔女の香り、として評判に。


アロマオイルを拡散させるための、専用のアロマディフューザーを開発。


セットで販売することで、さらなる人気を集めることに成功した。


「うまくいったわ」


蜂蜜アロマ事業が軌道に乗る頃、偶然にもユージンの近況を知る機会があった。


彼の家は完全に没落し、かつての裕福な生活は想像もできないほど。


何よりも彼を苦しめていたのは、嗅覚の異常。


ハチが彼にまとわりついた影響なのか、彼は甘い香りを極端に嫌悪するようになっていたのだ。


作り出す極上の蜂蜜も、その甘い香りを凝縮したアロマも。


彼にとっては、ただの苦痛でしかなかったのだ。


甘く豊かな香りに包まれて成功を収めている一方で、彼は甘い香りを忌み嫌い、全てを失っていく。


これほど残酷な復讐があるのか。


「フィリマリア様、先ほど、とんでもない報告が舞い込んできましたよ」


カミュロがいつになく深刻な顔で、執務室に入ってきた。


「どうしたの、カミュロ?珍しいわね、そんな顔をして」


優雅にティーカップを傾けながら、彼に視線を向けた。


「ユージン様が……いえ、元ユージン様ですね。彼が、なんと……」


カミュロは言葉を選んでいるようだった。


「早く言って。私を驚かせたい?」


少し意地悪く微笑んだ。


彼がどんなに落ちぶれようと、もう関係のないことだ。


「彼が、あの、ゴミ捨て場で倒れていた、とか」


カミュロの声は、ほとんど聞き取れないほど小さかった。


手が、ぴくりと震えた。


「ゴミ捨て場……?」


「はい。飢えと寒さで、完全に意識を失っていたそうです。通りすがりの者が発見し、身分証から彼だと判明したとか」


彼の言葉に、脳裏にあの日の舞踏会が蘇った。


ハチに囲まれ、絶望に打ちひしがれたユージンの姿。


「それで、どうなったの?」


冷静を装い、問いかけた。


「貴族の身分は剥奪され、彼の家も完全に没落しましたので。引き取り手もなく、今は慈善施設で世話になっている、と」


カミュロは続けた。


「そう」


それだけしか、言葉が出なかった。


望んだもの。


彼の人生を完全に破壊する、最後の仕上げ。


それが、今、本当に現実のものとなったのだ。


「フィリマリア様、ご自身の成果を、喜んでいらっしゃるのですよね?」


カミュロが、顔をじっと見つめた。


その眼差しは、心の奥底を見透かすようだ。


「ええ、もちろん。当然の報いだから」


強がって微笑んだ。


その笑みはどこか空虚だった。


「そう、ですか」


カミュロは、それ以上何も言わなかった。


ただ、静かに隣に立っていた。


窓の外では、ハチたちがせっせと蜜を集めているのが見える。


働き者達だ。


甘い香りが部屋中に満ちている。


香りは、成功の証であり、彼の破滅の象徴でもあるから。


再びティーカップを手に取った。


蜂蜜をたっぷり入れた、甘い紅茶。


その甘さが、心にじわりと染み渡るようだった。


「さて、カミュロ。次の蜂蜜アロマの新作について、打ち合わせをしましょうか」


顔を上げ、カミュロに微笑みかけた。


「フィリマリア様、蜜蝋、何かに使えないでしょうか?」


カミュロが、大きな蜜蝋の塊を持って工房にやってきた。


蜂蜜を絞った後に残る蜜蝋は、いつも大量に廃棄されていたのだ。


「蜜蝋、ですか……?」


蜜蝋を手に取り、その温かみのある感触と、微かに残る蜂蜜の甘い香りを確かめた。


「ええ。まま捨てるのはもったいないと思いまして。フィリマリア様の蜂蜜事業の副産物として、何か新しいものが作れないかと考えたのですが」


カミュロは、真剣な眼差しで見つめた。


「……そうね。たしかに、ただ捨てるだけでは惜しいわ」


蜜蝋をじっと見つめた。


自然の恵みを、何か別の形で活かせないだろうか?


「カミュロ。これを使って、ロウソクを作ってみましょう」


カミュロは少し驚いたようだった。


「ロウソク、ですか?」


「ええ。それも、ただのロウソクではないわ。私の蜂蜜の香りを閉じ込めた、特別なロウソクよ」


すぐに、ロウソク作りの専門家を呼び寄せた。


彼らは蜜蝋の質の高さに驚き、その加工のしやすさに舌を巻く。


試行錯誤の末、ハチが作った蜂蜜の香りを最大限に活かした、美しいロウソクが完成した。




完成した蜂蜜ロウソクは、火を灯すと、じんわりと甘く、どこか懐かしい香りを放った。


その香りは、ハチたちが集めてきた花々の香りを凝縮したもので、心地よい癒しを与えてくれる。


「フィリマリア様、これは素晴らしい……!」


カミュロが、ロウソクの灯りを眺めながら、感動したように呟いた。


「でしょう?ロウソクは、ただ部屋を照らすだけではないわ。人々の心を温め、癒す力がある」


蜂蜜ロウソクを「黄金の灯火おうごんのともしび」と名付け、販売を開始した。


すると、蜂蜜や蜂蜜ロールケーキと同様に、ロウソクも瞬く間に人気商品となる。


特に、寝室でリラックスしたいと願う貴婦人たちからの支持が高かった。


「あのフィリマリア様のロウソクを使うと、ぐっすり眠れるのよ!」


「部屋中が、まるで花畑のような甘い香りに包まれるわ!」


そんな声が、あちこちから聞こえてくるようになった。


蜂蜜アロマに加えて、「黄金の灯火」という新たな事業の柱を手に入れた。


工房は、常に甘い香りに包まれている。


ユージンはといえば、もう耳に彼の話が入ってくることはなくなった。


完全に貴族社会から追放されたのだろう。


彼は完全に過去の存在となり、意識から消え去っていた。


カミュロは、今日も隣で、ロウソクの包装作業を手伝ってくれている。


彼の存在は、人生にとって、ロウソクの灯りのように温かく、確かなものだった。


かけがえない存在。


「カミュロ。そろそろ、新しい香りのロウソクも作ってみましょうか。例えば、夜に咲く花々の蜜を使ったものとか」


カミュロは優しい笑顔で頷いた。


「はい、フィリマリア様。きっと、素晴らしいものになるでしょう」


人生は、甘い香りと温かい光に満ちている。


「フィリマリア様、どうぞ」


カミュロが、丁寧に泡立てられたカプチーノを私の前に置いた。


カップの表面には、見慣れた姿、デフォルメされたハチの絵が描かれている。


「あら、可愛いわ」


思わず微笑んだ。


カミュロは、時々こうしてハチをモチーフにした、遊び心のあるものを作ってくれる。


「フィリマリア様のハチたちに、いつも感謝していますから」


カミュロは少し照れくさそうに答えた。


「ふふ、ありがとう、カミュロ。でも、感謝するのは私の方。あなたがいなければ、今の私はなかった」


カプチーノを一口飲んだ。蜂蜜の香りがほんのりと鼻をくすぐる。


甘くて、温かい。


それは、今の人生を象徴するようだった。


「さあ、飲みましょう」


カミュロがくれたカプチーノのハチの絵を見ていると、心は温かいものに満たされた。


ユージンへの復讐は、もう遠い過去の出来事。


今は、自身の力で築き上げた、甘く豊かな世界がそこにある。


「カミュロ、そろそろ新しい蜂蜜の品種を試してみましょう」


カップを置いて、窓の外に広がる庭園に目を向ける。


そこには、ハチたちがせっせと蜜を集めるために、新しい花畑が広がっていた。


美しい風景。


「はい、フィリマリア様。どの花がよろしいでしょうか?」


カミュロはその言葉に、すぐに次の仕事へと意識を切り替える。


彼の、常に先を見据える姿勢は、事業を拡大していく上で、本当に大きな支えとなっていた。


「そうね……あの、遠くの森に咲くと言われる、幻の青い花の蜜を試してみたい。きっと、誰も味わったことのない、特別な蜂蜜ができるはず」


カミュロの目がわずかに輝く。


彼は同じくらい、新しい挑戦に心を躍らせているようだった。


数ヶ月後。


工房では、青い花から採れた蜜を使った新しい蜂蜜が完成していた。


それは、深いサファイアのような色合いを持ち。


一口食べれば、まるで夜の森をさまよっているかのような、神秘的で奥深い香りが広がった。


月夜の雫と名付けられた蜂蜜は、発表されるやいなや、貴族社会で瞬く間に話題となる。


希少性と独特の風味から、これまでのどの蜂蜜よりも高値で取引され、事業はさらなる飛躍を遂げた。


ハチたちは、今や私の最高のパートナーだ。


彼らが集めてくる蜜は、富をもたらし、人々に喜びと癒しを与えている。


ハチを操る能力は、魔女の異名ではなく奇跡の能力として称賛されるようになっていた。


今、国で最も影響力のある女性の一人となっている。


社交界では常に注目の的で、近づこうとする貴族たちも少なくない。


隣にはいつもカミュロがいる。


彼は変わらず、最も信頼できる右腕であり、。


ある日の夕暮れ時、並んで庭園を歩いていた。


沈む夕日が、影を長く伸ばす。


「フィリマリア様、本当に素晴らしい眺めですね」


カミュロが、静かに呟いた。


「ええ。全てが、あの頃とは違う。全てが、良い方向に変わった」


振り返り、カミュロの顔を見上げた。


彼の瞳には、夕日の色が映り込み、温かく輝く。


「一つだけ、変わらないものもありますよ」


カミュロがそう言うと、手をそっと握った。


彼の指先から伝わる温もりに、心臓が小さく跳ねる。


「……何かしら?」


ごまかすように、そっと視線を逸らした。


「フィリマリア様の、前向きな心です」


カミュロは、手を握ったまま優しい声で言う。


頬が、夕焼け色に染まるのを感じた。



「フィリマリア様!新たな注文がまた!」


カミュロが息を切らして工房に駆け込んできた。


手には、分厚い注文書の束が握られている。


「あら、そんなに慌てなくても。嬉しい悲鳴ね、カミュロ」


微笑みながら、ハチたちが持ち帰った蜜の入った新しい容器を確認していた。


最近は、国中の誰もが魔女の蜜を求めている。


蜂蜜、蜂蜜ロールケーキ、蜂蜜アロマ。


黄金の灯火と名付けた蜜蝋ロウソク。


己の手掛ける全てが、飛ぶように売れていた。


「ですが、嬉しい悲鳴ばかりも言っていられません。生産が全く追いついておりません!特に月夜の雫は、品薄状態が続いていて、王宮からも催促が来ています」


カミュロは眉を下げて困ったようになる。


彼の言う通り、ここ数ヶ月は、ほとんど寝る間も惜しんで仕事に没頭していた。


ハチたちも働き詰めで、少し心配になるほどだ。


嬉しい悩みではあるけれど。


「そうよね……ここまで需要が高まるとは、私も予想していなかった」


腕を組み、考え込んだ。


事業は、もはや個人の手で回せる規模をはるかに超えていた。


「ままでは、せっかくの蜂蜜ブームを逃してしまいます。フィリマリア様、人員を増やすか、あるいはどこか新しい生産拠点を設けるべきではないでしょうか?」


カミュロの提案は的を射ていた。


大切な家族同然。


彼らを管理できるのは一人。


安易に規模を広げるのは躊躇われた。


「難しい。ハチを管理できる者は、私以外にいない。品質を落とすわけにはいかないの」


「では。いっそのこと、直営の店舗を出してみてはいかがでしょうか?」


カミュロの言葉に、ハッと顔を上げた。


「店舗?」


「はい。注文は予約制にし、限られたお客様にのみ直接販売する形にすれば、生産量を無理に増やす必要もなくなります。希少性を高め、ブランド価値を上げることもできます」


カミュロの提案は、頭の中に新たなビジョンを描き出した。


確かに、供給量を絞ることで、製品はさらに特別なものになるだろう。


「そうね、カミュロ。それは良い考えだわ。直営の店舗……想像するだけでワクワクする」


笑みを浮かべた。


カミュロも、笑顔につられるように、柔らかく笑った。


「もちろんです。フィリマリア様が思い描く最高の店舗を、私が必ず実現させます」


彼の言葉は、いつだって背中を押してくれる。


「私もやり遂げたいわ」


すぐに店舗の計画に取り掛かった。


デザイン、内装、販売戦略。


全てにおいて、最高のものを追求した。


ハチたちも、きっと新しい挑戦に賛同してくれるだろう。


「ここはどうしますか?」


「内装は黒色と黄色は絶対入れたいの」


「わかりました」


蜂蜜ブームは、まだ始まったばかり。


「ハチ達を休ませる時間ね。私達も休みましょう」


「はい。お茶の用意をしますね」


ブームをただの流行りで終わらせるつもりはなかった。


甘い香りに満ちたブームを、永続的な文化として、国に根付かせることが今の目標。


そっと、フォークに自社のケーキを乗せてゆっくりと味わった。

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