追憶
お! そこのアンタ! ちょっとばかし付き合ってくれや。っとと。どこ行くんだ。アンタ、そこのアンタだってば。そんなキョロキョロしなくたってわかるだろ? なんせここにいるのは俺とお前さんぐらいだ。
俺が怪しいって? ハハッ! 心配しなさんな。取って食いやしねぇよ。ただ興味深い話をあんたにしてやるだけさ。なんでって? そうだなぁ。俺が、単に聞いてほしいだけ、かもしんねぇなぁ。
なんか、付き合わすのも申し訳なくなってきちまったなぁ。
やっぱいいや、なんでもねぇ。そんじゃあな。急に声かけて悪かったよ、って。どうしたんだい? なに、聞いてくれるって? ハハッ。さてはアンタお人よしだな? そんじゃあ、ちょっとばかし聞いてもらおうか。
ァン? ニタニタなんてしてねぇよ。まぁ、うまくいったな、なんて思っちゃいるが。ハハッ。冗談だよ。さ、そこ腰掛けな。立って聞くにはすこぅし長いからよ。
うし、茶も入れてやろう。
なんでそんな準備が整ってるんだって? そりゃあ、これで飯食ってるからな。ああ、安心しな。アンタから金なんて取りやしないさ。初回無料、お試し版、ってやつだな。
っと、そんなことはいいんだ。
ゴクッ
さぁて、俺の喉も潤ったことだし、始めようか。
そうだなぁ、この話に名前をつけるなら、
『偽りの一本線』
これはな、一人の女についての話なんだが、その女が死ぬところから始まるんだ。
その日ある線で大幅な遅延が発生しててな、聞けば人身事故のせいだってんだ。
そう、その女は線路に飛び込んで自殺したんだ。電車に轢かれるなんてさぞかし痛かっただろうなぁ。
にしてもなんとも傍迷惑な話だ。なんせ女が飛び込んだのは通勤・通学の時間帯。何万という単位の人に迷惑がかかったんだ。その線を利用してるやつらからしたらたまったもんじゃないだろうな。ひょっとすると、公的に遅刻できるって喜ぶヤツもいたかもしれないが。
んで、その女は飛び込んだわけだが、なんで自殺なんぞしたと思う?
あぁ、年齢を言っておこうか。その女は確かその時三十三か四くらいだったはずだ。
毎日がうまくいってなかった? そうだなぁ、実は、そうだったのかもしれないな。
大切な人が死んだ? そりゃ辛いなぁ。
仕事がキツかった? 確かになぁ。その女は会社勤めで毎日あくせく働いてたみたいだし。
特に理由はなかった? ハハッ。その可能性もあるな。
答えはなんだって? そりゃ知りたいよな。
でもな、答えとなる自殺理由に、誰も思い当たる節がなかったんだ。職場の人間も友人も家族も、全員、なんで自ら命を絶ったのかわからなかったんだよ。職場環境が良いことで有名な会社だったし、友人との関係も良好のまま継続されていたようだった。一緒に住んではいなかったが家族との仲だって悪かったわけじゃない。女の父親は病気で入院していて母親も腰を悪くしていたがまだ元気に生きていた。女には弟がいたが、その弟ともそれなりに連絡を取り合っていてたまに食事へ行っていた。
死ぬほどの出来事なんて、なかったはずなんだ。
じゃあ特に理由はなかったんじゃないかって? 確かにその可能性もある。だが、毎日笑って過ごしてるような底抜けに明るい、アホみたいなヤツだぞ? それが、朝の超人の多い時間帯に線路に飛び込むなんて、するか? それも、特に理由もなしに。
女は確かに変わったヤツだったが、死後の世界に興味があるとかそっちに振り切っちゃあいない。自殺するやつを悩んで悩んでそいつと同じぐらい心を痛めた上で、それでも止めようとするようなヤツだ。人がよすぎんだよなぁ。
こんで、女が死ぬ理由はなかったってのをわかってもらえたか? まぁ、これがわかったところで、って感じなんだが。
もう一度、聞こうか。
なんで、女は死んだんだと思う?
女が死んだときの詳しい話をしよう。
朝の混み合うホーム。女は列の先頭で電車が来るのを待っていた。そんで、電車がやっと来て、ホームに滑り込んできた、その瞬間、女はふら~っと、何かに吸い込まれるような感じで線路に飛び込んでいった。手を伸ばしてもつかめないぐらいの一瞬の出来事で、誰も何もできなかった。ただただ電車のクラクションだけが大きく鳴っていた。
その現場を見ていたヤツは、なにかに憑かれているようだった、なんて言っていたな。
あぁあと、飛んで火にいる夏の虫、なんてそいつは言っていたっけな。女は危機感とか、そういう警笛を鳴らす機能がもう働いてなかったんだ。
ここで答え合わせをしよう。
女が死んだ理由はな、もう、生きていたくなかったからさ。
女はペットを飼っていた。可愛い小型の犬だよ。けど女が死んだとなれば面倒を見る人間がいない。すぐに動くことのできる弟が引き取りに向かうことになったってわけだ。
実家からも弟の家からも少し距離のあるその女の家には、辺りが暗くなった頃に到着した。
警察の事情聴取があって話がいっていたのか、弟は管理人からすんなりと鍵を受け取ることができた。
そんでもう暗い時間だから中へ入ると電気を点けたわけだが、弟は一瞬わけが分からなかった。
それから、弟の中での姉の像がガラガラと音を立てて崩れていく感覚に見舞われた。
その日、その女が自殺した日から七年ほど前、女の旦那が亡くなった。飲酒運転の車に撥ねられたそうだ。
当然、明るかった女はその見る影もないぐらい呆然と日々を過ごしていたわけだが、それから七年。周りの助けもあり立ち直ったはずだった。いつもの明るいアホみたいな笑顔も戻り、みんな安心していたというのに。
弟は姉の旦那が健在だった頃となに一つ変わらないリビングで立ち尽くした。
いや、違う点はあった。女は綺麗好きであったのに、物が出しっぱなしでところどころ散らかっていた。
だが本当にそれぐらいで、女は遺品整理もなにもしていなかった。仏壇だってなくて、あまつさえ、遺骨がまだ家に置いてあったんだ。そりゃあ弟も唖然とするさ。旦那が天涯孤独だった分、葬式も墓も女が中心になって準備する必要があり周りはそれを心配していた。だけど女は「なにか手伝おうか?」と言う周りに「大丈夫! もうだいたいの目処は立ってるし準備できてるから」なんて、言ってのけていたからな。
何も変わらない部屋に遺骨、そしてその遺骨の周りに散らばった旦那や女、ペットの写真。
そこで弟はハッとした。目的を思い出したんだ。
そう、ペット。視線を巡らせて、弟はソファで犬の姿を見つけた。少し急ぎ足でそこへ行きつつ名前を呼ぶ。けど反応をしないもんだから弟はしゃがみこんで犬に触れた。
その犬は、冷たかった。
そう、死んでいたんだ。
出ているままの物を少し見て回ると動物病院を受診した跡があった。だからたぶん犬は病死だったんだろうな。
弟は静かに女の家を出て実家へ向かった。
ふと思い出した、『晴れてる日の線路はすごく輝いて見える』といういつかの女の言葉を反芻しつつ。
これで話の全容は話し終わったよ。
アンタ、ついてこれてるか?
あぁ、そうだよ。女は立ち直れてなんかなかったんだ。それで生に繋ぎとめていたペットまで死んじまって、生きてく理由がなくなっちまったんだろうな。
あの世に焦がれて、でもきっと、生きようとはしてたんじゃねぇかな。だって、死んだのは朝の通勤途中。いつもの毎日を送ろうとしてはいたんだ。
まぁでも、弟や両親からしたら複雑っていうか、普通に悲しいよな。なんたって生きる理由になれなかったんだから。
さぁアンタ、話は終わりだ。夜も更けてるし気をつけて帰んな。
いろんなところを転々としながらカタリやってっからよ、また会ったときはご贔屓に、ってな。
あぁ安心しな。俺はノンフィクションを売りにしてはいるが、普段はこんな暗いだけの話はしてないよ。
ほんとに、なんでこんな話しちまったんだか。
アンタが、あいつと同じお人よしだからかね。
ハハッ。知り合いなのかって?
俺の姉さ。
フィクションです