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帰宅した俺は、両親と一年ちょっと振りに、同じ家で寝た。
疲れていたのか、スマホの目覚ましが鳴っても起きられず、親に呼ばれてやっと起きた。
当然、昨日の出来事は親には内緒にしてあって、だから、Xのことも警察へ行ってスマホの通話記録や録音を提出したことも、教えていない。
そんなこと、あとで良いと思っていたし、疲れていたから仕方が無いとも思っていた。
独り暮らしだから家に余分な食べ物なんて、置いていない。それで、朝食を買うために外へと出て、買い物の途中だから、喫煙所でタバコを吹かしながら昨日の通話を思い出す。
――そうだ、ニュース。
あいつが捕まったなら、警察が連絡をしてくるはずだが……
とりあえず気になったから、スマホを付け、ネットニュースを確認した。
いつも通りに当たり障りの無い、日常的なニュースの中に、例の殺人事件も載っている。
その記事を開き、どうでも良い憶測と状況が書かれた内容を、斜め読みしていたとき、関連記事に載っていた表題が目に入った。
「連続殺人……?」
さっさと関連記事を覗く。
すると、彼女と同じバイト先に勤務していたであろう二十代の男性が死亡したとあった。
犯人のことは何も書かれていない……
「あいつ、まさか……!」
突然、スマホが鳴った。
びっくりして少し仰け反ったけれど、電話番号から警察だと分かった。
だから、
「はい?」
と、通話に出た。
『朝から申し訳ありません、先日、あなたの家へお伺いしたTと申します』
「はぁ、どうも……」
『実は、あなたに折り入ってお話がございまして…… マンションの近くまで来ておりますので、もし宜しければ、今からお会い頂けませんか?』
「朝食を買ってからでも構いませんか? 今、コンビニにいるんです」
『ええ、分かりました。お待ちしております』
通話が切れたと同時に、タバコを灰皿へ押しつける。
そのままコンビニへ行き、パンなんかを買って、マンションの方へと戻って行く。
道中、俺は考えた。
警察が、このタイミングで来たのは偶然ではないだろう。きっと、例の連続殺人に関係があるに違いない。
どうせ、犯人はXだ。
奴がどこへ行ったのか訊きたいのかもしれない。が、俺は足取りなんて知らないし、分からない。
でも、とにかく逮捕には全力で協力したい。
あのイカれ野郎を捕まえて、自分のしたことを後悔させないと気が済まない。
――何が愛する人間だ。
殺すような行動に出るくらいなら、その前に、俺に事実と本心を伝えれば良かったんだ。
それをしなかった時点で、あいつは自分が言うゴミそのものだと言える。
殺すことに理由はいらないって言葉がある分、殺してもいい理由も、同じく存在しない。
殺人は、人として生きていくならダメなことだ。
しかし……
正直な話、俺からすれば本当に迷惑な二人だった。
もう、彼女に対する同情の気持ちは欠片も無い。Xに至っては敵意しか湧いてこない。
今回の件が終わったら、色々と全部、綺麗さっぱりに消してしまいたい。
「――Xの逮捕には協力してやる。でも、お前の葬式にも、墓参りにも行かない。今日でお別れだ」
俺はスマホを見やってそう呟くと、彼女の連絡先を削除した。
それから、Xの連絡先も削除した。
別に証拠になるものでも無いし、そうなると、連絡先なんて必要がない。
あとは刑事の話を聞くだけだ。
そう思って前を見やると、例の刑事が、乗用車の前に立っていた。
「ご協力に感謝します」
刑事がそう言って、会釈する。
彼の脇にはクリアファイルが抱えられているから、俺は自然とそちらに目が行った。
何が入っているのか分かる前に、
「大変、申しあげにくいのですが……」
と、刑事が切り出してきた。
「いくつか質問に答えて頂いたあと、ある写真をご覧になって貰いたいのです。構いませんか?」
「写真?」
「実はですね…… 容疑者のXですが、亡くなられました」
「えっ……?」
「正確には……」声量を落としつつ言ってくる。「無理心中です」
「無理しん…… えっ?」
「車の中へどうぞ。近所の方に聞かれるわけにもいきませんから」
俺は促されるまま、刑事が乗ってきた車の助手席へと乗った。
風や人々の喧噪が途切れ、しんと静まりかえる。
車内には、普通の乗用車には存在しない、様々な装置が付いていた。
「昨日、あなたが提供した通話記録」と、無線の音量を絞った刑事が言った。「私も拝聴させて頂きました。それで…… ようやく色々と合点がいきました」
「合点……?」
「ええ。まさかあなたも、Sさんとお付き合いしていたとは……」
――どういう意味だ?
「実はですね…… 昨日の昼時、あなたと会う前にXさんから事情を伺っておりまして……」
昨日の昼時……
つまり、殺人現場に居合わせたって話をしていたとき、あいつはもう警察と話した後だったのか……
「そのとき」と、隣の刑事。「彼はあなたのことを『親友』だと言っていました。交際相手のSさん共々、あなたとは親しくしている間柄で、時には、彼女と一緒に遊びに出掛けるくらいだと。だからこそ、我々はあなたの家へと向かったのです」
「それってつまり……」
絞り出すような声で言った。
「あいつの不倫相手って…… Xだったんですか?」
「正確にはXも、と言うべきですかね」
「Xも……?」
「S.Vさん…… どうやら彼女は、昔から結構な数の男性と付き合っていたようです。かなり巧妙と言うか、狡猾と言うか…… 年代も職業もバラバラで、住む地域もある程度、離してある男性達と交際していたようです」
「そんな馬鹿な……!」
俺は拳を握って言った。
「それなら大学で、噂が耳に入ってるはずだ!」
「失礼ですが、SさんとXさんの職場はご存じで?」
「Xはいくつも掛け持ちしてました。業種は色々ありますけど…… 彼女は飲食店だけでしたよ……!」
「そのお店に入ったことは?」
「何度かありました」
「Sさんはおられましたか?」
「それは……」――一度も見たことが無い。
「バックヤードにいるとか、そう言うことを言われていたのでは?」
「…………」
「あの店が入っているビルの裏手に、もう一つビルがありますよね? 実際には、そこのビルに入っているキャバクラ店で、ホステスをしていたようです」
――なんだって?
「Xさんは運転手で、彼女はホステスという関係でした。しかも、彼女はそれほど仕事を入れているわけでも無かったようなので、Xさんが漏らさない限り、隠し通すのも容易かったと推測できます」
「なら…… Xはどうしてあんな電話を? どうして彼女を殺したんです?」
「正直、彼もSさんも、常軌を逸していたと言わざるを得ない人物ですが…… 私の勝手な想像で良ければ、お話します」
俺はジッと刑事を見やった。だから、話を続けてくれた。
「Xさんは同性愛者だったと思われます。ただ、女性に対しては異常な敵愾心と嫉妬心を持っていた…… それで、あなたがSさんとお付き合いすることを見越して、Sさんと不倫関係になるよう行動していた……
きっと、驚くほど簡単に関係を築けたのでしょう。それで、Xさんは殺害を決意した……」
「随分と一方的ですね…… 気持ちが悪い……」
「ええ、全くです」
「――無理心中、でしたよね?」
「ええ、そうです」
「これって、無理心中になるんですか?」
「死にたくない相手を道連れにしたのです。無理心中となります。ただ、私も今までに経験したことが無いタイプですがね……」
俺はフゥッと、長めの溜息をついていた。
そのあいだ、刑事が例のクリアファイルから、何かの画像を印刷した紙を取り出していた。
「本当に心苦しいのですが、遺体がXさんであるかどうか、ご確認頂けませんか? 彼のご両親…… ご存じでしょうが、義理のご両親は頑なに拒否しておりまして……
しかも、彼は身分を明らかにするものを全て処分してしまっていて、そちら方面での照合や確認も、困難な状況です。保険証などの身分証も、期限切れにしてある徹底ぶりでして……」
俺は、フロントガラスの向こうに映る景色を一瞥する。
なんてことの無い、普通の日常を過ごす人々が往来しているのが見える。
「大学の連中に、確認は?」
「もちろん、お願いをしています。
ただ、証明書などの照合だけでは、遺体がXさん本人かどうか、その確証を得るには至りませんので……」
「学生時代のアルバムとか、そう言うので確認は出来ませんか?」
「出来ないんですよ。写真を撮らせていなかったようで……」
――そう言えば、そうだった。
「携帯で写真を撮ったりはしていませんか?」
「男同士で撮ることって、ほとんど無いですよね?」
「まぁ、そうですね……」
「――分かりました。ええ、いいですよ。俺が確認します」
そう答えてから、刑事の方を見やった。
彼は、恐れ入りますが、こちらですと見せてくる。
そこには、真っ青になったあいつの顔が映っていた。どうやら、霊安室で撮影されたものらしい。
「ええ…… 間違いなく、あいつです」
「本当にありがとうございます、助かりました」
「ところで、死因は?」
「検死解剖の結果次第ですが…… 現場の状況と遺体の状態から見て、薬物による自殺かと」
その後、いくつかの話のあと、俺は解放された。
部屋へ戻ると、両親が心配そうに、どんなことを訊かれたのか尋ねてくる。
どうやら、事前に俺と外で話すことを伝えられていたらしい。
もちろん本当のことは話さず、適当に彼女――いや、Sのことを訊かれたんだと答えておいた。