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N駅に着いた頃には、昼下がりになっていた。
大きな駅だから、人の往来も多い。
彼とは、いつも通りの待ち合わせ場所で合流し、そのまま適当にぶらついて、適当な喫茶店でコーヒーを飲んだ。
職場や大学から面倒な連絡が来たら嫌だから、いつも通りに着信音もバイブも切って、話の続きをしながら夜まで過ごす。
店を出た頃には、もう暗くなっていた。
せっかくだから晩飯でもどうだと誘ってみたが、晩から用事があるからと言われた。それで、彼と駅までの道のりを歩いた。
「用があるなら言ってくれよ。酒でも飲みながら話聞こうと思ってたのに」
「悪い、なんか急に仕事が入ってさ。文句があるなら、無断欠勤した奴に言ってくれ」
「――そう言えば」
と言ってから、向かい側から歩いてくる通行人を避けつつ、話を続けた。
「お前、大学の単位は大丈夫か? バイト、今はいくつ掛け持ちしてるんだよ?」
「大丈夫、大丈夫。今は二つしかやってないから」
「出席足りなくなるかもみたいな話、聞いたぞ?」
「去年みたいに、捲くってなんとかするさ」
「就活も控えてるのに…… よく、そんな悠長なこと言ってられるなぁ」
「おっ? 珍しく心配してくれてるのか?」
「なんだよ、珍しいって。俺はいつだって心優しく心配してやってるぞ?」
「本当に優しい奴は、そんなこと言わないって」
たわいない会話をしていると、駅の玄関口まで来ていた。
「それじゃあ」と、面向かって彼に言った。「また明日な」
「ああ、また連絡を入れるよ」
互いに別々の道を行く。
駅の構内に入ってからは、いつも通りの電車に乗って、いつも通りの道をたどり、下宿先のマンションまで戻ってくる。
昨日が新月だったこともあってか、周りがいつも以上に暗く、代わりに外灯の明かりが、いつも以上に明るく感じられた。
マンションの正面玄関――と言っても、大層なところでは無いけれど、そこを通って、廊下を歩く。
すると、自然と足が止まった。
玄関の扉の前に、中年か初老くらいの男性が二人ほど、立っている。
その二人がこちらに気付いたらしく、頭を下げ、こちらに近付いてきた。
「夜分に申し訳ありません」
「はぁ」
「我々、N県警の者です」
そう言って、懐から手帳を出して見せてくる。
「ここですと声が響きますので…… 良ければ玄関に入れて頂けませんか?」
「何の用です?」
警戒するのは当然だ。
こっちは警察手帳の真偽なんて分からないし、本物を見たことも無い。出された手帳が本物かどうかなんて分からない。
「ニュースはご覧になられましたか?」
「ニュース?」
沈黙のあと、
「ある事件について、お話を伺いたく……」と言われる。
正直、状況把握が追いついていなかったが、とにかく目の前の二人が本物かどうかを確認する必要がある。
「警察署に確認の電話を入れても?」
こう切り出して、二人が了承するのを見届ける前にスマホをポケットから取り出す。
画面を明るくした瞬間、かなりの着信履歴が残っているのが分かった。
「こちらからも」と、男が言ってきた。「お電話を差しあげたのですが、どうにも繋がらなかったもので……」
「あなたのご両親からも」と、もう一人の男が言った。「連絡をしてもらうよう、お願いしていました。おそらく、着信などが入っているのでは?」
確かに、両親から十件ほど着信が入ってきている。他にも、同級生や友達からも来ていた。メッセージもあって、そのほとんどが『連絡を取ってほしい』と言うような内容ばかり。
ひとまず警察署に電話を入れて、目の前にいる二人がちゃんとした警官――正確には、刑事であることが分かった。
夜になっているとは言え、まだ時間的に人の往来もあるし、何か事件に巻き込まれているのを知られるとマズい…… そう思ったから、言う通り、玄関へ二人を招き入れる。
「あの、狭いので中へどうぞ……」
「すみません、お言葉に甘えさせて頂きます」
そう言って、彼らは靴を脱いだ。
「早速ですが」
部屋へ入るなり、立ったまま言ってきた。
「大変、ショッキングなことをお伝えせねばなりません」
「ショッキング?」
「はい。落ち着いて聞いてください」
「なんです? 勿体振って……」
「その前に、いくつか質問をさせてください。――あなたはSさんと言う女性をご存じですよね? 大学のご友人の話では、交際中だとか」
「ええ、付き合ってます。それが何か?」
「Sさんの足取りを詳細に知る必要がありまして…… あなたがSさんと最後にお会いしたのは、いつ頃ですか?」
「なぜ、彼女のことを? 彼女が何かしたんですか?」
「お話しますので、まずは質問にお答えください。お願いします」
「――二日前ですが、それが?」
「二日前、何時頃まで、どこにいましたか?」
「N駅の近くにある飲食店にいました。Aという店です」
「なるほど。そこで、何時くらいまで一緒に?」
「九時くらいかな…… その次の日が早番のバイトで、そのあとは小論文の作成があったんで、そのくらいで帰りました」
「N駅で彼女と別れた?」
「いえ、一緒に帰りました。隣の地区に住んでるので、そこの家まで」
「なるほど…… その後は一度も会っていませんか?」
「会ってはないけど、電話はしました」
「昨日ですか?」
「ええ。家に帰っている途中に」
「すると、こちらのご自宅へ帰宅中に?」
「いや、大学の中です。昼過ぎだったかな……」
そう言って、スマホの着信履歴を探して、それを刑事二人に見せてやった。二人が手帳に何やら書き込んでいる。
「なるほど、ありがとうございます」
「――彼女に何かあったんですか?」
「申し訳ありません、最後の質問だけお願いします」
完全に、こちらの質問を後回しにするつもりだ。
「何かあったんでしょう?」
ここまで来れば、さすがに何かあったと分かる。同時に、不安になって、心配から心像が高鳴ってきた。
「必ずお話しますので、どうか、最後の質問にお答えください」
「なんです? 早くしてもらえます?」
苛立った気持ちで、そう返答した。顔もきっと、険しくなっていることだろう。
「昨日は大学から、何時頃に帰宅しましたか?」
「夕方には帰っています。友達とゲームする予定だったので」
「そのお友達のお名前、教えて頂けますか?」
「YとXです」
「なるほど…… 遊んでいたゲームとは、所謂、ネットゲームの類いですか?」
「ええ、通話しながらね。深夜くらいまでやってました。一時くらいだったかな?」
「ありがとうございます。どうも、その辺りのことには疎いものでしてね」
「いい加減、何があったか教えてもらえませんか?」
沈黙が流れた。
話をしていた刑事が、後ろの方で黙って聞いていた刑事を一瞥する。それからまた、こちらに向き直って、
「実は」
と、言葉を切ってから、続きを話した。
「落ち着いて聞いて下さい。――昨晩ですが、公園で女性の絞殺体が見つかりました」
「絞殺体……?」
「所持品などから、Sさんであることが分かりました」
自分に流れている時間だけが、止まった気がした。