第87話 生きているダンジョン
はっきりと肌寒さを感じ始めた十一月の上旬。
俺はリビングのテーブルで広げたノートパソコンの前で、うんうんと唸っていた。
楓乃さんへのプロポーズ後、シルヴァちゃんと悠可ちゃんへの土下座を済ませた俺は、改めて今後のやるべきことをリスト化していた。そして、一つの大きな壁にぶち当たったところだった。
その壁とは。
「婚約指輪を渡さずにプロポーズって……俺は馬鹿かっ!!」
そう、婚約指輪の購入だった。
なにを隠そう、俺は婚約指輪も買わずに楓乃さんへとプロポーズした大馬鹿野郎である。
……いや、マジで結婚ってみんなどうやったの?
正しい手順って、どこで教えてもらうもんなの?
さっきからネットで調べてるけど、プロポーズ前に下調べするとか冷静すぎじゃない?
なんで『誰かにプロポーズする前に手順とか諸々の手続き下調べしておいた方がいいよ!』って、誰も教えてくれないのよ!!
平凡な人生では絶対使わないであろう漢文なんて教えてないでさぁ、そういうのを教えてほしいよ俺はっ!?
……はい、すいません取り乱しました。
以上の通り、俺が馬鹿すぎるせいで婚約は仮成立ということになっている。
優しい楓乃さんは、指輪の催促など一切してこなかったのだけれど、俺自身がそのことに気付いてしまい、その場で『また改めて、指輪含めて言わせてください!』という、なんとも締まりの悪いプロポーズとなってしまったのだった。
ダサい、ダサすぎるぞ、京田大地よ……!
「指輪と言えば……ダイヤモンド、みたいなイメージあるけど、絶対高いんだろうな……」
俺は『婚約指輪 ダイヤモンド』で検索をかけ、パソコンの画面に表示される様々なデザインに指輪を延々と眺めていた。
中でも、やっぱりダイヤモンドがリングのど真ん中にどーん!とあしらわれているものがわかりやすいし美しい気がした。完全にただの私見だけど。
というか、楓乃さんの美しくて長い指ならどんな指輪も似合うだろうなぁ。
「……いかんいかん。なに一人で鼻の下を伸ばしてんだ、俺は」
ふと我に返り、俺は改めて婚約指輪をどうするべきか真剣に思案する。正直どういうものがいいのか右も左もわからないが、だからと言ってシルヴァちゃんや悠可ちゃんに相談するなどもっての外だ。
それにしても、いやはや、誰かと一緒になるってマジで大変だ。
プロポーズが一世一代の大勝負、と言われる意味がよくわかる。
「……あれ、寺田総隊長と小淵沢さんじゃん!」
肩の疲れを感じてパソコンから目を離すと。
付けっぱなしのテレビから、懐かしい声が聞こえてきた。
《SEEKs》の寺田総隊長と、小淵沢さんである。
寺田隊長はまだ右腕を吊っており、負った傷が全快したわけではなさそうだ。
小淵沢さんは相変わらず癖毛に眼鏡で小柄で、端的に言えばプリティである。緊張すると腹が減るという特異体質の彼女は、さっきからお腹を抑えて眉間にシワを寄せている。放送中にお腹が鳴らないよう、必死に気を引き締めているのだろう。
どうやらお二人はゲストとして、生放送のダンジョン特番に招かれているらしかった。
『では、ゲストのお二人にお話を伺いましょう。今回、我が国に新たに登場した特級難易度ダンジョン――《幽鬼級ダンジョン》について、ざっくりと解説をお願いできますでしょうか?』
アナウンサーの人が、丁寧に言葉を紡ぐ。
あの《幽鬼級》が……日本に出現したのか!?
俺の疑問に応えるように、寺田総隊長が話し出した。
『幽鬼級は正確に言うと、新たに出現したわけではないと言われています』
『と、言いますと?』
『幽鬼級は“移動するダンジョン”と呼ばれており、数年周期で消失し、新たに別の場所に出現する、というのを繰り返していると考えられています。今回はその“移動先”が日本の領土内だった、ということになりますね』
『はぁ、移動するダンジョンですか……まるで生きているみたいですね』
聴こえやすい発音でハキハキと話す寺田隊長。さすが、場慣れしている雰囲気がある。
『そうですね。仰る通り別名|《アライブダンジョン》と呼ばれているのは、それが所以です』
寺田総隊長は落ち着いた様子で続ける。
さすが、しゃべり慣れている感じだ。
『小淵沢さん、いかがでしょう?』
『れびゃ、ベ、れヴぇにゃ、あびばっ!?』
『小淵沢さん。落ち着いてください』
隊長とは打って変わって、隣に座っていた小淵沢さんが噛みまくる。
緊張しているんだろうなあ。
『小淵沢、深呼吸だ。な?』
『は、はい……すぅー、はぁー』
隊長に言われた通り、肩を上下させながら深呼吸する小淵沢さん。
アナウンサーの人が苦笑いしている。
『レ、幽鬼級ダンジョンでは、他のダンジョンと比べて、大変貴重な鉱物が採取できる、というのが大きな特徴です。プラチナどころではなく、過去の発見例だとルビー、ダイヤ、アレキサンドライトなどが発掘された例があります』
『へぇー、それはすごいですね。でもそれだと、無暗に入ダンしようとする人も多そうですが』
『ええ、それが他国に出現していた際にも問題となりました。ですので、わたくしどもSEEKsとしましても、この場を借りて改めて、無暗な入ダンを控えるよう呼びかけをできればと思います』
真面目な様子で、小淵沢さんは言った。
確かに海外では、経験値の浅い探索者や配信者が幽鬼級に入ダンし、そのまま帰らぬ人となった事例がいくつもあった。
その抑止として、ダンジョンの探索を資格制にすべき、という議論が出ていると直近のニュースで見たっけ。
おそらくそれも、日本に幽鬼級が出現したからこそ取り沙汰されたのだろう。
『幽鬼級では、《ユニーク個体》と呼ばれる非常に危険度の高い魔生物が、階層を問わず出現すると報告されています。大変危険です、探索経験の低い方などは、絶対に入らないようお願いいたします』
小淵沢さんの話を引き継ぐ形で、念を押すように寺田総隊長が言った。
『SEEKsのお二人、ありがとうございました。えー、改めて申し上げます。日本の領土内に幽鬼級ダンジョンが出現したため、国際ダンジョンルール的には入ダン可能な状態とはなりますが、非常に危険なダンジョンです。熟練度等の浅い探索者、一般人の方々は、くれぐれも興味本位、遊び半分での入ダンはおやめください』
最後に、アナウンサーの方が視聴者に呼びかける形で言い、番組は締めくくられた。そこで俺は、テレビの電源を手元のリモコンで消した。
幽鬼級ダンジョンか……。
危険なのはわかっているけれど、一探索者としての好奇心は抑えきれないものがある。
そして、さらに。
「このタイミングで、『ダイヤが出た例がある』と言われちゃぁなぁ」
俺の頭には、安直な閃きが舞い降りていた。
そう――幽鬼級でダイヤモンド、手に入れたら良くない?
「……幽鬼級、行くっきゃないよな」
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