第8.5話 マドンナの独白#1(楓乃視点)
※楓乃の心情を知りたい方はお読みください。
私はいったい、どうしちゃったんだろう。
こんなに押しつけがましい性格じゃ、なかったはずなのに……。
去年の春、私は新社会人としてDイノベーションに入社した。大学での四年間で一人暮らしには慣れていたけど、本格的に社会に出ることについては不安でしょうがなかった。
ようやく職場に自分の居場所を作れた、と感じられたのは、研修期間を含めて、会社で二か月が過ぎた頃。
日々、仕事のやりがいが育っていく感覚があったし、自分が必要とされている気がして、楽しかった。
けれど、
「楓乃ちゃーん、今度二人で飲も? 色々と教えてあげるからさァ」
……そんなときだ、別所部長に目をつけられたのは。
別所部長の悪いウワサは、研修のときに聞いていた。
新卒の子にすぐ手を出して、自分になびかないとこき使い、いじめて、孤立させる。なのに社長の後輩だから野放しにされているって。
要するに、最低なヤツ。
そんな人がいる会社にも、少しイヤな気持ちが芽生えた。
「お声がけ、ありがとうございます。部長の貴重なお話ですから、ぜひ同期も一緒に――」
「ダメダメ、オレが面倒見たいのは楓乃ちゃんだけだもん。ね、二人で行こうよォ」
やんわり二人を拒否する私に顔を近づけて、ニチャア、と笑う別所部長。
茶色の長髪が顔に触れそうになって、私は思わず顔を背ける。
……香水の匂いもきついし、最悪。
私としては、それなりに警戒してたつもりだった。
でも新人だし、できる限り笑顔で明るくいようって心がけていたから、やっぱりかわしきれない瞬間みたいなのは、どうしてもある。
社会の理不尽って、石ころよりたくさん転がってるんだよね……。
「あのぉ別所部長。ポイズンダンジョン社の毒島社長からお電話なんですけど、俺なんの件かさっぱりわからなくて」
そのときだ、はじめて“彼”を認識したのは。
少し猫背の、自信なさげな表情。
それなのに、どことなく頑固そうな顔。
……京田さんだった。
「あァ? 京田テメェ今大事なトコなんだっつの!」
「すいません、ちょっと急ぎみたいで」
「っダァもう! めんどくせェなァ!!」
言って、別所部長は自分のデスクへ戻っていった。
「お取込み中すいません。俺が全っ然、仕事を把握できてなくて」
「…………っ」
自分を卑下して、京田さんは頭をかいていた。
気の抜けた苦笑いを見て、かなりホッとしたのを覚えている。
それからも別所部長は、懲りずに何度も何度も声をかけてきた。
でも京田さんが、その度に割って入ってきてくれた。
自分に敵意が向くのに、いつでも。必ず。
気が付くと私は、京田さんを目で追うようになっていた。
トゲのない優しそうな顔つきに、少し頼りなげな猫背の背中。あんまり明るく笑ったりする感じじゃないけど、でもたまに笑うと八重歯が可愛いくて。
……え、私ちょっと、キモイ?
一緒にランチしたいなとか、もっと色んな話してみたいなとか、なんか趣味とかないのかなとか、料理なにが好きかなとか、そんなことばっかり考えるようになっちゃってた。
……うわ、やっぱり私、キモイ?
そんな風にして、私の京田さんへの気持ちは日に日にふくらんでいった。
私は経理部だったので、仕事上色んな部署の人に確認を取ることが多い。だから、外回りをしている京田さんにも、電話することが何度かあった。
「もしもし」
『あーもしもし』
「昨日いただいた領収書の件なんですけど――」
『山下さんって、お声がよく通りますね。聞き取りやすい』
いつだったか、そんなことを言ってくれた。
それがとにかく嬉しくて、彼が外回り中にあれこれ理由をつけて電話をするのがクセになってしまった。京田さんの落ち着いた声を電話越しに聞くと、どんなに忙しくてもなぜか安心できた。
「今日の納会の場所と時間、全体にリマインドかけてあるので、確認しておいてくださいね」
こんなこと、わざわざ電話する必要なんてない。
でも……声が聞きたかった。
社会に出て、はじめて尽くしの一年。納会は、その締めくくり。
もしかしたら、京田さんとたくさんおしゃべりできるかもしれない。
京田さんと乾杯して、最高の一杯を飲めるかもしれない。
私は正直、超期待してしまっていた。納会に来て、とちょっと遠回しにワガママを言ってみたら、
『できる限り努力してみます』
京田さんは、そう言ってくれた。きっと顔がニヤけていたと思う。
……でも、京田さんは来てくれなかった。
泣きそうだった。ていうかトイレでちょっと泣いたし。
「京田の野郎をダンジョンに置き去りにしてやろうぜ!」
席に戻ると、別所部長がそんなことを言っていた。
「そんなの、危ないですって。ダメですよ!」
「じゃあ楓乃ちゃんも行くしかないねェ、はい一名追加ァ!」
絶対ロクなことにならない、ってわかっていたけど、もしかしたら京田さんに会えるんじゃないかと思った私は、ついていってしまった。
そしたら案の定、ダンジョンでイレギュラー現象に遭遇してしまい、逃げ遅れて大きなドラゴンに襲われた。
でも――助けてくれた。
また、京田さんが。
もう運命の人なんだって、思った。
「すいません。来るのが遅れてしまって」
「ただ、もう安心です。俺に任せてください」
……ダメ、こんなのカッコよすぎる。
もう気持ちが大きくなりすぎて意地を張るだけ無駄なんだけど、なんか悔しくて、私はちょっとイジワルした。
「…………私ずっと、飲まないで待ってたんですからね」
しかも、会社に黙って副業で探索者をやってるだなんて、嬉しくてたまらなかった。私と同じじゃん!って。
「――私の家に、来ませんか?」
今思い返しても、この時点でおかしかった。そんなすぐに、家に男を呼ぶような女じゃないのにッ! もしかしたら怖い思いをしたあとだったから、興奮状態だったのかも……いや、言い訳かな。
私は京田さん相手だと、おかしくなってしまうみたいだ。
家に着いて、ようやく念願の乾杯をした。
色んな緊張があったせいか、一杯目でかなり酔っぱらってしまった。
「――私と、運命共同体になりませんか?」
「ふふふふ、これはもう私たち、夫婦みたいなもんですねっ」
あぁーもう、私ったらなに言っちゃってんだ……思い出すと、顔が熱くなる。
それからも色んな話をして、聞いて、笑って。
酔っ払うとよく笑う京田さんの顔を見ながら飲むお酒は、もう本当においしくて。
気持ちが、抑えられなくなっていた。
でも、はじめて話した日にどうにかなっちゃうなんて、ダメって思った。
軽い女だなんて絶対思われたくないし、ダメ、ダメだぞって、なんとか自分に言い聞かせて。それを誤魔化すために、またお酒を飲んで……気付けばもう朝になってて、ばっちり二日酔い。
本当、最悪。
こんなダメ女だって知ったら、嫌われちゃう……?
「山下さん、ごめんなさい。色々あったとは言え、俺みたいのが朝までいるとかよくないですよね――」
……こんな気持ちのときに、そんなこと、言わないで。
このまま京田さんが帰ってしまうと思ったら、胸の奥がきゅっと切なくなった。
だからまた、ちょっとイジワルをしてしまった。
「ほら、名前で呼んでみましょ。大地さん?」
そんな風にして、さりげなく名前を呼んだ。
幸せで、喉がつっかえる感じがした。
「楓乃、さんっ!」
そして。
京田さんも、私の名前を呼んでくれた。
あぁ……もう無理だよ。
「よくできました――ん」
私は、彼にキスをしていた。
それからは、二日酔いの気持ち悪さと、自分のしでかしたことへの後悔とで、京田さんのことを直視できなかったし、言葉を発することもできなかった。
うぅ、こんなにすぐキスとかする女じゃないんです、私……っ!
今はなにを言っても信じてもらえないだろうけど……っ!
会社に着くと、なんと前日の映像が出回って別所部長が炎上し、左遷されることになった。それについては当然の報い、と思った。
それでも悪あがきする別所部長が、京田さんを目の敵にしていて、心底ムカついた。詰め寄って、言い合っていたら、思わず手が出てしまった。
しかも、極めつけは。
「私、大地さんと付き合ってますんで」
京田さんの気持ちも聞かず、勝手にそんな宣言をしてしまっていた。
……もう、これは重傷だよ。
本当に私、どうしちゃったんだろう?
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