第42話 ダンジョン最凶の魔物、ヒトガタ
『だい……っ! 新卒メットさん! ヒトガタはさすがに危険です、逃げてください!!』
『いくらアンタたちとは言え、マジでやめとけしっ!』
イヤホンの向こうから、楓乃さんとシルヴァちゃんの切羽詰まった声が聞こえてくる。俺は応答する余裕もなく、不気味に身体を揺らすヒトガタを注視する。懐から、買い揃えたばかりの最新警棒を取り出す。
「ヒ、ヒトガタはわたし、はじめてです……っ!」
はじめて、悠可ちゃんの焦ったような声が耳に届く。鋭敏な《気配感知》が、彼女の小さな怯えを伝えてくる。
突如として目の前に現れた魔物――ヒトガタ。
ヤツはダンジョン内に出現する魔物の中で、最凶・最悪と言われている。
遭遇したら何も考えず逃げろ、とされているのだが、なぜヤツがそこまで恐怖の対象となっているのか。
「……ヒュー……」
「っ!?」
俺の思考の合間を縫い、目にも止まらぬ速さで攻撃を仕掛けてくるヒトガタ。肉眼では負い切れず、ほぼ自動で発動する《超反応》によってなんとか防御する。
「なんて速さだ……」
「わ、わたし……全然ついていけなかった……っ!」
俺と悠可ちゃんは言いながら、後退る。
ヒトガタが恐れられている理由は、いくつかある。
一番は言わずもがな、その戦闘力の高さだ。
一説によるとヒトガタは、ダンジョンボスよりも数倍強力であるにもかかわらず、決して一ヵ所には留まらず、さまよう幽鬼のようにダンジョン内を徘徊しているらしい。
その無秩序で縦横無尽な生態系は、幾多の探索者を苦しめてきた。こういった特性から、『存在そのものがイレギュラー』とさえ言われている。
「……ヒュー……」
「…………」
そしてもう一つの、最たる理由。
ヤツにはなんと――知性があるとされているのだった。
ダンジョン内に進入する、俺たちのような探索者らとの接触(ほぼ戦闘だろうと思われる)の中で、人間の行動を学ぶとされているのだ。
さらに、これは都市伝説レベルのウワサ話だが、言語を操った例すらあると言われている。
だからこそ万一ヒトガタに遭遇した場合は、逃げる一択であると言われているのだった。
しかし……初手の時点で接敵を許してしまったからには、もう背を向けるわけにもいかない。
:ヒトガタとか……やば
:はい死亡確定ー
:つかはじめて見た。ヒトガタ
にわかに、コメント欄がざわつく。
そりゃそうだ。ヒトガタなんて超危険激レア魔物、ぶっちゃけ配信動画じゃ絶対お目にかかれない。
機会があるとすれば、ダンジョン省お抱えの特殊部隊『SEEKs』が、大規模調査を行った際の、行動記録映像ぐらいでしか見れないはずだ。
その名の通り人間のような姿をしており、頭があり目、鼻、口があり、首、胴、四肢があり、二足歩行で立っているヒトガタ。異様なほど白い肌に、充血したような赤い両目がなんとも怖気を引き起こす。
「……ヒュ!」
「っ!」
なんの前触れもなく、だらりと垂らしていた両腕が鞭のようにしなる。
鋭利な爪が刃物のように闇に煌めく。
「っ! だ、だい……新卒メットさん、スーツの袖が……!」
「大丈夫、俺の背中から絶対出ないでください」
後ろの悠可ちゃんが、怯えを色濃くした声で言う。見ると、スーツの袖部分がすっぱりと切断されていた。なんという攻撃速度……!
「ヒュー……」
「…………」
相変わらず、不規則な呼吸音を響かせ、身体をゆらゆらと揺らしているヒトガタ。
俺も正直に言うと、これまでヒトガタと真っ向からやり合った経験はない。なので不安がないと言えば嘘になる。警棒を握る手が、汗ばむのがわかる。
さらに目的もわからないため、心底不気味である。
:ヒトガタこわすぎ
:いくら新卒さんでもヤバイんじゃ?
:祈るしかない
「わ、わたし…………」
背後の悠可ちゃんが、俺の背広を掴んだ。《気配感知》がなくとも、震えた声でその恐怖がすぐにわかった。
俺自身、この難局を乗り切れるのかは正直わからない。万全を期していたとは言え、ここはあくまで超高難易度ダンジョン――悪夢級なのだ。
『全力で逃げて! お願いっ!!』
『アンタら、こんなとこでダメんなったら許さないかんなぁ!!』
楓乃さん、シルヴァちゃんの叫ぶような声も、先程から痛いほどに耳に刺さっている。俺たちを想ってくれる必死さが、伝わってくる。
……ここで、俺は場違いなことを思う。
楓乃さん、シルヴァちゃん、悠可ちゃんの三人が楽しんでられない動画なんて、よくないよな。
ダンジョン配信は、ハラハラドキドキしたとしても、やっぱ楽しかったり、片肘はらず笑えたり、そういうのじゃなくっちゃ。
その方が絶対、イイに決まってる。
“副業”って、そういう気持ちでやるもんだ。
お金のためとか、必要だからとか、そういうことじゃない――自分らしく、適度な気持ちで続けられるからいいんだろ。
「……よし、ヒトガタ! 俺が相手してやる! こっちに来い!」
「……ヒュー……?」
言って、俺はその場から大きく跳躍する。
俺の声に小さい反応を返し、ヒトガタが身体の揺れを止めた。その行動は確かに、そこはかとない知性を感じさせるものだった。
「だ、大地さん……っ!?」
身体を離した途端、悠可ちゃんが不安そうな声を上げる。余裕がないのか、キャラ名ではなく本名を呼んでいる。
「大丈夫、任せてください。俺はこのヒトガタの登場を、上手くエンタメにして見せますからっ!」
「ヒュ!」
「そうそう、その意気だ! こっちに来い!!」
俺が話している間にも、ヒトガタは追従しつつ、爪攻撃を高速で繰り出してくる。いくらかダメージを受けつつも、《超反応》と《超回復》のスキルをフル稼働させ、なんとか乗り切る。
強がりでいい。
なんとか空気を変えて、視聴者にも、楓乃さん、シルヴァちゃん、悠可ちゃんにも。
楽しんでもらえる動画にするのだ。
「ほら、ヒトガタ! 俺とハードラックでダンスっちまおうぜ!!」
精一杯、俺はふざけ倒す。
目立ちたいわけでも、狂った風を装いたいわけでもない。
ただ俺の周りにいる人たちを、楽しませたいだけだ。
「ヒュ!」
「うおっ!?」
ヒトガタの攻撃で、胸に切傷を追う。長年使っていたネクタイが切り落とされ、ダンジョンの闇に消えていく。
状況によって俺のテンションも爆上がりしているせいか、なぜかヒトガタの動きが目で追えるようになってきた。おそらくはアドレナリンが分泌されている影響だろう。傷の痛みもほとんどない。
『ど、どうしちゃったの!?』
『なんかテンションおかしいっしょ!』
楓乃さんたちのとまどった声も聞こえるが、なりふり構っていられない。
俺が真面目に恐怖と向き合ってしまったら、途端に動画がつまらないものになってしまう。
「……新卒メットさん、がんばれっ!」
なにかを悟ったのか、悠可ちゃんが応援してくれる。
その声は先程までの怯えたものではなく、いつもの背中を押してくれるような、明るさのある声だった。
『……っ、がんばって!』
『いっけ! 新卒っ!!』
呼応するように、イヤホンの向こうからも声がする。
俺はたぎるような興奮を感じ、思わず叫ぶ。
「ヒトガタ! 出てきてくれてありがとう!」
「ヒュ……?」
「おかげさまで――」
ドラゴンを撃退したときと同じ、《筋力増強》、《警棒格闘術》、《武器効果範囲増大》を発動させる。
そして、一息に。
「――爆バズり、間違いなしだ!!」
ヒトガタを、殴りつけた。
「…………ッ」
白い体躯が吹っ飛び、ダンジョンの岩壁にのめり込んだ。
激しい衝撃のあと、土煙が視界をおおった。
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