第31話 さらば本業、さらばDイノベーション
伊野部社長への“やり返し”を果たした日から、数日。
俺はDイノベーションへの最終出勤日、ゆとりある気分で、通い慣れた朝の道を歩いていた。
傍らには、同じく最終出勤日の楓乃さんがいる。
「この道を通るのも、今日で最後ですね」
楓乃さんが、少ししみじみした様子で言う。俺も、会社へと続く並木道を眺めて、ほふぅ、と息をはく。
あぁ、本当に今日まで怒涛の日々だった。
特に楓乃さんと――“運命共同体”になってからは。
「……楓乃さん。あの、ありがとうございます。俺の目を、覚まさせてくれて」
「ふふ、急にどうしたんですか? そんなにかしこまって」
一度立ち止まり、俺は楓乃さんに深く頭を下げた。
楓乃さんが俺を外に……会社に属するのが当たり前、という価値観の外に連れ出してくれた。そのおかげで、今こうして健やかな気持ちでいられるのだ。
「今日までありがとうございました。そしてこれからも……よろしくお願いします」
「こちらこそです。まだまだ、私たちはこれからですからねっ!」
明るい日差しの中、無邪気な楓乃さんの笑顔が光る。
あぁ、俺はこの笑顔が背中を押してくれたから、ここまで来れたんだっけな。
つくづく、救われているなと実感する。
「あっ」
と、そこで。
楓乃さんは笑顔を引っ込めて、少し恥ずかしそうにした。
ん、どした?
「……ところで、今度いつ家に来ますか?」
「……ち、近々お邪魔させていただければ……」
もじもじと、可愛らしい仕草に頬が熱くなる。
朝からドキドキしちゃうじゃないかよぉ……。
◇◇◇
「はい、これ」「えっ」
業務を終え、退勤直前。
海富先輩が、小さな花束を持ってやってきた。嬉しいサプライズに、思わず変な声が出る。
「いやーこれで晴れて二人を推せるねー。ね、山下さん」
「ぜひぜひ推してください! 本当、再生数が命なんでっ!!」
「ははは、商魂たくましいなぁ」
同じく花束をもらったらしい楓乃さんが、嬉しそうにこちらに寄ってくる。
そっか、明日からはもう『新卒メット=俺』ということで、隠す必要もなくなるのか。
というかむしろ、ちゃんと宣伝、アピールしてかなくっちゃいけない。
……俺は副業を、本業としてやっていかなくちゃならないのだから。
「それにしても、社長と佳賀里部長……本当あんなことになるなんてねぇ……あー愉快愉快、プーックスクスクス!!」
「先輩、なかなか毒舌……」
伊野部社長と佳賀里部長がどうなったのかと言うと。
……ネットミーム化した。
あの配信で映し出された二人の言葉や叫びが定型文となり、必死の形相や泣き喚く顔がコラ画像としてネットの海に拡散された。
以下、特に好まれているやり取りのいくつかを抜粋。
・イキった書き込みがあったら(自分がイキりたい場合も使用可)
『伊野部キィィック!!』→『さすがです社長!』
・自分じゃわからない事があったら
『伊野部にだって不可能はある!!』→『信じてたのにぃぃ!』
・もうとにかく助けてほしいとき
『お助けぇぇぇぇ!!』→『ひゃちょぉぉぉぉ!!』
といった流れが、大手掲示板などで繰り返し使用されるようになった。
ちなみに『さすがです社長!』は略して『さ長!』でも通じるそう。『よ、サ長!』みたいな具合らしい。茶化しニュアンス過多である。
二人の阿鼻叫喚の顔もめでたく(?)ピックアップされ、イラストになったりクソコラになって大喜利されたりと、知名度が爆上がりしてある意味大人気となった。
おかげでDイノベーションは謎の注目を浴び、ここ数日で利益はかなり増えているそうだ。
……本人たちの辱められっぷりを除けば、だけれど。
正直、俺としては予想以上の制裁を加えてしまったみたいで、若干気に病んでいる。
社長はすべての業務をオンラインにし、家から出ないようにしているそうだ。さらに佳賀里部長に至っては、すでに休職の申請を出し、一度も出勤していないらしい。
大丈夫かな……あの二人。
「京田くん、君が気にすることないからね」
「え?」
考えていることがバレてしまったのか、海富先輩が肩に手を置き、言葉をかけてくれる。
「こういう時代に、ああいう仕事の仕方、態度、考えでやってきたから、あの二人は今ああいう目にあってるだけ。結局は、全部自業自得さ。京田くんたちが何もしなかったとしても、必ずどっかで痛い目に合ってたはずだよ」
「……ありがとうございます、先輩」
「ううん、いいよ。本当にさ、僕は京田くんたちから勇気をもらったんだ。だからこれからも頑張ってね!」
「はい!」
どこかに必ず、理解ある人はいる。
人の世ってのはつくづく、そういうもんなんだなと思った。
帰り際、俺は職場に深く頭を下げてから社を出た。
「お世話になりました。本当に今日まで、ありがとうございました」
◇◇◇
ほとんど人のいなくなったDイノベーション、営業部の島にて。
海富翔也、三十一歳は伸びをした。ネクタイを緩めながら背もたれに身を預け、一息つく。
「はぁ……京田くんたち、辞めちゃったなぁ」
今日付けで退職してしまった一年下の後輩を名残惜しく思いながら、すっかり冷めたコーヒーを口に含む。酸味が強く、はっきり言ってまずい。
「京田くんの価値、未だに社長わかってないんだろうなぁ……」
両手を頭の後ろに回しながら、海富はつぶやく。
いざとなれば海富は、京田大地という後輩社員(すでに元だが)の価値を社長連中にプレゼンしてやろうと息巻いていた。そのために、自分の仕事をそっちのけで様々なデータを収集していたのだった。そのせいで、今日も今日とていらぬ残業をする羽目になっているのだが。
デスクの隅、印刷しておいた書類を手に取り、目を通す。
「どれどれ、っと……仮に《分身》を使って警備四人分のシフトを一人で回せると考えると、年間の人件費をざっと二千万円ほど削れる、と……」
海富は手近なポストイットに、概算の数字を書き込んでいく。
「それで人員削減ができて支社を一店舗は削れるから、その分の賃料が浮いて……合計で年間三千四百万円が浮く。で、さらに諸経費をマイナスして…………」
書類に書かれたデータを元に計算をし、すらすらと数字を並べていく海富。数字を書き込むたび、その表情には驚きの色が増えていく。
「……ひえぇ。年間で六千万近くのコスト削減……はは、こりゃ笑っちゃうね」
海富は自分が書き出したとんでもない数字に、思わず笑ってしまう。こんな数字、一般社員がたたき出せる金額では決してない。
会社の花形である営業部のエース社員ですら、年間の売上は五千万円にも満たない。しかも彼らは高給取りで、人件費を考えると会社への貢献度は決して高いとは言えない。
誰も、会社にとっての価値の本質を、理解できていないのだ。
「京田くん一人で、子会社いくつ分の価値だよ……」
しかもあれほどの実力であれば、おそらく政府主導で行われているダンジョン系公共事業にも人材として出向できたことだろう。そうなればDイノベーションは、多額の助成金を受け取ることができたはずだ。
「Dイノ、マジとんでもない人材を逃してるでしょ……」
海富はつくづく、京田大地という猫背の男の価値に感嘆する。
そして同時に、そんな人材をみすみす逃がした会社の無能さにウンザリした。
「僕もそろそろ、転職活動しないとなぁ……」
彼のつぶやきが、誰もいないオフィスにたゆたって、消えた。
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