第25話 やり返す、下準備
『まぁ……そういうもんよね』
電話で伊野部社長の悪行を伝えたときのシルヴァちゃんは、思いのほか冷静だった。もしかしたら彼女は、俺なんかよりよっぽど大人なのかもしれないな……そんな風に思った。
『そりゃムカつくよ。でも、そういうことを平気ですんのが大人だって、どっかで割り切っちゃってる自分もいるんだよね』
静かなトーンで、彼女は言う。
ただ……少し悲しそうだ。
「でも……俺は許せない。一矢報いたい」
「シルヴァちゃん、私もです。許せない。私は、会社を敵に回す覚悟を持って、必ず社長に謝罪させる。もしくは、相応の罰を受けさせる」
スピーカーにしたスマホへ向けて、俺と楓乃さんは並んで決意表明を行う。声がちゃんと、届いているといいなと思った。
『アンタたち……ありがと』
シルヴァちゃんは、穏やかな声でお礼を言った。無鉄砲なことを言い出している俺たちを止めないところが、彼女の優しいところだ。
「とは言ったものの……」
「どうしてやりましょうか……」
電話を切り、俺と楓乃さんは顔を見合わせた。
本社にいた時点で考えていたのは、俺と楓乃さんで飲食事業を担当してしまえばいい、というもの。そして軌道に乗ったタイミングで、退職する。
そうすれば飲食事業の重要なノウハウを失い、ビジネスはとん挫して赤字を計上することになり、会社自体にダメージを与えることができる……はずだった。
しかし。
俺が子会社へと出向を命じられたため、楓乃さんと示し合わせて同事業を担当するのはもはや不可能だ。勤務地自体は都心部なので、さほど距離もないし、離れ離れというほどでもないのは救いだけれど。
ただそうなると、楓乃さんをサポートできなくなる。社長室であれだけの大立ち回りをした手前、いくら楓乃さんと言えど、敵対する者たちからなにかされないかと、かなり不安がある。心ない連中が仕事中、難くせをつけて楓乃さんを糾弾したりするのではないか、と。
「大丈夫です。私、ちゃんとした味方も多いですし。海富先輩とか。それと、大地さんの足手まといには、なりたくないですし」
「足手まといだなんて……むしろ、俺の方が――」
「こら、謙遜禁止。ですよ?」
「……はい」
しっ、と人差し指を俺の唇に優しくあてがう楓乃さん。か、かわええ……指をぱっくんちょしてもよろしいですか?
じゃなくて。
「じゃあ……もう弱気にならないように、楓乃さんにも、決意表明してもいいですか?」
「……っ、はい!」
俺は強い決意で、ゆっくりと言葉を紡ぐ。
「……俺には、株を買い付けて会社を乗っ取ったり、仕事の実力で社長の座を追い落とすとか。そんなドラマみたいなことは、絶対できないと思います」
「確かに、現実的ではないですよね」
「ええ。……だから俺は、俺なりのやり方で、社長にやり返してやろうと思います」
「ふふ、はい!…………もう、カッコよすぎ」
決意表明を聞き、楓乃さんはニコっと笑ってくれた。その笑顔が、俺の背中を強く押してくれる。後半、よく聞き取れなかったけれど。
俺は頭の中で、社長への“やり返し”の方法を思案する。
今の自分の現状と、持ちうる手札。伊野部社長の現在地、俺との格差……そういった要素を一つずつ、ざっくりと頭の中で試算する。
営業部のMTGで散々やらされた、市場分析の感覚に近い。
そこで、一つの“案”が急速にまとまっていく。
「どうかしましたか?」
「もし、楓乃さんが社長だとして、なにをされた一番イヤだと思いますか?」
「んー……今だったら、不祥事がリークされるとか?」
「確かに、それもイヤそうですね。でも、俺としてはあの会社というよりは伊野部社長個人に、やり返してやりたい」
「確かに。私としても、よくしてくれた人たちが困るようなことは、あまりしたくないです」
俺と楓乃さんの意見がぴったりと合い、お互いにうなずく。
これで、腹は決まった。
目指すのは、俺なりのやり方での――やり返しだ。
「……きっと、佳賀里部長は俺のことを左遷的な意味合いで、出向させたんだろうと思いますけど……今回の出向、社長に一矢報いるためには好都合かも、です」
「それは……楽しみですね」
俺と楓乃さんは見合い、悪い笑みを浮かべた。
◇◇◇
「今日からこちらでお世話になります、京田大地です。よろしくお願いします」
俺は出向先に出勤してすぐ、始業前の自己紹介をしていた。
ここはDイノベーションの子会社で、ダンジョンに警備員を派遣するビジネスをしている会社『D(ダンジョン)G(ガード)D(ディスパッチ=派遣)』だ。
拍手が巻き起こるが、元気ハツラツな感じではない。
むしろ全体的に覇気がなく、皆さん顔色が悪い感じだ。ツッチーさんのように目の下に色濃いクマができている方もいる。
……どうやら、噂通りの労働環境らしい。
本社のいたるところで小耳にはさんだのは、ここDGDは超ブラック職場である、ということ。これは決して現場の方々の落ち度ではなく、業務全体を管理するはずの上層部が、伊野部社長の言いなりになっているせいらしい。
実際、ここに飛ばされた社員は、絶対に健康体ではいられなくなり、期末の健康診断の結果を機に退職する――そんな職場なのだった。
それもそのはず、ダンジョン警備の業態は常に人手不足だ。
契約を交わしたダンジョンへ警備員を出向させる、というのが主な内容だが、警備は基本二十四時間体制。しかもダンジョン警備を人に任せる場合、ワンオペが禁止されているため日勤と夜勤で二名ずつ、一日計四人は必要なのだ。さらに、警備は当然毎日。週末休みなわけもない。
それゆえに、どれだけ警備員がいたとしても多すぎることはない、というのが業界の現状なのだった。
「それじゃ、なにか一言……」
疲れ果てている様子の警備部長が、乾ききった笑みでうながしてくる。どう見てもカラ元気である。
俺はざっくりと、オフィスを見回した。各人の机の上には、栄養ドリンクが何本も転がっている。
「辞令上は現場のリーダーとしてこちらに来ましたが、皆さんから色々と学びながらやっていきたいと思ってます」
ひとまず、俺は当たり障りのないことを言う。
そして――初日にあるまじきことを、続けて言う。
「その前に。皆さん一回、しっかり休んでください。有給とか、使える限り使いましょう」
「…………っ?」
二十四時間、毎日が仕事となる警備の世界では、有給という言葉は忌み嫌われているらしい。案の定、皆にとまどいの表情が浮かんでいる。
だが、俺には勝算がある。
これが俺なりの、“やり返し”の初手だ。
「ひとまず現場の警備は全部――俺に任せてください」
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