第103話(最終話) そして、未来へ
「…………」
こめかみを、冷や汗が伝ったのがわかった。
今の俺の状態を一言で表すと、緊張、となる。
そう、ド緊張である。
もはや緊張が服を着て突っ立っている状況。
俺は今現在、結婚式の会場、チャペルの祭壇の前で新婦を待っている。
入場など、事前に練習した段取り通り、順調にこなせているはず。
……え、できてますよね!?
すでにタキシードの襟が、汗で湿っているのを感じる。
うぅ、この緊張に比べたら、高難易度ダンジョンに潜ってるときの方がよっぽど気持ち的には楽だ。
と、そこで。
ガチャリ――
チャペルの扉が、厳かに開いた。
「…………っ」
瞬間、息を飲む。
純白のウエディングドレスに身を包んだ楓乃さんは。
――美しすぎた。
天使のような、天女のような、まるでこの世のものとは思えない煌めきが、彼女から放たれている。
今日来てくれたシルヴァちゃん、悠可ちゃんをはじめとした参列者の皆様も、感嘆のため息を漏らす。悠可ちゃんやご家族の眼には、涙が浮かんでいる。
そんな中、楓乃さんがバージンロードを、ゆっくりと一歩一歩、俺のところへ歩いてくる。
ベールで顔から肩にかけては隠されているが、その息を飲むような美しさに、俺は呼吸を忘れていた。
「……よろしくお願いします」
「……は、いっ」
隣に並び、小さくつぶやく楓乃さん。
その声が可愛すぎて、愛おしすぎて、喉の奥がきゅっと絞まる。
返事が一瞬、詰まってしまう。
「ふふっ」
微笑みに、また喉が詰まる。
全身が、ポカポカと温かい。
まだ春は遠いのに、俺だけが春風に吹かれているような気分だった。
緊張は解けないまま式は進み、いよいよ指輪交換、そしてウエディングキスを迎える。
牧師さんに促され、指輪交換をはじめる。
あぁ、あぁ、緊張で手が震えるっ!!
楓乃さんの細く美しい指へ、震えながら結婚指輪を通す。
そこには、幽鬼級で手に入れたダイヤで作った婚約指輪が輝いている。
結婚指輪と重ねて着けることができる、特注のもの。
よく似合っている。
「では、誓いのキスを」
そしてついに、ウエディングキス。
楓乃さんの顔にかかっているベールを、ゆっくりと上げる。
「……っ」
美しく、可憐で、愛らしい楓乃さんの顔。
同じく緊張しているのか、少しだけ上気したような表情。
可愛すぎるだろっ!!
あぁ、楓乃さんが愛おしすぎて愛おしすぎて……顔が、熱いっ!
こんなに素敵な人が、俺の奥さんに……?
やっぱりこれ、夢……?
「大地さん」
「……はへ?」
「ん」
と。
柔らかい感触が、唇に触れた。
あぁ……また俺は、楓乃さんに一歩を踏み出させてしまった。
ここは本来、男からしなくちゃいけないところ。
またも楓乃さんに、助けられてしまったみたいだ。
「…………っ」
俺たちは、未来を共にする運命共同体。
お互いを助け合って、生きていくのだ。
「んっ」
離れかけた唇に、俺はキスを返した。
楓乃さんの甘い吐息が、脳を揺らす。
あぁ……あぁ!
なんて愛おしいのっ!!
「えー、ゴホン」
これ以上ないほど楓乃さんを抱き締めたい衝動に駆られるが、牧師さんの咳払いでなんとか理性を取り戻す。
服装の乱れを直し、姿勢を正す。
そして、結婚誓約書に、署名をする。
「これで正真正銘の、運命共同体ですね」
「はいっ」
はじめて、楓乃さんと“運命共同体”になったときから、今日まで。
本当に、身体中が震えるような、幸せな時間を過ごしてきた。
どんなことがあっても、これからもずっと一緒だ。
そんな風にお互いを想いながら、俺と楓乃さんは見つめ合って笑った。
楓乃さんの笑顔は、たぶんだけど。
本当の天使より、天使だった。
◇◇◇
「「「おめでとー!」」」
式と披露宴を終え、俺と楓乃さんは立食パーティー形式で行われる、二次会の会場に入った。
来てきくれたみんなが、満面の笑みを向けてくれる。
「京田くん! 山下さん! おめでとー」
「海富先輩!」
真っ先に駆け寄ってくれたのは、Dイノ時代の先輩、海富先輩だ。
見なれたスーツ姿だが、久しぶりの先輩は相変わらず優しい表情を浮かべている。
ただ、目元だけがやけに赤い気がしたが、もう酔っぱらっているのだろうか?
「僕、感動しちゃったよ。まさか京田くんと山下さんが結婚するなんてさぁ」
「はは、俺もです」
「私は、最初から『あ、この人と結婚するかも』って思ってましたよ?」
「えっ」
茶目っ気たっぷりに楓乃さんが笑うから、俺はテンパってしまう。
んもう、俺の嫁マジ可愛い!!
「はは、山下さんはさすがだなぁ。それにしても、僕みたいなのも呼んでくれてありがとうね。楽しんで帰るとするよ!」
言って先輩は、手に持っていたグラスを一気に呷った。
おー、完全にやる気である。
「二人、お似合いだよ。幸せになってね! ちなみにDイノは事業再編でテンテコマイさ、ははは! それじゃ、今日は深酒するって決めてるから!」
「く、くれぐれも潰れないように!」
自虐的な笑いを浮かべながら、海富先輩は人波の中へと消えていった。
「京田さん、山下さん。おめでとうございます」
「小淵沢さん! 寺田隊長に、鴨川さんも!」
「おう、来たぞ」
「……うぃっす」
今度は、ビシッとフォーマルなスーツを着こなしたSEEKsの三名、小淵沢さんに寺田総隊長、鴨川さんだ。
お忙しい合間を縫い、足を運んでくださったと思うと感無量だ。
「本当におめでたいですね。というか立食形式の二次会、ナイスですね。あっちに美味しいローストビーフがありました」
「小淵沢、少しは遠慮しような」
すでに小淵沢さんは皿いっぱいの料理を確保している様子で、相変わらず頬に食物を貯め込んでいる。リスのようで可愛い。
そしてそれをやれやれな感じで窘める寺田総隊長。ここまでお決まりのやり取り。
「いや、おめでとう。家庭を持った京田くんにはぜひ、SEEKsの特別顧問として、ダンジョンの調査や後進の育成に携わってほしいところだ」
「お、恐れ多いですよ」
寺田総隊長から、急に仕事の勧誘を受け、戸惑う。
隣では楓乃さんが小淵沢さんにお勧めの料理を聞いている。
「つかなんでオレまで呼んでんだよ、お前……こういうトコ、苦手なんだっつーの」
「一緒に死地を潜り抜けた鴨川さんを呼ばないわけにいきませんよ」
相変わらずの不愛想な感じで、鴨川さんが悪態をつく。
でももしかしたら、緊張してビビってるだけなのかもしれない。
カワイイトコあるじゃないの。
「ただ、まぁ、なんだ……お幸せにな」
「あ、ありがとうございます」
頭をボリボリ掻いて言う鴨川さん。
なんだよ、本当にカワイイトコあるんじゃない……。
「ヘーーーーーーーーイ! 大地くぅーん! 楓乃ちゃーん!」
「灰村さん!」
続けて、アメリカからはるばる来てくれた灰村さんが呼びかけてくる。
陽気にスキップしながら近づいてくるけど、いや、OPAの揺れがひどいよ!?
「いやー、やっぱり楓乃ちゃんに収まったなぁ」
「ええ、はい。収まりました」
「まったく、あんなに可愛い悠可を泣かしたんやから、絶対幸せになんねんで?」
「……はい!」
相変わらず、竹を割ったような性格の灰村さん。
言われた言葉の数々に、神妙にうなずく。
「ほな、最後にハグしとく? 嫁さん以外の乳に触れられんも最後かもしれんで?」
「は、灰村さん! やめてください!」
「アッハハ! 冗談やがな! おおきに!!」
誰も止められない勢いのまま喋り倒し、そしてそのままどこかへ去っていく灰村さん。いつでもどこでも、あの人は台風みたいな人だよな。
『ダイチ、聞こえるカ?』
そして、唯一オンラインで参加している特別ゲスト。
それは――
「おうヒトガタ! 聞こえる聞こえる!」
『こっちも聞こえているゾ。人類はすごい装置を開発しているナ』
立食会場の天井の隅、設置された大型モニターから、ヒトガタがこちらに手を振っていた。
撮影用のカメラを持って、興味津々な様子で覗き込んでいる。
ダンジョン内にしかいられないヒトガタにも、どうしても参加してほしくて、オンラインで参加してもらうことになったのだった。
『おめでとウ、ダイチ、カノ』
「「ありがとう」」
画面に向けて、俺と楓乃さんは揃って頭を下げた。
きっと俺たち、ダンジョンの魔物に結婚を祝ってもらった最初の人類だろうな。
「待ちくたびれたわよ」「ですですっ」「おめでとうございます、お二人」
最後、俺たちが進んだ先に待っていたのは。
シルヴァちゃんに、悠可ちゃん、ツッチーさんだ。
「お二人とも、本当におめでとうございます。私も未だ健康体で、こうして飲み食いしていられるのは、あのときにお二人に出会ったとかげです。ありがとうございます」
「ツッチーさん、こちらこそです」
先陣を切って言葉をくれたのは、ツッチーさんだ。
律儀で、真面目で、真っすぐで。
今までもこれからも、ツッチーさんに助けてもらうことは多いだろう。
そして――
シルヴァちゃん、悠可ちゃんが俺たちの目の間に立った。
「こんな日にしか言えないから言うけど……マジで、おめでとう。二人なら、絶対幸せになれると思うし、ならないと承知しないから」
シルヴァちゃんから贈られる、デレ成分多めの、最高にありがたい言葉。
じんわりと、胸に落ちていく。
「大地さん、楓乃姉さま。本当におめでとうございます。お二人の背中を見て、ダンジョンも女の道も、極めていきたいと思いますっ! がんばるぞっ!!」
涙目なのに気丈に、元気よく明るく話してくれる悠可ちゃん。
その勇気に、胸が熱くなる。
「ありがとう、二人とも……」
楓乃さんが言い、三人はそれぞれを包み込むように抱き合った。
俺は込み上げるものを必死に抑え込み、その尊い光景に見入った。
「大地さん」
「楓乃さん」
その後、俺と楓乃さん二人で並んで。
会場の皆へ向けて、深く深く、お辞儀をした。
繋いだ手の中、楓乃さんの薬指に光るダイヤモンドの婚約指輪と、プラチナで作った結婚指輪。
二つの輝きが、俺と楓乃さん、そして。
俺の人生に関わってくれたみんなを繋ぐ証なんだと思った。
俺はこれからも、俺の人生を、みんなと生きていく。
◇◆◇◆◇◆◇◆
週末の昼下がり。
家のリビングからは、元気のいい声が響いてくる。
俺は身支度を終えて、自室を出る。
「おーし、準備できたぞー」
「はーい」
リビングに入ると、それぞれにお気に入りのウェアを着た子供が二人、全身からワクワク感を漂わせて、今か今かと俺を待っていた。
「お父さんっ! 遅いよ!」「おそいでしゅよー!」
「ごめんごめん」
今年六歳になる息子の銀太と、三つ下の娘の帆乃可だ。
今日は二人と、はじめてダンジョンに入る予定なのだった。
「お父さん、おれのデビュー戦は上級!? もしかして超上級!?」
「はーど、はーど!」
「こらこら、初級からって約束だろ?」
「「えー」」
唇を尖らせて言う、銀太と帆乃可。
はぁ、まったくもう。我が子ながら、齢十に満たないうちから、すでに超上級に潜りたがるのだから困ったものである。
やっぱり抱っこ紐で面倒見ながら入ダンしてたのがまずかったかな……?
はぁ。血は争えないなぁ。
「二人とも、ちゃんとお父さんの言うこと聞くのよ。いい?」
「「はーい」」
と、そこでお手製のお弁当を作ってくれた楓乃さんが、銀太と帆乃可に言って聞かせる。
本当、楓乃さんは歳をとるほどにエロ可愛くなっていく。
……そろそろ三人目、いかがでしょうか?!
「ほら、銀太、帆乃可。お母さんとぎゅーして」
「「ぎゅー」」
歩み寄ってきた楓乃さんと子供二人が、三人でぎゅっと抱き締め合う。
旦那としては、とにかくずっと見ていたい光景だ。
……そう、この何気ない日常の一コマが、俺にとってはかけがえのないもの。
「ほら、大地さんも」
「え、子供の前だし……」
「いつもやってるくせにー」「くせにー」
「ばらさないで!」
銀太と帆乃可に言われ、焦る。
相変わらず、ダサい俺なのであった。
「じゃあ、お母さんからしちゃおっと。ぎゅー」
「はひっ」
楓乃さんに抱きつかれ、俺は天にも昇る気持ちになる。
はぇぇ幸せすぎるぅぅ
「いってらっしゃい。気をつけてね」
「はい、いってきます」
言って、俺はドアノブに手をかける。
他愛もない、日常。そして人生。
俺は、冴えない人生を歩んでいるって、ずっと思って生きていたけれど。
こんなに幸せで、満たされるような毎日が、未来には待っていた。
どんな日々でも、積み重ねれば、誰かが、なにかが。
人生を肯定してくれる。
だからこれからも。
俺は俺のまま、生きていく。
それじゃ、また明日。ダンジョンで。
ここまでこの作品をお読みいただき、本当にありがとうございました。
この作品は掛け値なく、読者の皆様に育てていただいた作品だと思っています。
その恩にどれだけ報いることができたかわからないですが、これからも作品を書き続けることで、さらなる恩返しをしていけたらと思っています。
新作も準備しておりますので、また近いうちにお会いできると思います。
そのときにはまた応援をいただけたら、こんなにうれしいことはありません。
それでは、また会う日まで。しばし。
何卒、よろしくお願いいたします。