第9話 本業後、マドンナと
波乱の午後が過ぎ去り、俺は会社を出た。
今日はずっと、社内で事務的な作業をこなしていた。本来なら営業ノルマを達成するために外回りをするべきなのだけれど、二日酔いで口臭が気になるし、ぶっちゃけ営業トークを仕掛けられるような精神状態じゃなかった。
……まさか、山下さんがあんなことを言うとは。
俺は隣を見る。
『私、大地さんと付き合ってますんで』
隣を歩く山下さんは、無言だ。つややかな髪が、歩くたび揺れる。
社内で『楓乃の乱』と妙な呼び名がついてしまった別所部長ビンタ事件は、瞬く間に広まった。さらに、俺と山下さんの件も同時に拡散し、もはや公然の秘密と化した。
いや、これ以上ない幸せですよ、こんな素敵な人と付き合ってると思われているだなんて。
でも、社内で楓乃さんをロックオンしていた男は多い。あの伊野部社長ですら、秘書にして囲うつもりだったとか、ウワサなら枚挙にいとまがない。
そう考えると、俺のようなダントツで仕事できないマンが、果たして社のマドンナの相手になってしまっていいものかと、若干及び腰になってしまう。
……こういう思考をすること自体が、俺を選んでくれた山下さんを傷つけるであろうことも分かるのだけれど、これまでの人生で染みついてしまった自己卑下は、そう簡単に払拭できるものじゃないのだった。
あぁ、会社の男連中の殺意と嫉妬にまみれた視線を想像すると、胃がキリキリと痛んでくる……。
「…………」
俺はまた、ちらりと山下さんの横顔を見る。
山下さんは一目でわかる超美人だ。でも仕草とか表情はすげー可愛らしい。さらにスタイルも抜群でスラっとしてて、なのにOPA(定着した感すらある)は存在感があるし、お酒飲むとちょっと砕けた感じになってエロカワイさ百倍増しだし、なんかもう……うん、やっぱり信じられない。
そしてなにより、性格がすごくいい。まだまだ俺は彼女のことを知らないけど、日頃の仕事ぶりを見ていればすぐにわかる。愛想が良くて、テキパキしていて、思いやりもある。
なにせ、あの別所部長にしつこく付きまとわれても、ちゃんと一社会人として対応し続けたのだから。それだけでも立派な人間性が伝わってくる。
今日その糸が切れて部長をビンタしてしまったとしても、誰も彼女を悪く言うはずない。というか、悪く言う奴がいるなら、俺はそいつのことを許さない。
……とか、心の中でカッコつけてみる。
というかマジで、俺みたいな冴えない男に、こんなに素敵で華やかな人が、好意を向けてくれることなどあるのだろうか……? 夢なのでは?
俺は彼女を見つめる度に、半信半疑に陥っていく。
「……本当に、ごめんなさい」
「は、え?」
頭の中でマイナス思考でぐんぐんと育ちはじめたとき、山下さんの謝罪が耳に届いた。
「私、一人で勝手に先走って、あんな…………家でも、その、キ、キスとか……本当に、ごめんなさいっ!」
小走りで前に回り込み、意を決したようにまくし立てる山下さん。大きな瞳がきらりと光っていて、涙ぐんでいるのが理解できた。
そして、ごめんない、のタイミングで深く頭を下げた。
「大地さ……いや、京田さんの気持ちとか都合も考えないで、本当私、最低です……これ以上そばにいたら……よくない、と思うので、私、その…………」
山下さんの表情はわからないが、声が震えている。
……俺はグチグチと、なにを悩んでんだ。
こんなに魅力的な人が、真っ直ぐ、不器用なほどに俺に向かってきてくれている。
なのになんで、思い悩む?
それが一番おこがましいだろ、大地よ。
自分の精一杯で、応えればいいだけじゃないか。
「か、楓乃さんっ!」
「は、はいっ」
俯いていた山下さん――楓乃さんが、顔を上げる。
頬には、涙が一筋流れたような跡がある。
「えと……お、俺はその、こんなだし、全然その、イケてる感じじゃないっていうか、あの、正直自信ないっていうか、今も半信半疑なところ、あるんですけどっ!」
違う違う、違うぞ、俺。
こういうことを言いたいんじゃない!
「楓乃さんが、俺に向けて、その、前のめりになってくれること、全然イヤじゃなくて……むしろすごく、心底、全身全霊で、すっげー嬉しいって、思ってます!」
「…………っ!」
「だから、そんな顔しないでください。俺は、その……楓乃さんが素敵な人だって今の時点で知ってるし、あと……これから時間をかけて、もっともっと素敵な人なんだって、知っていきたいって、思ってますからぁ!!」
やば、一番大事な最後で声裏返った……カッコ悪っ。
はぁ……こういうとき、ダンジョンの中と同じように《ダンジョンスキル》が使えたらなとつくづく思う。仕草とかでなにを考えているかわかるようになる《心理洞察》とか、あらゆる恐怖心が消える《狂戦士状態》とか。
「ご、ごめんなさい……嬉しい、けど、嬉しすぎ、なんだけど……それ以上はもう……言わないで」
「え?」
楓乃さんはなぜか、自分の身を抱くようにして吐息を漏らしていた。身体を抱きしめた両腕の上にOPAが乗っかるような状態になっていて、なんだろう、もうね、溶ける寸前の雪見大福みたいなとろぽよ感を醸し出している。
エんロ。
「また……おかしくなっちゃうから」
「(ごくり)……は、はい」
顔を上気させ、潤んだ瞳で身を震わせる楓乃さん。
俺は生唾を飲み込む。
マジ、エんロ。
なんかもう俺もおかしくなりそうです……。
「あの……今日は、家、来ますか?」
「はへ!?」
何度か深呼吸した楓乃さんから、またも攻撃力高めの発言が繰り出される。
「いやっ、そのっ、えとっ、ほらっ、副業の話し合いもまだ済んでなかったしっ! てか絶対今度は私、自制しますしっ! 口とか手とかもう縄で縛りつけとくので安心してください!!」
いやいやそれはそれでいかがわしくなってしまうやないかーい。
俺は崩れかけの理性を必死に奮い立たせ、この状況に最適な言葉を探す。
家に行きたい、でも我慢できるわけがない、しかし楓乃さんもさすがに連日の乱れっぷりを気にしている様子だし、男としては君を大切にしたいアピールする意味でも、今日手を出したらよくない気がするし――あぁ誰か、最適解を教えてくれ!!
「…………」
そこで、俺に一つの“天啓”が降りてきた。
こうなったらもう、マジで《ダンジョンスキル》に頼るしかない!
「あの、一つ提案なんですけど」
「な、なんでしょう?」
俺は勇気を振りしぼり、楓乃さんの目を見て言った。
「一緒に……潜りませんか?」
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