断章
結局8月中に更新はありませんでした。
いや、なんていうか読む方にエネルギーが割かれてるんですよね。
申し訳ないです。ただ、そうやって読んだマルサスの『人口論』は面白かったです。
今回は「大暴動」についての回想です。大して中身はありませんけど。
世の中の変化というものはきっかけがある方が珍しいモンで、強いて言うのなら「アメリカ社会は10年後の我が国の社会」という仮説で予想するしかなかっただろう。
なぜ〝あんな出来事〟が起きたのか、グローバル・コミュニティ上でまだ暴動の続く当時から様々に議論はされていたようだ。
だけども今、アーカイブされたその「議論」を見返すと、議論のようでその実相手を自分の下に置いて優越感を得ようとするこのやりとりこそが、あの社会の本質を風刺した喜劇のようにも感じる。
「議論」は対立を呼び、対立は行動を呼んだ。殺された政治家、炭になった弁護士事務所、血まみれの老人施設、穴だらけになった大学。今でもおぞましき「大暴動」の記録としてネットワーク上のあちらこちらにメディアアーカイブが建てられている。
コミュニティ上での銃器の製造法ダウンロード数の増加、インフルエンサ―同士の脅迫、殺害や企業のトップや末端社員の自殺。一人が死ぬとフォロワーが聖人認定を行い、殺されたり自殺に追い込まれた殉職者の仇を討ち始め、仇討ちでさらに聖人が増えていった。
誰かにマウントを取るための使い捨ての聖人と、後が無くなった殉教者は蛆のように湧いていた。繰り返される「議論」と対立と破壊活動。結局「大暴動」に至る経緯に皆が認める結論は出ていなかった。
ただ、政治や社会の変化だろうが、貧富の差だろうが世代論だろうが、どんな結論に至っていても私には興味が無い。歴史学者だけが、もう終わってしまった歴史上の出来事のきっかけを気にしているモンで、私含めその他の人間にとってはきっかけではなく「結果」が大切だからだ。
私にとって重要なのは、大好きだった両親が暴動の巻き添えになって殺されたという「結果」だけだ。
…どうも感傷的な気分になってるな、と私はカーステレオのボタンを押し「平和だった頃の夢」を歌う曲をスキップした。
私は「昔の手紙を思い返しても何もない」とシャウトする激しい歌声で鬱々とした雰囲気を吹き飛ばし、上機嫌でハンドルを切った。
昼間は人気のない錆だらけの歓楽街の入り口に愛車を停め、バーの裏口のインターフォンを鳴らした。
「毎度ぉ、宅配ですがー」
8月中は風邪ひいたり飲み会×3行ったり家で一人酒飲んだり実家に帰って墓参りしてたりしました。
そのうちモチベが回復すれば書き出すと思うんですが、最近本筋じゃない話を書きがちなので、完結はいつになるのやらですね…。
オチまでの細かいところもまだ詰め切れてないので、当分かかるかな…




